番外編⑥衣笠麻莉愛と一泊二日の温泉旅行をする話

 雪の積もった道路を、バスが走っている。


「…………」


 グレーのニット・セーターとピンク色のタイトスカート……首には、マフラーを巻いているマリアは、俺の正反対の席で、むっつりと外を眺めていた。水色のマニキュアを塗った爪が、ちらつく雪景色に栄えている。


「おい」

「……なに」

「なんで、わざわざ、反対側の席の窓側に座るんだよ。隣に座ればいいだろ。一丁前に恥ずかしがるなよ」


 ぶすっとした顔つきのマリアは、ちらりと俺を視て、またそっぽを向く。


「言っておくけど……あんたの奢りだって言うから、来てあげただけだから。本来であれば、桐谷彰なんかと、温泉旅行になんて出かけるわけないからね。単純に、目的地が一緒だってだけの話」

「お前、冬に足出して寒くねーの?」

「人の話を聞けっ!!」


 前の席に座っている老夫婦が、こちらを振り返った。あわあわと「ご、ごめんなさい」と謝罪するマリアに、俺は便乗する。


「すいません、俺の彼女が」

「は!?」

「あらまぁ、いいのよぉ」


 人の良さそうな老婆が、にこにこと笑う。


「彼氏との初旅行ということもあってか、昨日の晩から、ハッスルしちゃって。インド映画の登場人物みたいに、テレビ視ながら踊るわ、料理しながら踊るわ、眠りながら踊るわで。

 挙句の果てには、踊りながら通学して、踊りながら卒業すると言い出しまして」

「い、いや、は!? あ、あんた、なに言っ――」

「ラブラブじゃのぉ」

「あ、あの! ち、違うんです! あ、あたし、こんなヤツのことなんか、これっぽちも好きじゃなくて! それどころか、大嫌――」

「いいのよぉ、恥ずかしがらなくて。旅行、楽しんでねぇ」

「ふぁ~い」


 舐めた返事を返した俺は、ニヤニヤ笑いながらマリアを見遣みやる。顔を真っ赤にして、うつむいていたヤツは、ぷるぷると震えていた。


「こ、殺す……絶対に、いつか、殺す……」


 このぬるい殺意が、疲れに効くんだよなぁ(ご満悦)。


 山奥にある旅館の前に到着すると、マリアは、俺には一瞥もくれずにバスを下りようとする。マリアの履いているブーツの高さが、どうにも気になった。


「あっ!」


 そして、予期した通りに、凍りついた道で転び――俺は、抱きとめる。


「バカ、気をつけろ。頭打ったら、シャレにならんぞ」

「…………あ、ありがと」


 余程、助けられたのがしゃくに障ったのか、ぶっきらぼうに礼を言ったマリアは顔を背けた。耳が赤いので、恥ずかしがっているのだろう。雑魚が。


 こちらを視もせずに、ぼそりと、マリアはつぶやく。


「……隣、歩いてもいいよ」

「なんで、俺が、お前なんぞの隣を歩くのに、許可をもらわないといけないんだ? とっとと来い、置いてくぞ」

「ちょ、ちょっと、待ってよ」


 慌てて追いかけてくるマリアと一緒に、俺は、旅館の戸を開いて中に入る。


 上等そうなテーブルとソファーが設置され、工芸品が飾られているロビーには、入室時間を待っている客たちが数人いた。カウンターでチェックインを済ませて、俺たちもまた、部屋が空くのを待つ。


「桐谷、桐谷!」


 ソファーでだらけていると、別行動していたマリアが、笑いながら手招きしてくる。


「なんだ、端役モブ

「来てよ、ほら! 早く!」


 腕をもたれて引っ張り上げられ、俺は、土産物屋にまで連れて行かれる。


 店先に並んでいるのは、菓子や飲み物、郷土品から使い道のわからない謎の玩具だったりする。そのうちのひとつ、両目があらぬ方向に向いている、腹部が異様に膨れた鳥のおもちゃをマリアは指した。


「コレって、桐谷に似てない? この、人に興味なさそうな狂った目つきとか、あんた、そっくりじゃん」

「なら、お前はコレだな」


 その隣にあった、舌をだらんと出して、ダブルピースしているチンパンジーの玩具を示すと、思い切り腹を殴られる。


「桐谷って、好きな女の子に、イジワルするタイプでしょ?」

「いや、嫌いな人間にのみイジワルするタイプだ。俺を好いている人間には、優しくしようと心がけている」

「えっ、見抜かれてた?」


 顔合わせる度に、俺のことを「キライキライ」言ってればな。


 そんなアホみたいなことで盛り上がっていると、チェックインの時間になって、俺たちは同じ部屋に入――


「待って」

「え、なに?」

「……あたしの部屋は?」


 俺は、今、正に入ろうとしている部屋を顎で示す。


「……あんたの部屋は?」


 もう一度、繰り返す。


「いやいや。いやいやいやいや」

「え、なに?」

「『え、なに?』じゃないでしょ? なんで、あたしとあんたの部屋が一緒なの? 男女七歳にして席を同じゅうせずって知らない?」

「俺もお前も、七歳じゃないだろ」

「ふざけんなよ、文盲もんもう


 荷物が重いので、一度、部屋の中に入って下ろしてくる。


 ふたり用の和室は、綺麗に掃除が施されていて、旅館の前を流れる川が一望することが出来た。高い部屋だけあって、露天の家族風呂がついており、真っ白な濁り湯がとくとくと流れている。


 早速、俺は、手早く浴衣に着替える。


 外に戻ると、まだ、マリアは立っていた。


「なんだ、お前、野宿でもすんのか?」

「……だ、男女で同じ部屋って、あ、ありえないでしょ」


 あいも変わらず、見た目とは違って、純情なヤツだなコイツは。


「安心しろ。お前なんか、フィーネ辺りと比べたら、正に月と(便所の)すっぽんだ」

「人をラバーカップ呼ばわりするな」

「で、どうすんの?」


 数十秒の時間が空く。


 頬を真っ赤にしたマリアは、自らの身を守るかのように腕を組み、震える声で言う。


「へ、変なことはしないって……ち、誓え……」

「俺は、無宗教だが」

「い、いいから! 誓ってよ!」


 こんなにも、チョロくて良いのかと思いつつ、俺は片手を挙げて宣誓する。


「ちかいま~す、うぇ~い」

「さ、叫ぶからね! 変なことしたら、ぜんっりょくで、叫ぶから!!」

「へいへい」


 マリアは、部屋の中に入っていって……戸を半開きにして、じとりと、こちらを睨みつけてくる。


「浴衣に着替えるから。覗かないでよね」

「お前、自分の裸体に、価値があるとでも思ってんの?」

「……数時間かけて、なぶり殺してやる」


 スマホに連絡が来て、ようやく、俺が入室を許される。ものの見事に浴衣を着こなしているマリアは、俺の前で、くるりと一回転した。


「ど? かわいいでしょ?」

「水色」

「はっ! ばーか! 今日は、ピンクですぅ~!」

「へぇ」


 じっと、俺が胸の辺りに視線を注ぐと、マリアは「せ、せこい手使って、特定すんなっ!」と自身を両手で隠す。


「ていうか、桐谷。あんた、帯の結び方、普通に間違えてる。それじゃあ、幽霊になっちゃうわよ」


 そう言って、マリアが、俺の胴に腕を回してくる。


 なにも考えてないのか、しゅるりと俺の浴衣の帯を外し、手慣れた手付きで結び直してくれた。


「よし、これで男前! あんたも、ちょっとは良い男になれたわね!」

「…………」


 無言で、マリアの帯を外すと、頬を張り飛ばされる。


「なんでだ……せっかく、死なせてやろうと思ったのに……」

「そ、そういうイタズラは、男同士でやりなさいよっ! 男女でやったら、シャレになんないのよシャレに!!」


 ひとまず、無事に浴衣は着れたので、ふたりで大浴場にまでやって来る。


 最上階にある大浴場では、露天風呂から景色を一望することができて、濁り湯の中に浸かった俺は絶景を満喫する。相手がマリアなので、男湯にいる俺の裸身を、どうにかして覗こうとはしないので安心だ。


 風呂から出て、マッサージチェアを堪能していると、頬を上気させたマリアがこちらに気づいて手を振ってくる。


 俺が中指を立てて返すと、ずんずんとこっちに歩いてきて、指を反対側に捻じ曲げられた。


「イタイイタイ」

「健気に待ってて、カワイイと思ったら、そういうオイタするのはこの指か。この。この」


 あまりに貧弱なので、まったくもって痛くない。それどころか、不用意に前かがみになったせいで、自慢の下着ピンクが丸見えだった。


「俺、フルーツ牛乳な」

「はいはい」


 うんざりしたかのようにため息を吐いて、マリアがフルーツ牛乳を買ってきた。フタをむしり取ってから、俺へと手渡してくる。


「桐谷、頭」


 マリアは、俺のもっていたタオルを奪い取り、頭に被せてくる。かと思えば、優しい手付きで、わしゃわしゃと拭いてくる。


「ドライヤー、使いなさいよ。ちゃんと乾かさないと、将来ハゲるって、テレビかなんかで言ってたんだから」

「今、お前が乾かしてんじゃん」

「あのね」


 十分もかけて、わしゃわしゃやっていたマリアは、出来栄えを確かめるかのように俺を見つめてにこりと微笑む。


「マリア先生の懇切丁寧な施術のお陰で、多少は視られる顔になったわね」

「いや、フルーツ牛乳のお陰だろ」

「生乳と果汁で、美貌が手に入るなら、喜んで飲んでるわよ、あたし……」


 立ち上がって歩きだすと、後ろ髪が気になったのか、追いついてきたマリアが背伸びをしてわしゃわしゃやり出す。


 部屋に辿り着いて、寝転がる。


 マリアは、俺の頭を持ち上げて、床との間に座布団を挿し込んでくる。特になにも言ってないのに、お茶を淹れてきて、お茶菓子と一緒に俺の傍に置いた。


 数年かけて、じわじわとパシりに使っていたせいか、俺の思う通りの成長を遂げてくれたらしい。有り難い。


「桐谷」


 テレビを眺めていたマリアが、話しかけてくる。


「なんだよ、不要不急の会話は避けて欲しいんだが」

「暇」


 四つん這いで、ハイハイしてきたマリアが、座布団でぽふぽふ叩いてくる。


「ひ~ま~!」

「勝手に暇してろ、このたわけ女。俺が、崇高なる使命の下に、ゴロゴロしていることが伝わらんのか蒙昧もうまい

「視て視て、桐谷!」


 はしゃいだ様子で、マリアは、俺にカードゲームのデッキを見せつけてくる。


「じゃ~ん! この前、あんたが、やってたカードゲーム! 由羅先輩が一緒にやろうって言うから、あたしも買っちゃった~!」


 なんで、急に、部屋でふたりになった途端にテンション上がってんだコイツ……ヤンデレもわからんが、普通の女もよくわからん……


「せっかくだし、やろうよ、ほら!」

「……ひとりで遊んでろ」


 俺が、寝返りを打つと、追いかけてきたマリアが揺さぶってくる。


「き~り~た~にぃ~! き~り~た~にぃ~!」


 う、うざい……こ、殺してぇ……


 あまりのウザさに、眠気が飛んで、仕方がなく俺は起き上がる。


「一度だけ、相手してやる」


 そう言って、俺は、常に鞄に仕舞ってあるデッキを取り出す。


「後悔するなよ」


 そして、数分後――


「では、『マンモスの墳墓』の効果を発動して、墓地からモンスターカードを二体特殊召喚します。この時、『マンモスの地母神』の誘発効果が発動。デッキから『マンモス』の付くカードをサーチして、フィールドに特殊召喚します。私は、『マンモスのマンモス』を特殊召喚。この際に、私は、手札から三枚の手札を捨てる代わりに、フィールド上のマンモスと付いたカードをゲームから除外することで、一枚につき600ポイントのダメージを対戦相手に与えることができます。5枚のカードを除外して、『マンモスの墳墓帰り』が特殊発動。このターン中、マンモスのつくカードが5枚以上除外された場合、相手に与えるダメージが3倍になります。貴方に9000ポイントのダメージ、ライフポイントがゼロになったことで私の勝利となります。GG(グッドゲーム)」

「…………」


 ワンターンキルをかますと、ぽかんと口を開けていたマリアが、唐突に我に帰って「え、な、なんで、急にひとりで遊び始めたの?」と聞いてくる。


「なに言ってんだ? ふたりで遊んでただろ?」

「……男子って、こんなのを、楽しそうに遊んでんの? 本気?」


 俺が、親指を立てて、ニヤニヤしながら煽ると、ムキになったマリアが「も、もう一回! もう一回、勝負!!」と大声を上げる。


「いや、お前のもってる、市販のカスデッキじゃまともに勝負にならんが……まぁ、程度を合わせるか……」


 適当にカードを抜いて、レベルを合わせてから再戦。


 でも、俺が勝つ。何度やっても、俺が勝つ。


 それでも、何度でも「もっがい!!」と食いついてくるので、面倒になって負けてやると満面の笑みを浮かべる。


「やったー! あたし、すごくない、桐谷!? 素人なのに、桐谷に勝っちゃうなんて、才能あるかも!?」

「そうだな、良かったな。その才能が生かせるように、老若男女がカードゲームをプレイする、夢のような世界に異世界転生できるといいな」

「うんっ!」


 素直に返事しちゃうんだ……


 アホみたいに幾度もカードゲームをしていたら、いつの間にか夜を迎えていて、飯を食い終えた俺たちは再び手持ち無沙汰になる。


「俺、部屋に備え付けの風呂に入るから。お前、外で、野宿してこいよ」

「ふざけんな。

 適当に暇をつぶしてるから、入り終わったら連絡してよ」

「うぃ~」


 部屋の中で全裸になった俺は、檜の浴槽に張られた濁り湯へと身を沈めていき、満点の星空を見上げて悦に浸る。全身の血管が開いていく心地よさに、ぼうっとしていると、戸の開く音がして、タオルを巻いたマリアが立っていた。


「ちょっ!? ふぁぉん!?」


 謎の奇声を上げたマリアは、凄まじい勢いで戸を締める。


「な、なんで、入ってんのよ!? さ、さっき、出たって連絡して来たでしょ!?」

「いや、一度、出て再び入ったんだが……バカか……?」

「バカは、お前だっ!!」


 再び、戸が開く。


 肩まで赤く染めて、突っ立っているマリアが、髪を掻き上げる。


「で、出てってよ……湯冷め、しちゃうでしょ……」

「一緒に入れば?」

「ふ、ふざけ……っ……」


 目を背けたマリアは、顔を歪めて、なにやら葛藤していた。


 数分後。


 マリアは、すたすたとこちらに歩いてきて、慎重に両手でタオルを押さえたまま湯の中に入ってくる。そして、一瞬、ほうっと息を吐いた。


「…………」

「…………」

「…………」

「いやぁああああああああああああっ!! えっちぃいいいいいいいいいいい!!」

「ふ、ふざけないでよ、ちょっと!? だ、黙れっ!!」


 俺が叫ぶと、マリアが、湯音を立てながら口を押さえてくる。動いたことで、タオルがずり下がり、慌てて戻していた。


「まさか、本当に、一緒に入ってくるとは……痴女か、お前?」

「べ、別に。タオルさえ落ちなければ視えないし。ゆ、湯冷めするし」

「あっそ」


 狭い浴槽の中で、膝立ちになっていたマリアは、そっと俺の足の間に座り込む。不自然なくらいに上を向いて、なにかを、ぶつぶつとささやいていた。


「なぁ、相棒」

「な、なによ急に」

「俺が死んだら」


 星を見上げなら、俺はつぶやく。


「お前って、泣くか?」

「は……どういう意味?」

「いや、別に」


 俺は、頭の上に載せたタオルを、腰に巻きつけてから立ち上がる。


「マリア」

「な……なによ……?」

「お前って」


 俺は、真剣な顔で、つぶやく。


「男だったのか」

「胸がないだけだ、このアホッ!!」


 風呂場から追い出されて、敷かれている布団に入り込み、俺はいつの間にやら眠りこけている。


 その晩、俺は、ヤンデレに首を締められている夢を視て――


「……ラブコメかよ」


 あまりの寝相の悪さで、自分の布団から這い出して、俺にしがみついているマリアのせいで目が覚めた。


 ムカついたので、油性マジックで額に『ナマステ』と書いたら、朝のバイキングでマリアがカレーを食べていて爆笑した。


 一週間、マリアが口を聞いてくれなくなって……俺たちの旅行は、つつがなく終了した。

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