人生で、一度は言ってみたいセリフ
教会の中に、荘厳な音楽が響き渡る。
慣れないスーツを着た俺は、最前列に腰掛けて、ウエディングケーキを食べていた。アロハ海をイメージしているのか、青色のゼリーがかけられたケーキは、ソーダの爽やかな甘みがあって美味しい。
「あの……式、始まってますが?」
「そりゃそうだろ」
祭服を身に着けている神父様は、視線だけで周囲に助けを求める。
当然のことながら、誰も反応したりはしなかった。
「無駄無駄。俺からフィーネに言えば、コイツらの職も命もなくなるんだから。外を見張ってる
「ま、まだ、ケーキ入刀の時間ではないのですが……」
「大丈夫、フォークで取ったから」
「…………」
執事の中に混じっていた由羅が、注意するフリをして近づいてくる。
「あ、あの、アキラ様……ほ、本当に、大丈夫ですか……にゅ、入場時にボディチェックされて……な、なにも持ち込めなかったみたいですが……い、一応、例のものの設置は終わりましたけど……」
「ご苦労。まぁ、大丈夫だ。
ほら」
俺は、懐から業務用の納豆パックを取り出す。
普段、量販店で目にするソレよりも数倍の大きさ……そのあまりの巨大さに恐れを為したのか、由羅は目を丸くする。
「納豆の持ち込みは許された」
「え、えぇ……そ、それは許されるでしょうが……あ、あまり意味がないのでは……?」
「なに言ってんだ?
どう考えても、最重要なん――」
「そうですね」
なんで、笑顔で
「外の様子はどうだった?
ようやく、フィーネの“特別製”から解き放たれて、正式にフィーネの腕時計を身に着けた俺は腕を振る。
「い、いえ……
「水無月さんと淑蓮か」
「た、たぶん……に、二回も侵入も許すなんて……と、とんだ
冗談交じりに、由羅はそう言うが、さすがの水無月さんでも不可能だ。プロ相手に空手で、二度も侵入を果たせるとは思えない。
――わたしたちに達成感を与えつつ目の前に餌をぶら下げて、奥に進むようにこの別荘が“デザイン”されてるの。レベルデザイン。つまり、ロールプレイングゲームと同じ
侵入できたんじゃない。侵入させられたんだ。
「結婚は、
――誰も選べなかったら、私のことを選べ
「選んで欲しいなら、とっとと、助けに来――」
「新婦の入場です!」
唐突。
会場内に、拡声された案内が流れた。
不意打ち気味に、教会の大扉が開いて――月の灯火が、煌々と世を照らす。
「…………」
真夜中に行われた貞潔の儀式は、たったの一目で、
彼女が、姿を示す。
世のすべてを月光で打ち払うかのように、
月の魔力に満ちた、マリアベール。
透明色の白をかぶった彼女が、ゆっくりと踏み出す度、足元に波紋が広がっていくような気さえした。
月面上。
重力を失ったかのように、意識が反転して、眼前の美貌に吸い込まれる。
そして、
「パパ」
彼女は、微笑む。
「約束、守ってくれてありがとう……フィーも、ずっと、憶えてたよ……」
本来、父と歩くべき、
「愛してるよ、パパ……」
フィーネ・アルムホルトの手は、ぶるぶると震えていた。
拒否される恐ろしさに、その恐怖に、少女のようにして震え上がっていた。紛れもなく、彼女は、己が人間であることを証明している。
なのに、彼女は、機械になりたがった。
「……男の子が、なにで出来てるか知ってるか?」
「え?」
約束通り、俺は、彼女に
「カニとナマコ、それと納豆だよ」
「……本当に、納豆が好きなのね?」
俺は、業務用の納豆パックを取り出して、笑いかける。
「一緒に食うか?」
「ごめんね、無理なの……パパは、納豆は食べないから」
「大丈夫だ。俺は食うから」
「勝てないよ? 衣笠由羅を使って、外部との連絡手段を探ってたんでしょ? 全部、潰したから。
納豆が大好きだったみたいだから、ソレだけは見逃してあげたけど」
「そうか。
なら、アレも――見逃してくれたのか?」
フィーネは、小首を傾げる。
その瞬間、無線を開いた執事のひとりが、大きな声を上げる。
「フィーネ様!! 大変です!! 島のあちこちに、アキラ・キリタニが現れま――」
「BUNG!」
ウィンクしたフィーネが、執事のひとりを撃つ素振りを見せる。呼応して、屈強な男たちが立ち上がり、叫んだ彼を羽交い締めにした。
「ごめんね。教会内にいるのは、全員が、執事たちじゃないの。会場内にいる半数は、絶対に、フィーを裏切らない
衣笠由羅を通して、執事の一部を手懐けてたのはとうの昔に掴んでた」
フィーネは、小指に引っ掛けるみたいにして、昨日まで俺が着けていた特別製の腕時計を取り出す。
「あと、アキラくん、コレに仕掛けてた盗聴器の存在にも気づいてたよね? 気づいてくれると思って、わざわざ、あんな
「おいおい、焦るなよ」
えっ!? 盗聴器なんてついてたの!?
「お楽しみは、これからだぜ」
「フィーネ様」
音もなく近づいてきた男のひとりが、フィーネに耳打ちをする。
「……どうやら、先程の裏切り者が叫んだ内容は、真実だったようです。ただの
「はぁ~ん、はぁん、はぁ~んはぁ~ん! はぁん、はぁん、はぁん、はぁあ~ん!!」
パッヘルベルのカノン(卒業式や結婚式などでお馴染み)の鼻歌で、花嫁を煽っていると、顔色ひとつ変えないフィーネがささやく。
「全員、撃ち殺しなさい」
「……え?」
耳を疑ったのか、男は問い返す。
「全員、撃ち殺して」
フィーネは、綺麗な笑顔でそう言って、男が無線機越しに指示を出し――神聖なる教会に、銃声が鳴り響いた。
「うわぁん! ボクの新鮮なアキラ様がぁ!!」
島内に持ち込んでいた、俺の実寸サイズフィギュアを破壊され、由羅がたまらずに泣き叫ぶ。
「それで」
とろけるような恍惚とした微笑で、フィーネは俺に尋ねる。
「おわり?」
「……今から、土下座したら、許してくれます?」
「
そして、フィーネは、身につけている俺の腕時計を撫で付ける。
「でも、契約を結んでくれるなら、
身と唇を寄せてきたフィーネは、
差し込んだ、月の光。
照らすのは、見慣れたその顔。
久方ぶりに視る彼女は、ちっとも変わっていない。その顔貌は、俺への愛できらきらと輝いている。
だから、俺は肩の力を抜いてささやく。
「待ってたよ」
はじめて、本当の意味で、俺は言った。
「水無月さん」
彼女は、顔を上げる。
「その結婚!!」
「ちょっと、待っ――」
「ちょっと、待ったぁああああああああああああああっ!!」
叫んだ俺は、その場で飛び跳ねて、練習していた着地をキメる。
「その結婚!!」
そして、もう一度、繰り返した。
「ちょっと、待ったぁああああああああああああああっ!!」
会場が、恐ろしいくらいの速さで静まり返った。その凍てついた反応をもって、俺は、自身の成し遂げたことに震える。
一分、二分、三分……ぼそりと、フィーネがつぶやいた。
「……それ」
俺は、無言で、立ち上がる。
「パパが言うの?」
「うん」
俺が言う。
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