番外編①フィーネ・アルムホルトと、路傍で米を食う話

 うららかな、日曜日の昼下がり。


「あのさ」


 俺が声をかけると、フィーネ・アルムホルトはびくりと反応する。


「なんか用?」


 猫耳の形を模したキャスケット、灰色の長袖パーカー、短い黒のデニムパンツ……まるで、そこらの女子高校生みたいな格好をした、フィーネ・アルムホルトが、物陰から我が家を覗いていた。


 長い白髪を編み込んで、ハーフアップにしているフィーネは、俺が声をかけるなりびくりと震えて顔を赤らめる。


「…………別に」

「別にってことはないだろ。さっきから、そわそわそわそわ、俺の家の中覗き込んだり覗き込まなかったりしやがって。

 何時間、そうしてんだ?」

「……36時間くらい」


 地縛霊かな?


「で、なんの御用事ですか? 敗けた腹いせに、俺のこと刺しに来たってなら、うちの淑蓮が相手になるぜ? かかってこいよ」

「…………」


 頬を染めたフィーネは、なにも言わずに、こちらをチラチラと視てくる。なにを考えているのかわからず、あまりにも不気味だった。


「……いや、本当になに? 怖いんですが?」

「た、立ってるだけっ!」


 110(悪質な地縛霊を除霊する、特別な数字)。


「あっそ。

 俺は、これから、神の作りし休息日を利用して、素晴らしき一日を過ごすから。くれぐれも、邪魔するなよ?」

「し、しないもん」


 俺にハニトラを仕掛けてくるまでもなく、ただ、もじもじとしているだけのフィーネが、なにを考えているのか……72の悪魔と契約していても、なんらおかしくない女なので、注意するに越したことはない。


 とは言っても、せっかくの日曜を潰されるのもしゃくだ。


 俺は、家から炊飯器と携帯バッテリーをもってきて外に出る。こちらの様子を伺っていたフィーネが、目を丸くしていた。


「What's that?」

「Who am I!?」


 流暢な英会話を堪能してから、俺は歩き始める。


「…………」


 10メートルくらい離れて、フィーネが付いてくる。どうやら、地縛霊ではなくて背後霊だったらしい。


 俺は、そこらの道端に目をつけて、縁石に座り込む。目の前の道路の通行量が、多ければ多いほどにベストポジションだ。


 遠目にこちらを見守っていたフィーネは、たたたと駆けてきて、俺から距離をとって座った。


 携帯バッテリーに繋いだ炊飯器のスイッチを入れて、俺は飯を炊き始める。


「……コレこそが、都市キャンだ」

「と、都市キャン……都市のキャンプってこと?」


 俺は、頷く。


「真のシティボーイはな……排気ガスをおかずに飯を食うんだよ。ビルの壁面からの反射で、肉を焼けるようになるのがブルジョワだ」

「Japanese is crazy……」


 飯が炊けるまでの間、俺は時間をもて余す。


 せっかくの良い機会だ。頭の良いヤツの休日の過ごし方でも観察してやるか。


 俺は、飲料水を口に含みながら、フィーネが、どうやって暇を潰すかと期待していると……彼女は、本を開いた。


 タイトルは、『モテカワコーデ~大好きな彼との、甘々デー――俺は、勢いよく、飲んでいた水を吹き出した。


「えっ!? な、なに!?」

「……天下のフィーネ・アルムホルトが、なんつう本を読んでんだ」

「べ、別に……フィーが、どんな本を読もうとも、貴方には関係ないでしょ……れ、恋愛って、よくわかんないし……」


 恥ずかしそうに応えるフィーネの裏を探っていると、なにを勘違いしたのか、彼女は慌てて手ぐしで髪を整え始める。


「こ、こういうの、好きじゃなかった? 日本Japan十代Teen向けの雑誌に載ってたから、こ、好みかなと思って」

「……誰の?」

「し、知らない!」


 首まで朱色に染めたフィーネは、涙さえ溜めて俯いて見せる。


 いやな反応。


 俺は、あまりにも恐ろしい想像をしてしまって、現実ではないことを祈りながら彼女に尋ねる。


「お前、まさか、俺に本気で惚れてないよな……?」

「へぁっ!?」


 奇天烈な声を上げて、フィーネは立ち上がる。


 目を見開いた彼女は、見る見る間に、赤らんでいく。


「ほ、惚れるとか……す、好きとか……ふぃ、フィーは、わかんないもん……た、ただ、敗けたから……しゃ、借金あるし……お、お金必要だったら、フィーが必要なんでしょ……だから、その……」


 真っ赤になった彼女は、しどろもどろになにかささやきながら、じりじりと俺から距離をとる。


 その反応を視て、俺は確信する。


 フィーネ・アルムホルトは、今の今まで、父親への家族愛しか知らなかった。だが、あの島での敗北を契機に、脳がショートして“恋愛”を知ってしまったんだろう。


 だからこそ、こんなにも、小学生みたいな恋愛観に支配されている。


「極端なヤツだな……あの島にいた時は、全裸で、くっついてきてたのに」

「あ、あんなの、フィーじゃない」


 俺からしたら、今のお前こそ、フィーじゃないよ。


 恋愛脳とか言う俗語があるが、まさに、ソレこそがフィーネの今の状態だ。初めて感じる、恋愛という感情に、脳まで支配されていてバカになっている。


「1+1は?」

「アキラくん」


 水無月さんと同じ回答してる……おしまいじゃん……


 この世に絶望していると、炊飯器がピピピと鳴った。たまらず、俺が、炊飯器の蓋を開くと、艶めく白米がこの世に顕現けんげんする。


「視ろ、フィーネ……この白き奇跡を……世に生まれた米の、儚い輝きを視てみろよ……一粒一粒の産声が、聞こえてこないか……?」

「白米は、産声なんてあげないよ?」


 急に頭良くなるのやめろ。


 俺は、もってきたマイ・しゃもじを取り出して、懐から取り出した茶碗によそっていく。前回は、30分ほどで社会の犬(警察)に通報されたので、手早く排気飯を済ませて、我が家に帰還しなければならない。


 純白の輝きをすくって、俺は茶碗に取り分ける。仕方ないので、興味津々に眺めている、フィーネにもよそってやった。


「……このまま、食べるの?」

「バカがよォ!!」


 俺は、ポケットから、納豆様と辛子明太子、生卵と醤油パックを取り出す。


「白米、三種の神器だ。お前から選ばせてやる」

「なら、辛子明――」

「ダメに決まってんだろ、頭おかしいのか? 

 それは俺のだ」


 フィーネの手から、辛子明太子を奪い取り、しょぼんとしている彼女の前で、ご飯の上にたっぷりと盛り付ける。


 通り過ぎる人の一部が、何事かとこちらを指差しているが、通行の邪魔にはなっていないので無視してくれた。


「…………」

「お前、なに、熱心に書いてんの?」


 端末を弄りながら、ノートになにかを書き出したフィーネを覗き込むと――赤文字で、女性の名前と、人相と、住所が書き連ねられていた。


「アキラくんのことを、0.5秒以上、視てた女の個人情報」


 こういうところは、変わってなくて安心する~!!


 書き終えたフィーネは、納豆をチョイスして、俺たちは並んで食事を始める。路傍で米を並んで食うのが、よほど珍しいのか、田舎者たちがひそひそと噂していた。


「……納豆、食べるのはじめて」


 まじまじと、ご飯にのった納豆を見つめて、フィーネは恐る恐る口に運ぶ。


 一回、二回、三回……咀嚼。


「あ」


 朗らかに、フィーネは微笑んだ。


「美味しい……」

「毎日食べてると、さすがに飽きるけどな」


 もぐもぐもぐもぐ、俺たちは、排気ガスを全身に感じながら飯を食べる。マイナスイオンの代わりに、オキシダントを浴びるのが都会流なのだ。


「アキラくん」

「なんだよ? トラックチャンス来るぞ、トラックチャンス。あの黒色の煙が狙い目なんだから、ちゃんと、深呼吸し――」

「こんな、最悪な場所locationなのに」


 美しく、フィーネは微笑する。


「フィーは、しあわせだよ」


 ぽとり。


 バッグの隙間から、彼女フィーネの読んでいた、頭の悪そうな恋愛本が地面に落ちる。


 そこには、『大好きな人と一緒なら、どんな場所でもしあわせ!』と――デカデカと、ラメ文字で書いてあった。


「……あっそ」

「うん」


 俺は、二杯目のご飯に納豆をかける。


 ふたりで並んで、納豆を食いながら、ぼうっと車列を眺めていたら……一日が終わった。

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