脅し文句と殺し文句

 黒服に両脇をもたれて引きずられた俺は、またしてもフィーネの対面に座らされる。


「Sorry Darling……いつもの手管は、フィーには通用しないよ。助けを期待してもムダ。

 フィーとパパの楽園、この天国ばしょに悪魔の居場所なんてない」


 悪魔ヤンデレ、目の前におるやん。


「ねぇ、パパ、席についてよ。パパとしてやり遂げるつもりなら、もし、“記憶喪失”なんてくだらない嘘をついてないならその席についてGo for It……フィーに勝ってみせてよ」

「なぁ、フィーネ」


 俺は席について、ポーンを弄くり回しながら言った。


「生憎と、俺はチェスのルールも忘れてしまっているんだよ。お前のパパだったことは間違いないが、もう一度、ルールを教えてはくれないか?」

「……もちろん」


 フィーネは、盤上の駒をひとつひとつ動かしながら、懇切丁寧にチェスのルールを提示して俺に教え込んだ。真剣に聞いてはみるものの、端から憶える気なんてないので「ふんふん」言いながら、明日の朝食に思いをせる。


 なんか知らんが、俺はハワイのオレンジジュースが好きだ。アロハの香りがする。


「普通に対戦するもの退屈だな……そうだな……俺が勝ったら、その素敵な腕時計をもらおうか」

「OK」


 あっさりと、フィーネはテーブルに腕時計を置く。最初から俺の狙いなんて、お見通しなんだろう。


「なら、早速、勝負しよう。悪いがルールを完璧に把握したわけじゃないから、都度、懇切丁寧にご教授しながら対戦してくれ」

「……そんなので、フィーに勝つつもり? 負けたらどうなるかくらい、パパだってわかってるよね?」

「あぁ、もちろんだ」


 掌の上でルークを弄びながら、俺は言った。


「お前は、今から、記憶喪失のド素人に負けるんだよ」

「フィーにイカサマは通用しない」

「俺はお前のパパだ、正々堂々、娘に教え込んでやるよ――敗北を」


 そして、対局が始まった。


 別段、特徴のない、至って普通の対局。俺の打ち筋は愚かで馬鹿らしく、対する彼女の才気みなぎる一手一手は、徐々に俺を追い詰める。あっという間にキングの逃げ道が消えていって、こちらの駒たちが消え失せていった。


「教えてくれるんじゃなかったの、敗北?」

「焦るなよ、始まったばかりだ」


 そして、ついに、フィーネが俺のキングを追い詰める。


「チェック」

「…………」

「あと三手で、チェックメイトだよ」

「そうか、なら」


 俺は、こちらのキングを追い詰めているフィーネのルークをとって――盤外に放り捨てた。


「これで、後、何手だ?」


 俺の首に指が巻き付いて――吐息のかかる距離――フィーネの唇が、俺の顔の寸前で開いた。


「おイタはダメよ《Oh, behave, baby》……」


 感情の宿らない、夢現の瞳が、一心不乱に俺を捉える。


「本当にルール違反なのか?」


 俺は、涼しい顔をして言った。


「お前は、確かに『俺がチェックされた時、相手の駒を投げ捨ててもいい』と言った気がするが」

「……なんのつもり?」

「よく思い出してみろよ、本当にルール違反なのか?

 もし、お前が勝ちでもしたら――」


 俺は、盤上に足を放り出して笑った。


「俺は、もう、お前のパパなんかじゃない」


 フィーネの両目が細まって、カーテンの隙間から差し込んだ月光が、彼女だけを白き慈愛の中に閉じ込める。


「……パパは、フィーを脅したりしない」

「だが、お前は、俺を『パパ』だと言ったな。記憶喪失である俺は、一度足りとも、自分を『パパ』だなんて自称していたりはしない。

 そして、今さっき、『ここで勝てなかったら、もう、アキラくんはパパじゃないよ』とも言った」

「意味、わかってる? もし、ダーリンが敗けでもしたら、フィーの目の前にいる貴方は“他人”ってことになるんだよ?

 フィーは、家の中にある不法侵入者ゴミクズを放置したりなんてしない。細断機シュレッダーにかけて細切れにして、元の形状がわからないくらいの粗末カスに変えた後、溶鉱炉じごくでたっぷり炙ってあげるの」


 凄絶せいぜつな笑みを浮かべて、彼女は親指の『パパ』を俺に見せつける。


「フィーは、とっても環境に優しいから」


 人にも優しくしよう(至言)。


「なぁ、フィーネ……その素敵な殺し文句I Love Youは無意味だ」


 俺は、その美しい顔に手をかけて、顎をくいっと上にもちあげた。


「お前に、俺は殺せない……なぜなら……」


 その唇をそっと指でなぞった。


「俺を失ったら、もうパパには会えないからだ」

「…………」

「電話で話してた『パパ』とは、なんらかの理由でもう会えないんだろ? だから、こんなにも俺に固執して、もうひとりのパパとして完成させようとしている。こんな無茶を切り出したのも、一手でも早く、俺をパパにチェックメイトしようとしたからだ」


 俯いたフィーネに対して、俺は矢継ぎ早に文句を繰り出す。


「さぁ、どうする、フィーネ・アルムホルト……お前が勝ったら、お前は俺を殺さざるを得ない……こんなところで、俺を失えるのか……俺はパパか……パパじゃないのか……選んでみ――」


 タンッ――ポーンが進み、驚愕で俺は目を見開いた。


 フィーネ・アルムホルトは、恍惚めいた微笑みをたたえていて、月狂いの狂信ルナティック・ファナティックを表情で描く。


「チェックメイト……」


 俺は盤上を見つめ、盤上に戻されている予備のルーク、そして進み込んだポーンを確認し万歳をした。


 ダメだ、この人、狂ってらっしゃる!! 俺を殺すことが愛に繋がると、決意表明を下さってる!! 普通に怖い!!


「ウソダヨー、パパダヨー」

「なら、証明して……証明してよ……」


 俺に身体を押し付けたフィーネは、熱っぽく俺にささやきかける。


「フィーに愛を示して……愛を……狂おしいまでの愛をフィーにちょうだい……好き……好きだよ、パパ……だから……だから……」


 泣きながら、フィーネは綺麗な笑顔を浮かべる。


「フィーは、パパを信じてるよ」


 薄い刃が、俺の胸元に突きつけられる。


「パパなら……この状態からでも勝てるよね……ね……?」


 お前、チェスのルールも知らねーのかよ!! ばーかっ!!


 壁際にまで、追い詰められた俺は――勝利を感じ、心中で笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る