論理的な愛

 屋根の上。


 満点の星空の下で、俺は、ぼんやりと海を見つめていた。


 月明かりを浴びて、かすかなきらめきを放つ海原は、怪しげな静寂さに満ちている。海の底にはあの世があって、青白い肌の死者たちが、月光の死路を行進してくるような気がした。


「あ、アキラ様……」


 上がってきた由羅が、俺の隣に腰を下ろす。


「き、聞きました……あ、明日、フィーネ・アルムホルトとの結婚式を執り行うと……ど、どうなさるおつもりですか……?」

「どうなさるおつもりなんだろうなぁ」


 俺は、身につけている腕時計に指で触れる。


 動きに反応した由羅は、市販品のカタチをしている時計に目をやった。


「う、腕時計は……特別製のものとすり替えられてしまったんですよね……つ、つまり、アキラ様の腕時計は、フィーネ・アルムホルトが所持していて……しょ、勝利条件を満たすには、“鍵”が足りていないのでは……」

「この勝負ゲームの勝利条件は、たったのひとつ」


 指を一本立てて、俺はつぶやく。


「組になっている腕時計……俺とフィーネ、それぞれの腕時計を互いに身に着け、鳴らし、“愛”を証明すること。

 つまり――フィーネは、明日、決着を着けるつもりだ」


 そうだ、そうとしか考えられない。


 恐らく、この勝負ゲームの帰結は、最初から考えられていたに違いない。そうでもなければ、わざわざ、この島に教会を建てておく意味がないのだから。


 ――浴槽ですり替えたパパの腕時計は、その時がきたら戻してあげるから


 フィーネ・アルムホルトの計算機ブレインは、正確に答えを弾き出して、的確な“時”を算出している。


「やられたな……俺は、この勝負ゲーム規定ルールを誤認させられていた……選択は、俺にゆだねられていると勘違いしていた……だが、違う……俺に選択権なんてなかった……フィーネは、選択肢がひとつしかないことを知っていた……」

「え、え……ど、どういう、意味ですか……?」

「教会での結婚式だよ」


 ピンとこないのか、由羅は小首を傾げる。


「キリスト教式の結婚式で、神父から新郎新婦に求められるものはなんだ?」


 由羅は、ゆっくりと、目を見開く。


「誓いの……言葉……」

「そうだ、神の御前で誓うことで、まごうことなき愛が示される。

 フィーネは、論理的に――俺の愛を証明しようとしている」


 俺は、ため息を吐く。


「正直言って、盲点だった。愛なんて抽象的な概念を、論理的に証明するなんて、不可能だと思ってたからな。だからこそ、俺の側に選択権があると勘違いして、自分に優勢アドバンテージがあると感じていた。

 よくよく考えてみれば、愛という抽象概念を、契約という理論に置き換えるのは実に簡単なことだったんだ」

「ゆ、指輪の代わりに……時計を交換するつもりですか……?」

「そして、祝福の鐘アラートがなる」


 仰向けに寝転がった俺は、ゆっくりと動く衛星を目で追いかけた。


「勝利条件は、完全に満たされる……お前らが幾ら騒いだところで、理の立たない論を、フィーネがとすることはない」

「ち、誓いの言葉を……口に出さなければ……!?」

「俺がちょっと考えただけでも、対策は幾らでも考えつくぞ。

 アレが罠だった以上、『フィーネ、俺たち、結婚しよう』という発言は録音されているだろうし、腕時計にスピーカーでも取り付けて合成音声で『誓います』って再生すれば、つつがなく結婚式は進行する」

「だ、だったら、結婚式をめちゃくちゃにすれば……!?」

「無理だな。もう、封じられた」


 眠たくなってきて、俺はあくびをする。


「結婚式っていう舞台を設定された以上、もう、奇襲の機会チャンスは失われたからな。

 敵がどこに攻めてくるか判明してれば、防衛側の難易度は著しく下がる。仕込みは、ほぼほぼ、不可能。あんな狭い箱の警備だったら、執事連中と民間軍事会社PMCで十二分、有り余ってるくらいだ。

 鼠一匹、入れないだろうな」

「……アキラ様は、抵抗する気が、ないんですか?」


 片目を開けて、くらい目をしている由羅を見つめる。


「今のところ、俺は、フィーネの玩具ラジコンに過ぎない。無駄に足掻いたところで、必ず、新郎として結婚式に参加させられて、フィーネ・アルムホルトの前で愛を誓うことになる」

「……けむに巻けばいい」

「もう遅い。流れは決まった。結婚式当日、俺が暴れ回って口をつぐんだところで、絶対に誓いの言葉を吐くことになる。

 だったら、もう、受け入れるしかない」

「…………」

「やめとけ」


 渦巻いている不穏な気に向かって、俺は優しい言葉を吐いた。


「もう、勝負は着いた。終わりだ」


 俺は、目を閉じる。


 数分後、目を開いた時には、既に由羅の姿が消えていた。


「……後は、流れるだけだ」


 夜空を――星が、流れていった。






『準備は?』


 ゆいは、震える手を握り締める。


『わかってるとは思いますけど、一発勝負ですからね。その“爆弾”が、上手く爆発するともわからない』

「えぇ、わかってる」


 薄暗闇の中、彼女は、無線機から流れる声に応える。


『正直言って、意外でした』

「なにが?」

『水無月先輩は、論理のみを信じる人間かと』

「……いい言葉を教えてあげる」


 恐怖で震えている足を押さえつけながら、水無月結は、超えるべき相手フィーネ・アルムホルトを思い描き――笑った。


愛はすLoveべてに打ちconquers勝つall


 深呼吸をして――踏み出した。

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