AIのチェックメイト

 フィーネ・アルムホルトのアクアマリンが――ルークを見つめていた。

 

 喪服に身を包んだ彼女は、宵闇にまぎれて、死の世界に連れ込まれたペルセポネーのようにも思える。

 

 ゆらゆら、ゆらゆら。

 

 窓際。純白のカーテン。そのゆれに合わせて、体育座りしているフィーネの体躯も、振り子のように揺れた。そよ風にさざめく薄布のカーテンは、透明色のヴェールをもって、彼女を担い手で包み込んでいた。


「…………」

「あの、フィーネ様?」


 側近の男の声にも、彼女は反応しない。ただただ、親指に描かれた顔を見つめて、瞬きひとつせずに集中しきっている。


「あの……」

「なんで」


 唐突に、彼女は声を漏らした。


「なんで、アキラくんは、フィーに勝たなかったの?」

「……は?」


 一部始終を扉の隙間から眺めていた彼は、思わず、呆けた声を漏らす。


 勝“た”なかった? な、なにを言ってるんだこの人は。アキラ・キリタニが勝てる要素なんて、ひとつもなかったじゃないか。王は途方に暮れたチェックメイトされてるのに、逆転なんて出来るわけないだろ。


 チェックメイト、つまりは詰みである。アキラ・キリタニの操るキングは、逃げ場を失くし、次の手番でルークに首を刈り取られる運命にあった。そうなればゲーム終了、彼の敗北となる。


「アキラ・キリタニは、詰んでいました……勝ち目なんてひとつも……ですから、フィーネ様、勝“た”なかったのではなく、正しくは勝“て”なかっ――」

「Computing Machinery and Intelligence」

「え、あ、は?」


 不思議そうに瞬きをした彼女は、美しい唇を割り開く。


「1950年」


 あやされるようにヒントを出されて、彼は正体不明の恐怖に襲われる。


 己が、壁になったような気分を彼は感じていた。彼女の自分本意な“ひとりごと”に巻き込まれて、一方的な思考をぶつけられているような感覚。古来の人々のように、いつか空が落ちてくることを信じ込み、阿呆話ナンセンスな恐慌に陥りそうな気分になる。


 立ち尽くす彼を無視して、フィーネは続ける。


「機械と人間の差異はなにか……アラン・マシスン・チューリングが提唱した、『機械は思考できるのか』という命題のこと。

 文字状の質問で、対象AとB、どちらが人間で機械なのか、判別することができるかという有名な『チューリングテスト』について記載されている」

「いや、あの、それが今回の話となんの関係が……」

「愚者のメイト《fool's mate》」


 くらくらとするような、酩酊感。


 フィーネ・アルムホルトは、対話を求めてなんていない。だからこそ、相手の理解を必要とせず、淡々と機械的に反応を示しているだけ……今の彼女は、人間Aなのか機械Bなのか。


「チェスにおける最速手のことよ。まず、人対人の対戦では起こりようがない。片方が片方を勝たせようとしない限りは」

「…………」

「アキラくんは、白のポーンでF3に打った」


 フィーネ・アルムホルトは、盤面の縦軸を数字、横軸をアルファベットとして、『F3』を示す位置に視線を注ぐ。


「愚者のメイト《fool's mate》に必要となる、相手を勝たせるための最初手……あの時、アキラくんは、恐らく、人間ではなかった……思考を捨てて、機械的に打っていた……対戦前のルール説明で、フィーが『愚者のメイト《fool's mate》』について説明したにも関わらず……」


 ようやく納得がいって、執事は驚愕で口を開く。


「つ、つまり、最初から勝つつもりがなかったっていうことですか!?」

「こちらをかき乱す戦法かと思ったけれど……アキラくんの次の手は、普遍的でつまらない一手だった……素人でも容易にわかるような、勝ち筋を幾つも準備してあげたのに……ひとつものらなかった……」


 彼女は、ぼそりとつぶやく。


「狙いは別にある《He has other intention》」


 ただの一局で、相手の思考を読み取ったかのようにして、フィーネ・アルムホルトは推測を突き詰める。たぶん、彼女は、興味のある対象に対して、異常なまでの執着をもって観察するのだ。


 そして、追い詰める。


「……腕時計か」


 フィーネは、テーブルに置かれた腕時計を見つめる。


「あぁ、なるほど、あの時にすり替えたのね」


 床に投げ出されていたルーク、対戦中のアキラ・キリタニが、苦し紛れに盤面上から排除した黒色の一手だった。


「す、すり替えた……そんな、まさか……敗けたらなにをされるのかもわからないのに……あのタイミングで、そんなことが出来るなんて……どんな胆力をしていたら……じ、尋常じゃない……」

「フィーのパパだもの」


 うっとりとした表情で、フィーネはルークに口づける。


「この腕時計をテーブル上に置かせるために、一度は勝負を渋ってみせたのね。いやいやながらの彼をテーブルにつかせるためには、対価としての勝利条件コレを提示する他ない」

「まさか……ほ、本当に、あんなバカみたいな演技で、記憶喪失のフリをしていた人間と同一人物なん――」

「バカ?」


 射殺される、と思った。


 大切なパパに対して、不用意な侮蔑を口にした彼を、背筋を伸ばしてじーっと見つめるふたつの瞳。いつの間にか、彼女の目の前に置かれている、SIG SAUER P226の銃口がみっつめの瞳としてこちらを覗き込む。


「誰が? バカ?」

「た、大変!! 大変、申し訳ありませんでしたっ!!」


 一瞬で全身がぬめつくほどに脂汗をかいた彼は、必死の形相で土下座をして、命を拾うために大声を張り上げる。


「ハワイ諸島の火山性土壌は、透過性に優れていて浸透能が多いから」


 ひたすらに、こちらを見つめる瞳が、興味なさげに語りかけていた。


「貴方の血液は、すぐに吸い込むと思うよ」

「……も、申し訳、ありませんでした」

「Whatever」


 立ち上がったフィーネ・アルムホルトは、土下座している彼の頭に、アキラ・キリタニがすり替えた腕時計を置いていく。


「すり替えには、すり替えで相対しようかな。

 フィーの腕時計、もう一個、もってきてくれる?」

「は、はい、わかりました」

「ゆいたちがこの館にやって来て、アキラくんがすり替えたフィーの腕時計を鳴らせるとは思えないし、フィー以外の女を愛せるとも感じないけど……侵入しようとしたら、撃ち殺していいから」


 更に頭を深く下げて、了解を示唆した。


「フィーは」


 フィーネ・アルムホルトは、聖歌を鼻歌で奏でながらささやく。


「今頃、恐怖でのたうっているアキラくんに――敗北の代償を与えてくるね」


 彼は、ただただ、恐れて、一度たりとも顔を上げられなかった。






「や、やめろ……た、たのむ、やめてくれ……」


 あまりの恐怖で、俺の口から、懇願こんがんが漏れ出る。


「や、やめ、やめ、やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 大声で、俺は恐慌を叫び――


「YAHOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!」

「クソッタレがぁあああああああああああああああああああああっ!!」


 ゴール直前で加速した車に追い抜かれ、二着でゴールした俺は、ゲーム機本体を蹴飛ばしてリセットをかける。


「オーマイガッ! アキラ! ルール、イハン、デース!!」


 一緒にレースゲームで遊んでいた、民間軍事会社PMC黒人おっさんが、異議を申し立ててくる。


 当然、頭脳派たる俺は、無線を見せびらかした。


「おいおい、落ち着けよブラザー。俺が愛するフィーネに連絡すれば、あんたら全員、海のもくずってことを忘れるなよ?」

「ヒキョウモノ!!」


 六位でゴールした白人のムキムキマッチョなおっさんが、無言でコントローラーを破壊して「ファッキンゲェム!!」と怒り狂う。欠かさず煽り立てると、俺に掴みかかってきて、別のマッチョたちが慌てて止める。


「アキラ、アオルノ! ヨク、アリマセーン!!」

「ノンノン? ノンノン?」


 人差し指を左右に振りながら、高速で反復横跳び。


 日本流で煽って差し上げると、入れ墨入りのマッチョがブチ切れて胸ぐらを掴んでくる。またももみくちゃになっていると、部屋の隅にいた金髪マッチョが、美少女の描かれたパッケージをすっと掲げた。


「ケンカ、ヨクナイ。コンドハ、モエゲー、ヤリマァス」

「「「Good!!」」」


 ひとつの携帯ゲーム機を俺がもち、マッチョたちに取り囲まれて、エッチなシーンが満載の萌えゲーを始める。


 否が応でも高まっていく熱量、筋肉に取り囲まれて、男たちの熱をもった息遣いが肌を通して伝わってくる。


「オーマイガー……クレイジー……ジャパニーズ……クレイジー……」

「SUSHI……TEMPURA……HENTAI……」

「ファッキンクレェイジィ……!」


 俺たちの熱い夜は、こうして過ぎていっ――背後に、強烈なまでの圧。


 振り向くと、言葉では形容しがたい形相をしたフィーネが、殺意と憤怒と憎悪をもって立ち尽くしていた。


「……どうやって、そんなもの持ち込んだの?」


 俺は、慈愛溢れる笑みを浮かべ、フィーネの肩を優しく叩いた。


「萌えに国境はないんだよ、フィ――」


 俺から取り上げた携帯ゲーム機を、地面に放ったフィーネは――無造作に、弾丸を三発ブチ込んだ。


 明滅、大音響、粉々のゲーム機。


 鼓膜が破れたかと思った俺は、痛いまでの沈黙に沈んでいく。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……うっ、頭が、もしや秘められた記憶が戻ったのか、ハロー、フィーネ、パパデース(早口)」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……ダメっすか?」


 号泣しながら別れを告げるマッチョたちに中指を立てながら、俺はフィーネに連行されていった。

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