古事記にだって、ヤンデレが出てくる

「腕時計、交換したでしょ?」


 風呂から上がった俺は、彼女と同衾どうきんしていた。


 フィーネは、子供っぽいもこもことしたパジャマを着ている。悪辣あくらつなる魂をもつ者には似つかわしくないが、容姿だけは抜群なので似合ってしまっていた。


 俺にピッタリと寄り添ったフィーネは、早くページをめくるようにと俺の腕を揺すった。仕方がないので、俺は、張り切って『シンデレラ』を読む。


「もぉもたろさん!! もぉもたろさぁん!!」

「パパ、それ、『桃太郎』」


 白金プラチナの髪から、シャンプーの良い香りが漂ってくる。


 いつものハニトラかと疑ったが、フィーネは、純粋に俺とのコミュニケーションを楽しんでいるようだった。ぱたぱたと両足を振って、ニコニコとしている分には、人間の形をした悪魔ぐらいには視える(普段は、悪魔の形をした地獄)。


「ねぇ、腕時計、交換したんでしょ? Look at me!」


 抱きついてきたフィーネが、あむあむと脇腹を甘噛してくる。


「腕時計って、なんの話だ? 変なことを言うフィーネには、もう、シンデレラは読んでやらないからな?

 ここ伊邪那岐命いざなぎのみこと、先ず「あなにやし、えをとめを」と言のりた――」

「パパ、それ、『古事記』」


 テディベアを胸元に抱えたフィーネが、くすくすと笑う。


「一緒にチェスで遊んだ時、フィーの腕時計と偽物の腕時計を交換したじゃない。意図がない行動なんて存在しないもの。

 だって、このお遊戯ゲームの勝利条件は、指定音アラートを鳴らして愛を証明すること。パパの考えている通り、指定音アラートが流れるように設定されてるのは、フィーとパパの腕時計だけだもの。

 だから、これ」


 俺は、一緒に賭けゲームをして遊んだ民間軍事会社PMCのおっさんに、外形だけは酷似している腕時計を用意させていた。


 自分の手首から外した腕時計を、フィーネは、これ見よがしに振ってみせる。


「素材も部品も異なるから、重量で偽物Fakeだって直ぐにわかる。外形は市販品を流用したのは、悪手だったかな」

「バカ言うなよ。はなから、自分で利用するつもりで外形を似せたんだろ?

 善人がだまされるのは、悪事が盲点だからだよ」

「……素敵Lovely


 鬼気迫るほどの美貌で、フィーネは微笑して――俺の首を掴む。


「で――」

「ごめんなさい!! 調子にのりました!! 大変、申し訳ございませんでしたぁ!! 御御足おみあしをお舐めします!! ぺろぺろぉ!!」


 舐める気なんてないので、素足をこしょこしょとくすぐるに留めておく。


 笑わせれば、こちらのものだ!! 感情をコントロールしてやるぞ、あばずれが!!


「…………」


 わ、笑ってよ……あんたが笑ってくれないと……わたし……


「ねぇ、パパ。パパはパパなんだから。パパらしくてしてよ。本当に。そろそろ。パパにパパでいてもらわないと、無理矢理にでもパパになってもらうよ。パパがパパらしくるために、そのためだけにパパが在るんだから」


 ここで、視聴者プレゼントだ! フィーネが何回パパと言ったのかを記入して、ヤンデレ研究部に送ってくれ! 抽選で一命様に、『死んで覚える、ヤンデレの落とされ方』をプレゼント! ドシドシ、応募してくれよなっ!!


「……頭、撫でて」


 オラッ!! 惚れろ!! 惚れろ、オラッ!!


 命を懸けたナデナデによって、フィーネの表情が、少しずつ緩んでいく。どうやら、まだ、パパには希少価値があるらしい。


「……フィーの腕時計を手に入れて、ゆいを勝たせるつもりだったの?」


 異様なくらいに艷やかで、さらさらと指の間を流れる髪の毛。されるがままのフィーネの髪をいてやりながら、答えにきゅうする。


 俺は、まだ、選べていない。


「もし、腕時計を交換してたとしても」


 長い白金プラチナを整えながら、俺はささやく。


「さっきの浴槽で、また、すり替えたんじゃないのか? 今、俺がつけてる腕時計には、お前の愛が詰まってるような気がするが」

「さすが、パパ」


 テディベアを枕元に置いたフィーネは、俺に抱きついて鼻先を擦りつけてくる。


「その腕時計はフィーのだよ……フィーがつけてるのも、同じのだけどね……コレで、お揃いだよ……」


 そっと、フィーネは、俺の手首に自分の手首を重ねる。


 視えるわけもない赤い糸を幻視しているかのように、合わさった腕時計を視て、彼女は恍惚とした表情で笑んだ。


「……嬉しいよ」


 間違いなく、コレは、フィーネの腕時計そのものじゃない。


 なにせ、勝利のために必須となるのは、俺の腕時計とフィーネの腕時計だ。敗北するつもりでもなければ、フィーネの腕時計をそのまま渡すわけがない。


 罠……なのは、確実だ。なにが仕掛けられているのか。


 だとすれば、俺がすることはひとつ!!


「あの……ちょっと、腕時計の鍵を外してもらってもいいですか?」

「ダメ。投げ捨てるつもりでしょ?」


 まぁ、だろうね(天才的微笑)


「浴槽ですり替えたパパの腕時計は、その時がきたら戻してあげるから。それまでは、その特別製を身に着けててね」


 可愛らしい笑顔を浮かべたフィーネが、俺の両腕にすっぽりとおさまる。


「それじゃあ、おやすみパパ……また、明日ね……」


 電気が消えて、数分もしないうちに寝息が聞こえてくる。


 真っ暗闇の中、単調な音の連続を聞いていると眠気を覚えた。


 俺は、掛け布団を胸元までたくし上げて、安眠に落ちていこうとして――足先が、柔らかなものに触れる。


 俺は、ゆっくりと、掛け布団を開いた。


 闇。

 闇の中。

 闇の中に、爛々と光るふたつのナニカが――


「アキラさま……アキラさま……」


 闇の住人は、粘つくような声で、俺の呪言をささやく。


「おむかえに……おむかえにあがりました……アキラさま……アキラさま……」


 俺は、そっと、掛け布団を被せ直して目を閉じた。

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