人生で、一度は言ってみたいセリフ

 教会の中に、荘厳な音楽が響き渡る。


 慣れないスーツを着た俺は、最前列に腰掛けて、ウエディングケーキを食べていた。アロハ海をイメージしているのか、青色のゼリーがかけられたケーキは、ソーダの爽やかな甘みがあって美味しい。


「あの……式、始まってますが?」

「そりゃそうだろ」


 祭服を身に着けている神父様は、視線だけで周囲に助けを求める。


 当然のことながら、誰も反応したりはしなかった。


「無駄無駄。俺からフィーネに言えば、コイツらの職も命もなくなるんだから。外を見張ってる民間軍事会社PMCならともかく、教会内部にいる執事連中の練度じゃ、俺に物申せるヤツはいないだろ」

「ま、まだ、ケーキ入刀の時間ではないのですが……」

「大丈夫、フォークで取ったから」

「…………」


 執事の中に混じっていた由羅が、注意するフリをして近づいてくる。


「あ、あの、アキラ様……ほ、本当に、大丈夫ですか……にゅ、入場時にボディチェックされて……な、なにも持ち込めなかったみたいですが……い、一応、例のものの設置は終わりましたけど……」

「ご苦労。まぁ、大丈夫だ。

 ほら」


 俺は、懐から業務用の納豆パックを取り出す。


 普段、量販店で目にするソレよりも数倍の大きさ……そのあまりの巨大さに恐れを為したのか、由羅は目を丸くする。


「納豆の持ち込みは許された」

「え、えぇ……そ、それは許されるでしょうが……あ、あまり意味がないのでは……?」

「なに言ってんだ? 

 どう考えても、最重要なん――」

「そうですね」


 なんで、笑顔でさえぎったの? 納豆、ぶつけるよ?


「外の様子はどうだった? 未確認飛行物体UFOでも飛んでたか?」


 ようやく、フィーネの“特別製”から解き放たれて、正式にフィーネの腕時計を身に着けた俺は腕を振る。


「い、いえ……未確認飛行物体UFOの代わりに、高解像度カメラの付いた無人航空機ドローンが島を巡回していました……そ、それと、昨日の夜、島内に設置されていた民間軍事会社PMC基地ベースに侵入の痕跡があったとのことで……」

「水無月さんと淑蓮か」

「た、たぶん……に、二回も侵入も許すなんて……と、とんだ頓馬とんまですよね……えへへ……」


 冗談交じりに、由羅はそう言うが、さすがの水無月さんでも不可能だ。プロ相手に空手で、二度も侵入を果たせるとは思えない。


 ――わたしたちに達成感を与えつつ目の前に餌をぶら下げて、奥に進むようにこの別荘が“デザイン”されてるの。レベルデザイン。つまり、ロールプレイングゲームと同じ


 侵入できたんじゃない。侵入させられたんだ。


「結婚は、人生の墓場Endingか……」


 雲谷先生デウス・エクス・マキナが助けに来て、俺のことを格好良く連れ去ってくれねぇかなぁ。そうすれば、面倒事が全部なくなって、元の地雷回避ゲームするだけの日常に戻れるんだが。


 ――誰も選べなかったら、私のことを選べ


「選んで欲しいなら、とっとと、助けに来――」

「新婦の入場です!」


 唐突。


 会場内に、拡声された案内が流れた。


 不意打ち気味に、教会の大扉が開いて――月の灯火が、煌々と世を照らす。


「…………」


 真夜中に行われた貞潔の儀式は、たったの一目で、月の女神アルテミスの名の下にひれ伏した。


 彼女が、姿を示す。


 純白の清装ウエディングドレスを着たフィーネ・アルムホルトは、異様なまでに美しかった。忽然、風が止んで、水面みなもが静まり返っていくような……誰もが打ちひしがれて、静寂しじまが浸透してゆく。


 世のすべてを月光で打ち払うかのように、炯炯けいけいたる眼差しが進路を指す。


 月の魔力に満ちた、マリアベール。


 透明色の白をかぶった彼女が、ゆっくりと踏み出す度、足元に波紋が広がっていくような気さえした。


 月面上。


 重力を失ったかのように、意識が反転して、眼前の美貌に吸い込まれる。


 月の女神フィーネは、そっと、俺の隣に立った。


 そして、月の瞼アクアマリンが――見開かれていく。


「パパ」


 彼女は、微笑む。


「約束、守ってくれてありがとう……フィーも、ずっと、憶えてたよ……」


 本来、父と歩くべき、人生ヴァージンロードをひとりで渡った彼女は――こわごわと、俺の手を握った。


「愛してるよ、パパ……」


 フィーネ・アルムホルトの手は、ぶるぶると震えていた。


 拒否される恐ろしさに、その恐怖に、少女のようにして震え上がっていた。紛れもなく、彼女は、己が人間であることを証明している。


 なのに、彼女は、機械になりたがった。


 パパの望む反応を返す、ゼンマイ式の“素敵ななにか”に。


「……男の子が、なにで出来てるか知ってるか?」

「え?」


 約束通り、俺は、彼女に童謡マザーグースを教えてやった。


「カニとナマコ、それと納豆だよ」

「……本当に、納豆が好きなのね?」


 俺は、業務用の納豆パックを取り出して、笑いかける。


「一緒に食うか?」

「ごめんね、無理なの……パパは、納豆は食べないから」

「大丈夫だ。俺は食うから」

「勝てないよ? 衣笠由羅を使って、外部との連絡手段を探ってたんでしょ? 全部、潰したから。

 納豆が大好きだったみたいだから、ソレだけは見逃してあげたけど」

「そうか。

 なら、アレも――見逃してくれたのか?」


 フィーネは、小首を傾げる。


 その瞬間、無線を開いた執事のひとりが、大きな声を上げる。


「フィーネ様!! 大変です!! 島のあちこちに、アキラ・キリタニが現れま――」

「BUNG!」


 ウィンクしたフィーネが、執事のひとりを撃つ素振りを見せる。呼応して、屈強な男たちが立ち上がり、叫んだ彼を羽交い締めにした。


「ごめんね。教会内にいるのは、全員が、執事たちじゃないの。会場内にいる半数は、絶対に、フィーを裏切らない民間軍事会社PMCを紛れ込ませてたから……制服って、便利よね。軍人が執事服を着込んで、執事が軍服を身に着けたら、入れ替わりなんて簡単だもの。

 衣笠由羅を通して、執事の一部を手懐けてたのはとうの昔に掴んでた」


 フィーネは、小指に引っ掛けるみたいにして、昨日まで俺が着けていた特別製の腕時計を取り出す。


「あと、アキラくん、コレに仕掛けてた盗聴器の存在にも気づいてたよね? 気づいてくれると思って、わざわざ、あんな玩具おもちゃを仕掛けてたんだけど……まだ、策は終わりじゃないよね? 今度は、なんの前座パフォーマンスを見せてくれるの?」

「おいおい、焦るなよ」


 えっ!? 盗聴器なんてついてたの!?


「お楽しみは、これからだぜ」

「フィーネ様」


 音もなく近づいてきた男のひとりが、フィーネに耳打ちをする。


「……どうやら、先程の裏切り者が叫んだ内容は、真実だったようです。ただの扇動者アジテーターではない。アキラ・キリタニらしき者が、島内に潜んでいるとの報告が」

「はぁ~ん、はぁん、はぁ~んはぁ~ん! はぁん、はぁん、はぁん、はぁあ~ん!!」


 パッヘルベルのカノン(卒業式や結婚式などでお馴染み)の鼻歌で、花嫁を煽っていると、顔色ひとつ変えないフィーネがささやく。


「全員、撃ち殺しなさい」

「……え?」


 耳を疑ったのか、男は問い返す。


「全員、撃ち殺して」


 フィーネは、綺麗な笑顔でそう言って、男が無線機越しに指示を出し――神聖なる教会に、銃声が鳴り響いた。


「うわぁん! ボクの新鮮なアキラ様がぁ!!」


 島内に持ち込んでいた、俺の実寸サイズフィギュアを破壊され、由羅がたまらずに泣き叫ぶ。


「それで」


 とろけるような恍惚とした微笑で、フィーネは俺に尋ねる。


「おわり?」

「……今から、土下座したら、許してくれます?」

ゆるさない」


 そして、フィーネは、身につけている俺の腕時計を撫で付ける。


「でも、契約を結んでくれるなら、ゆるしてあげる……フィーは、パパのすることなら、なんでもゆるすよ……だって、フィーたち、愛し合う家族同士なんだから……しあわせな……えほんのひょーしみたいな……かぞく……」


 身と唇を寄せてきたフィーネは、祝福の鐘アラートを鳴らすために、腕時計のロックを外し――勢いよく、大扉が開いた。


 差し込んだ、月の光。


 照らすのは、見慣れたその顔。


 久方ぶりに視る彼女は、ちっとも変わっていない。その顔貌は、俺への愛できらきらと輝いている。


 だから、俺は肩の力を抜いてささやく。


「待ってたよ」


 はじめて、本当の意味で、俺は言った。


「水無月さん」


 彼女は、顔を上げる。


「その結婚!!」


 水無月結ヤンデレは、大声で叫んだ。


「ちょっと、待っ――」

「ちょっと、待ったぁああああああああああああああっ!!」


 叫んだ俺は、その場で飛び跳ねて、練習していた着地をキメる。


「その結婚!!」


 そして、もう一度、繰り返した。


「ちょっと、待ったぁああああああああああああああっ!!」


 会場が、恐ろしいくらいの速さで静まり返った。その凍てついた反応をもって、俺は、自身の成し遂げたことに震える。


 一分、二分、三分……ぼそりと、フィーネがつぶやいた。


「……それ」


 俺は、無言で、立ち上がる。


「パパが言うの?」

「うん」


 俺が言う。

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