ロングバケーション

 魂が抜け落ちたみたいに、フィーネは、身じろぎひとつしなくなった。


 時間が過ぎる度、ひとり、またひとり、執事と民間軍事会社PMCたちは、教会から出ていった。最後まで残ったのは、俺たち四人だけだだ。


 朝日が、差し込む。


 ステンドグラスの破片に日が当たって、七色にゆらめいた。


「……あんた、よく勝てたな」


 ひとりの執事が、俺にささやく。


「あんなバケモノ……よくも勝てたよ……奇跡的だ……バケモノに勝てる人間もいるんだな……正直言って、尊敬す――」

「消えろ」


 俺は、語りかけた男に、真正面から言った。


「ココは教会だ。祈る気がないなら、とっとと消えろ」

「…………」


 執事は、なにも言わずに、教会から姿を消し――水無月さんが、拳銃を下げる。


「ゴム弾だから、死なないわよ?」

「頭、狙ってましたよね。当たりどころによっては、昏倒じゃ済みませんし。他人の介抱をするのはごめんなんで」

「やっぱり、アキラくんは優しいのね。撃たせてくれたら良かったのに」


 若干の眠気を覚えて、あくびをする。


 俺の肩にもたれかかって、すぅすぅと狸寝入りを続ける淑蓮が、服の隙間から手をねじ込んでくるのがうざかった。


「……ちょっと、海を視てきますが?」

「わたしは、ココにいる」


 だらんと、呆けているフィーネを見つめたまま、水無月さんはつぶやいた。


「一応……幼馴染だから」

「どうぞ、お好きに。

 ウエディングケーキ、まだまだ残ってるんで、ふたりで食べたらどうですか? 美味かったですよ」

「ありがとう」


 邪魔な妹を退かそうとした瞬間、ぱちりと目覚めて立ち上がる。


「じゃあ、行こっか! お兄ちゃん!!」


 ココまで堂々たると、もはや、なんも言えねぇ。


 教会の外に出る。


 丁度、別荘からキーをもってきた由羅が、嬉しそうな顔で駆け寄ってきた。


「あ、アキラ様……み、見事なる騒霊を覚えました……ぼ、ボクは、原初から、アキラ様こそが、唯一たる『0』であることを信じておりました……!」

「淑蓮、翻訳して」

『あなたは、カレーになにをかけますか?』


 絶対、そうはならんやろ。


「ソース」


 一応、答えとこ。


「そ、そのとおりです……純然たるソースこそが、アキラ様の内在にて光り輝くのです……!」

『あなたは、カレーになにをかけますか?』


 なに言っても、カレーに翻訳するじゃん、この翻訳機いもうと……


「あ、あの……ぼ、ボクは、帰りのボートの準備をして来ようと思いますが……? し、執事の方々が……ち、近くの観光地まで、送ってくれるそうです……」

「あぁ、悪いな。俺は、ちょっと、海を視てくるから」

「お兄ちゃんと、これからデートでぇす! 兄妹、水入らず! 兄妹、水入らず!! お兄ちゃんの匂い、すりすり~!!」


 徐々に由羅の目が死んでいくので、俺は淑蓮を引っ剥がす。


「いいから、お前も、由羅を手伝ってこい。お兄ちゃんは、妹を、人様のお手伝いも出来ないようなファッキンに育てた覚えはありませんよ」

「え……や、やだもん……な、なんで、そんな意地悪言うの……!?」

「帰りのボート、誰の隣に座ろっか――」

「行こう、由羅先輩! 早く、準備を終わらせて、お家に帰ろうよ!!」

「う、うん……」


 ようやく邪魔者を追い払い、俺は、見慣れた砂浜にまで足を運ぶ。


 朝焼けを映した海原は、燐光をまとって、清々しいそよ風に包まれていた。水面に反射した太陽光が、俺に合図して、その眩しさに手ひさしを作る。


「世話になったな」


 俺は、アロハ・カニオとナマコを、そっと海原に返す。


 ようやく解放されたと言わんばかりに、二匹は、打ち寄せてきた波の中に沈んでいって、あっという間に消え失せた。


「これで、ようやく、終わっ――」

「アキラくんっ!!」


 焦燥を刻んだ水無月さんの叫び声、その前を先行して走る影。


 事態を把握した俺は、駆け出して追いかける。


 走って走って走って……切り立った岸壁に立つ、フィーネ・アルムホルトを見据える。


「……よう」


 滲んだ汗を拭う。


 俺は、崖を背景バックに立ち尽くす、美しい少女に話しかける。


「急な運動は……あまり、身体によくないぞ」


 この時間帯、恐らく、干潮だ。


 崖から落ちて水面に叩きつけられれば、まず助からない。


「……フィーは、敗けたのね」


 か細い声で、フィーネは言った。


 あたかも、機械人形の発した、合成音声みたいに。


 虚しいまでの“空白”が、彼女の声音に混じって、波音に打ち消される。


「正直言って、敗けるとは思いもしなかった……フィーの愛が敗けるわけないって……だって、パパのことを想い続けて、ずっと生き続けてきたの……心臓を動かしたり呼吸するのと同じことだったのよ……フィーの生きる目的はね……パパに……パパに、もう一度……もう一度だけ、会うことだったの……」


 感傷が、潮風に流されて、俺の耳朶を優しく打った。


「どうして、フィーは、パパのPCを開いてしまったのかしら……壁に、あんなものを書かなければ……あのままでいられたのかしら……ふふ、まるで、パンドラの箱みたい……フィーの開いた箱には、希望なんて残らなかった……ただ、フィーは、パパとママと、チェスで遊びたかっただけなのに……」

「フィーネ! お願い、こっちへ!!」


 涙を溜めている水無月さんは、叫ぶ。


「お願い!! まだ、戻れる!! こっちへ!! こっちへ、来なさいっ!! フィーネッ!!」

「しあわせだったの……フィーのパパもママもね……笑ってたのよ……一緒にバースデイケーキを食べたの……フィーのほっぺにクリームがついて……パパが笑いながら、拭いてくれた……そして、ママが、歌ってくれたの……誕生日の歌……生まれてきてくれ、ありがとうって……」


 俺は、自然な動作で、革靴と靴下を脱いだ。


「どうして、フィーは、生まれてきちゃダメな子になったのかな……いつの間にか、バケモノに……カフカの書いた芋虫みたいに……うとんじられて……消えろって言われてる……しあわせだったのに……パパとママをふこうにしちゃったのね……」


 フィーネ・アルムホルトは、陽光を浴びながら。


 涙を流し、微笑んだ。


「ねぇ、知ってる……絵本に描かれてるバケモノが……素敵な王子様の手で、どうされるのか……?」


 水無月さんよりも速く――俺は、踏み込んだ。


討滅うちほろぼされるんだよ」


 ぐらり。


 フィーネの身体が傾いて、崖の向こう側へと消えてゆく。


「ダメッ!! アキラくんっ!!」


 既に走り出していた俺は、激痛を足裏に感じながら全力疾走し――躊躇ちゅうちょなく、跳んだ。


 凄まじい勢いで落下した俺は、彼女に追いついて引き寄せ、自分の胸元に頭を抱え込んだままちる。


 ぐわん、ぐわん、ぐわん。


 耳元の空気が疾風に切り裂かれて、凍てつくような寒さが全身を覆い尽くし、俺は衝撃を覚悟して目を閉じ――沈んだ。


「ん?」


 ネット


 崖の途中から張られた網は、崖下に停泊していた一台のボートに繋げられていて、滑り台のようになっていた。絶妙な角度に調整されていた網の滑り台を伝い、俺は、ゆっくりと下りていく。


「よう、桐谷」


 そして、ボートの上から――


「アロハ~!」


 アロハシャツ姿の雲谷先生が、サングラスを外し、片手を挙げる。


「まさか、網猟をしていたら、教え子と美少女が引っかかるとはな……教師人生も長いが、奇妙なこともあるもんだ」

「う、うんやしぇんしぇ~!!」


 俺は、雲谷先生へと飛びかかり――放り投げられて、海へとダイブする。


「なにしやがんですか、このクソ教師!! カワイイ教え子に対して、ナチュラルなドメスティックバイオレンス!! 教師人生、終わらせてやるからなテメェ!!」

「急に殴りかかってくるからだろ……ほら、掴まれ」


 カワイイ教え子を助けにこなかったんだから、殴って当たり前だ。


 投げ渡された、ロープ付きの浮き輪に掴まって、俺はボート上に帰還する。


 久方ぶりに視る三十路教師は、爽やかな笑みを浮かべていて、悪びれもせずに胸ポケットから煙草を取り出した。


「ん? なんだ、桐谷。お前、足がズタボロじゃないか」

「え、あぁ、まぁ」


 地面の石が余程鋭利だったのか、皮が引き裂かれ、ピンク色の肉が視えている足裏を見つめる。


「履き慣れてない革靴だと、速度が落ちますからね。合理的に考えて、脱いだほうがいいかと」

「さすがは、私の教え子だ。ついに、善行に意味を見出したか」

「は? 自分の現金自動預け払い機ATMが落ちてったら、普通、命懸けで拾いに行くでしょ?」

「……ま、好きに言え」


 煙草を咥えるだけ咥えて、火をけようともしない教師はニヒルに笑った。俺ですら結婚してるのに、独身風情が、なにを笑ってるんだろうか。


 茫然自失としているフィーネに目をやると、彼女はぼそりとつぶやく。


「……なんで、たすけたの?」


 淀んだ目の彼女は、死に囚われているようで、俺は面倒になりながらも応える。


「金よこせ」

「……は?」


 ぽかんと口を開いたフィーネに、俺は片手を突き出す。


「今回の迷惑料、三百億くらいでいいや。払えよ。払い終わったら、勝手に死ね。お前の生き死になんて興味ないしな。

 敗けたくせに、代価も払わずに、自殺できると思うなよ。卑怯者が」

「……なにそれ」


 フィーネは、力なく、涙を流す。


「本気で死のうとしたフィーが……バカみたい……」

「ばぁーか!! ぶぁーかっ!!」

「この場面で煽れるのは、お前くらいのもんだよ桐谷」


 煽り、全一なんで(誇り)。


 加齢に(小粋な三十路ジョーク。華麗に)ボートを片手運転した、雲谷先生の手で、俺とフィーネは沖へと戻される。


「フィーネ……アキラくん……」


 俺たちを出迎えた水無月さんは、安堵の笑みを浮かべて俺に抱きつく。


「良かった生きてて……もし、死んでたら、アキラくんのこと殺しちゃってたかもしれない……」


 普通の人間ひとは、二度も死ねないって知ってた?


「一件落着、だな」


 雲谷先生は笑って――駆けてきた淑蓮と由羅が、硬直する。


「なんだ、どうした?」


 いぶかしんだ俺に対して、ふたりはぎこちなく歩を止める。


「お兄ちゃん」


 緊張で引きつった面のまま、淑蓮はささやいた。


「ソイツから離れて」

「大丈夫だ、安心しろ。

 フィーネは、もう、無力化し――」

「そっちじゃない」

「は?」


 俺は、後ろを振り向いてから向き直る。


「どっち?」

「お兄ちゃん……気づいてるでしょ……モモ先生のお墓は、傷隠しテープで没年を隠されてた……同じ傷隠しテープを使ったトリックは、誰が衣笠先輩に指示して使わせてたの……?」


 どくんと、心臓が跳ねる。


「わたしたち、三人をこの島に連れてきたのは誰……フィーネ・アルムホルトとの勝負を成立させて……急に消えたのは……それに、決定的な盤外上の一手……」


 脳を揺さぶられて、俺は理解する。


「腕時計の鍵を用意して、お兄ちゃんを勝利“させた”のは――誰?」


 いや、理解してしまう。


 この状況を構築したのは、フィーネ・アルムホルトではなく――ぐいっと、引っ張り込まれて――俺は、彼女の笑顔を見つめる。


「悪いな、桐谷」


 ただ、雲谷先生かのじょを。


「私が――最後の相手ラスボスだ」


 見つめる。


 突風が吹いて、なにもかもが、舞い上がった。


 髪も、目も、服も、宙空へと浮遊させた雲谷先生は、上空から舞い降りてきたヘリコプターを見上げる。


「誰も選べなかったら、私のことを選べと……私は言ったな」


 凄まじい回転音の破裂、すべてが、弾けてしまったようで。


「アレは、お願いじゃない――命令だよ」


 続けて、彼女は、なにごとかをささやいた。


 ロータの回転音で、聞こえなくて。


 聞き返そうとして、見上げると、彼女は哀しそうに微笑んでいた。


 水無月さんたちは、何事かを叫んでいたが、背後からやって来た民間軍事会社PMCたちに拘束される。


 そして、なにもかもが遠ざかり、移ろってゆく。


 こうして、俺の――長い休暇が終わった。

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