番外編③衣笠由羅と、カリフォルニアで虫相撲する話

 人でごった返した空港。


 キャリーケースを引いた人たちが、せかせかと忙しそうに歩き回り、搭乗口へと吸い込まれていく。電光掲示板を見上げた俺は、出発便の案内と時間を確認していた。


「あ、アキラ様……」


 白色のシャツ。


 胸元に黒いリボンをつけた由羅は、真っ黒なキュロットスカートを履いていた。黒髪のウィッグで、片目を隠しているのはいつものことだったが、長髪を青色のリボンで結んでポニーテールにしている。


「お、お待たせしました……じゅ、準備に手間取ってしまい……」


 リュックを背負い直した由羅は、俯きながらつぶやく。


「いいんじゃないか、似合ってるよ」


 凶器を隠し持つところがなくて。


「え……えへ」


 前髪を指先で弄くりながら、由羅は嬉しそうに笑う。


 到着便を待っている連中に混じって、並んだ椅子に腰掛けた俺は、隣で一生懸命に出発便を確認している由羅を見つめる。


「ところでさ」


 俺は、虫かごを揺らしながら尋ねた。


「なんで、俺たち、虫を抱えて、カリフォルニアに行くの? 昨晩から考えてたんだけど、まったくもって、理由がわかんないんだよね。今もわかんない。なんで、俺は、ここにいるの? どうして、人間ひとは存在しているの?」

「む、虫相撲をやりたいと……アキラ様が仰っていたので……」


 由羅は、にこりと笑う。


「カリフォルニアに」


 どんな名探偵でも、この返答から真相に辿り着けないだろコレ。


「じ、実は、世界規模の虫相撲大会が、300年に一度、カリフォルニア州で開催されるという伝説があるんです……」

「帰っていい?」

「そ、そして、その300年に一度が、今から3年後のことで!」

「帰るね?」


 俺が立ち上がると、由羅が、ガシッと手を掴んでくる。


「ゆ、優勝賞金は、350ドルですよ……!?」


 なんで、俺が、貴重な時間を割いて、お前の頭に湧いた伝説に付き合わなければならないんでしょうか? 350ドルって、日本円で、たったの35000円ですよ? 300年に一度って、時給に換算したら0.0133円ですけども? しかも、開催日、3年後ですよね?


 なんて、強き人ヤンデレには言えないので、俺は優しい笑みを浮かべて応える。


「未来の俺が、急な腹痛で倒れてしまってね。残念だけど帰るよ」

「わ、わかりました……残念です……開催日は、明日にしたんですが……」


 しょぼくれた由羅が、肩を落としてささやく。


「し、新鮮なアキラ様の作成途中で、偶然の産物ではありますが、特許の使用料が懐に入ったので……あ、アキラ様に喜んでもらえるよう、伝説を本当に……ゆ、優勝賞金は1万ドルにするつもりだっ――」

「行くぞ、由羅ぁ!!」


 俺は、力強く叫ぶ。


「俺たちが!! 勝つッ!!」

「あ、アキラ様……!」


 感動で目を潤ませた由羅の前で、俺は、一度落ち着いて腰を下ろす。


「しかし、ココで問題がある」

「ど、どうしたんですか……?」

「話も理解しないまま、慌てて、虫を用意したものだからな。俺の選んだ虫相棒インセクト・パートナーが、まだ視ぬ強敵ライバルたちとの戦いに耐えられるかどうか……はなはだ、不安になってきた」


 由羅は、ぱちくりと瞬きをする。


「ぼ、ボクは、カブトムシをもってきましたが……アキラ様は、なにをもってきたんですか……?」

「ハリガネムシ」

「は?」


 俺は、虫かごの中に入っている、真っ黒な線のような虫を見せつける。


「ハリガネムシ」

「な、なぜ、寄生虫を……虫相撲と言ったのに……」

「慌ててたから……」


 俺は、ため息を吐く。


「カマキリの尻を水につけて、捕獲ゲットするまでは順調だったんだが」

「せ、せめて、カマキリをもってくるべきだったのでは……?」

「慌ててたから……」


 あまりの悔しさに、俺は拳を握り締める。


 もし、あの時、慌てていなかったら……せめて、サナダムシくらいは、余裕で用意できていたに違いない。


「しかも、このハリガネムシ、ココに来る途中で死んじゃったんだよね……」

「え、えぇ……」


 俺は、ぴくりとも動かない虫相棒ハリガネムシを視て、悲しくなってくる。


「死体でもいいかな?」

「む、虫相撲って知ってますか……?」


 ……? 知ってるに決まってるが?


「由羅」


 俺は、ぽんと、由羅の肩を叩く。


「俺の意思を……継いでくれるか?」


 戦えない俺の虚しさが伝わったのか、由羅は勢いよく立ち上がる。


「あ、アキラ様……わ、わかりました……ボク、頑張ります……!」


 意思を継いだ由羅の目は、生き生きとしていて、勝利を見据えて燃えていた。


 結局のところ、勝利というものは、意思で勝った者が勝ち取るものだ。今の由羅と虫相棒カブトムシであれば、絶対に、優勝してくれるだろう。


「よし! じゃあ、行くか!!」

「はいっ!」


 意気揚々と、俺たちは、搭乗口へと向かって――荷物検査でカブトムシが引っかかって、泣く泣く、森にまで逃しに行った。


 日本から、約10時間……俺たちは、ついに、カリフォルニア州ロサンゼルス空港に下り立った。


 空港の周囲は、白人にヒスパニック、アジア系から黒人まで。様々な人種でごった返していて、アメリカ合衆国で、最も人口の多い州であることを実感する。


「で、どうするの?」

「し、試合会場は、ロングビーチなので……ダウンタウンから、電車一本で行けるみたいです……7th StのMetro Centerからブルーラインに乗りましょう……!」

「うぃ~す(ヒモ特有の人任せ)」


 ダウンタウンの街並みは、案外、綺麗に整備されていた。


 ヤシの木っぽい木々が植えられた街道を、金髪の腹出しウーマンが歩いていたり、イヤホンをつけて走るマッチョな黒人がいたりする。ビル群に囲まれた道幅は、それなりに確保されていて、街中をオレンジ色のバスが走っていった。


 由羅の指示に従って、ブルーラインに乗り込む。


 特段、観光客のアジア人は珍しくないのか、こちらをジロジロと視てくるようなやからはいなかった。


 暇だったので、もじゃもじゃ毛のそばかすお姉さんに「ハリガネムシ、要りません?」と話しかけると、綺麗な笑顔で「Ahan?」と答えられる。


「由羅」

「な、なんですか……?」

「Ahan人って、ハリガネムシ食うの?」

「え、英語で言ってたら殺されてますよ……」


 40分くらいで、ロングビーチへと辿り着いた。


 真っ白な砂浜が、どこまでも広がっている……海沿いには、高いビルが建っていて、アメリカ人も働くんだなと感慨深く思った。


 腕をまくった俺は、日本っぽくない光景を前にして、どうしたもんかなと立ち尽くす。


「で、由羅」

「は、はい……」

「参加者は?」

「ぼ、ボクとアキラ様だけ……みたいですね……」


 俺たちの間に、沈黙が広がっていく。


「理由に、見当つく?」

「ぼ、募集要項を」


 由羅は、リュックサックから、クレヨンで書かれた手書きのチラシを取り出す。


「で、伝説っぽく、独自の暗号で……しょ、賞金1万ドル……う、嘘じゃないとまで書いたのですが……な、なにがいけなかったんでしょうか……」


 全部、かな。


 まだ視ぬ強敵ライバルとか言ってたら、とうとう、視る機会を失っちゃったよ。


「……俺たち、なんで、カリフォルニアにまで来たの?」

「でぃ、ディズニー○ールドでも行きますか……で、デートっぽいですし……」

「いや」


 俺は、決意をめて頷く。


「ココまで来たら、俺たちで決勝をやろう」

「で、でも、虫がいませんが……」

「紙でいいだろ。そのチラシで、最強の虫相棒かみきれを作ればいい」

「む、虫相棒とは、一体……」


 俺と由羅は、カリフォルニアの有名なビーチで、いそいそと作業に励んだ。潮風と注目を浴びながら、互いに、ただの紙切れで虫を作り上げる。


 器用にも、チラシで土俵を創り上げた由羅は、砂浜に置いたソレの周囲に砂を盛って安定させる。どこで習得したのか知らないが、この短時間で紙のカブトムシを作り上げて、ニコニコしながら土俵に置いた。


 かなりの力作だ。スマホで写真を撮っているところから、由羅本人からしても、お気に入りの一品らしい。


「あ、アキラ様は、なにを作っ――」


 俺は、手にした紙のムチを、思い切り土俵に叩きつける。


 弾け飛んだ紙のカブトムシは、ものの見事に破壊されている。哀れなむくろを、砂浜に晒して息絶えていた。


「ハリガネムシ」


 何度もり込んで、作り上げた、最強の紙虫ムチ……虫相棒ハリガネムシによって、俺は、ついに優勝を果たした。


「1万ドルな」

「…………」


 涙目になった由羅は、ぷるぷると震えながら、上目遣いでこちらを睨みつける。


「ず、ずるい……」

「いや、合体攻撃は基本だが……虫相棒初心者か、お前?」

「う、うぅ……!」


 俺の服を掴んで、反論するかのように、ぐいぐい引っ張ってくる。幼子のように惨めなその姿を視て、俺は仕方なく、再戦を受け入れてやることにした。


「が、合体攻撃は、なし……ですから……!」

「わかったわかった」


 数時間をかけて、由羅は、巨大なカマキリを作り上げた。ココまで来たら、芸術品と言ってもいいくらいで、通りすがりのアメリカ人たちが喜んで写真を撮っている。


 土俵は地球だとでも言わんばかりに、紙切れで出来た土俵は、カマキリの足端に引っかかっているだけだ……さすがに、合体攻撃なしで、コレは倒せないと踏んだのか、由羅は自信満々に胸を張る。


「ど、どうですか……!

 ぼ、ボクの力作で――」


 俺の前蹴りが、紙屑カマキリを粉砕する。


 呆然とする由羅の前で、トドメのハイキックをお見舞いしてやった。頭の吹き飛んだカマキリを前にして、彼女は、力なく立ち尽くす。


「な、なんで……なんで、アキラ様が、攻撃するんですかぁ……!!」


 俺は、握りしめて、くしゃくしゃになった紙団子ダンゴムシを見せつける。


「いや、相棒パートナー攻撃は基本だが……虫相棒初心者か、お前?」

「う、うぅ……!」

「オラ。敗けたなら、とっとと、1万ドル払えや。オラ。とっとと、払えや。オラ。オラオラオラオラオラオラオラオラァ!!」

「うっ……ひっ……ひぃ……っ……」


 ぎょっと、する。


 立ったまま、由羅は、泣き始めていた。


 ぽろぽろと泣き出した由羅は、ついにはわんわんと泣き出し、周囲の観光客たちがにわかにざわめき出す。


「ご、ごめんなさい……や、やりすぎました……」


 顔を真っ赤にした由羅は、俺の胸に飛び込んできて、ぽかぽかと殴ってくる。全然、痛くない。見るからに手加減していて、暴力を振るい慣れていないのが、丸わかりだった。


「な、なにしたら、ゆるしてもらえますか……?」

「あ、あいす……あ、あいす、食べさせてください……」

「わ、わかりました」


 走ってアイスを買ってきた俺が、アイスを差し出すと、由羅はわんわん泣きながら食べ始める。


「でぃ、ディズニー○ールド……い、一緒に行ってください……」

「しょ、承知いたしました」


 俺たちは、連れ立って、某遊園地へと繰り出した。


 最初は、泣きべそをかきながら、俺の服裾を掴んで歩くだけだった由羅は、アトラクションに乗る度に元気を取り戻していった。最終的には、いつも以上にはしゃいで、俺が渡したハリガネムシを振り回している。


「また」


 由羅は、満面の笑顔で言った。


「また、やりましょうね……虫相棒……!」

「え……絶対、やだ」


 笑っている由羅に引っ張られ、苦笑した俺は、仕方なく彼女を追いかけた。

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