①と②の粉を混ぜ合わせるとパパになる、そうアキラくんならね!

「パ~パ♡」

 

 甘ったるい声音が、頭蓋に砂糖水を流し込む。

 

 押し当てられる柔らかい身体、鼻孔に沈むシロップみたいな香り、美を形容している顔貌かおかたちが三日月に笑う。


「フィーのこと、撫でて……愛して……抱きしめて……パパ……パパ……」


 フィーネ邸に潜入した俺は――立派なパパになりました。




「貴方は、フィーのパパだよ」


 傷口を視姦されて辱めを受けた後、部屋に戻って滂沱ぼうだの涙を流し、三秒後には寝付いた明くる日……髪を三編みにして、幼さを感じさせる帽子と衣服を身に着けたフィーネは、顔を合わせるなりそう言った。


「貴方は、フィーのパパだよ」

「………」

「貴方は、フィーのパパだよ」

「………」

「貴方は、フィーのパパだよ」

「………」


 『はい』も『いいえ』も選んでないのにループする……ぼく、こわい……


「ふふ、昨日、記憶喪失だって言って帰ってきたから、フィーね、とってもびっくりしちゃった。でも大丈夫、パパはフィーのパパだから、最初から最期までパパはパパとしてフィーの傍にいてくれないとダメなんだから、ソレ以外の存在であることは那由多なゆたの一時もゆるさないから」

「あの、年齢差が――」

「でも、フィーのパパだよね?」

「でも、俺、結婚してな――」

「でも、フィーのパパだよね?」

「一旦、落ち着いて話を――」

「でも、フィーのパパだよね?」


 ぢぐじょう!! づんでる!!


 俺の天才的記憶喪失演技(アカデミー賞)を逆に利用するとは、敵ながらあっぱれとしか言いようがない。もちろん、俺はこういった事態を予想して――るわけねぇだろ!! ふざけんな!! ぢぐじょう!!


「……パパだよね?」


 両腕を掴まれて、下から顔を覗き込まれる。


「パパ……だよね……?」


 美しい瞳は蒼色の海アクアマリンに沈んでいて、感情らしき感情が、内外から消失しているみたいに視えた。


「パ――」

「はい、パパです!!」


 ヤンデレから命を拾うには、まず第一に良いお返事。


「とても、パパです!!」


 第二に絶対的な下僕であることを強調。


「来世すらも、パパです!!」


 第三に来世でも結ばれておく。


 完璧パーフェクト完璧パーフェクトだ、アキラ・キリタニ。まずもって、俺の生命は保証された。


 コレでアキラとフィーネの勝敗は同率イーブンとなり、俺はまだ本気を出していないため、こちらが勝ち越しという計算になる。


「よかったぁ」


 ふにゃりと笑って、フィーネは正面から抱きついてくる。


「やっぱり、パパだったね」


 おいおい、俺の演技力は世界レベルかよ。


「パパがフィーをおいて、どこかにいっちゃうなんてありえないもん……だからね、フィー、ちゃんとおるすばんしてたよ……ママはどこかにいっちゃったけど、でもね、いいの……フィーはパパさえいれば……パパさえいてくれれば……」


 左腕――目的の腕時計が視えた。


 フィーネの提示した勝利条件は『フィーネ・アルムホルトが身に着けている腕時計を鳴らし、桐谷彰の心を手に入れる』ことだ。俺が何者のモノになるかはさておき、まずはこの腕時計を奪えなければ話にならない。


 この別荘に攻め入った最大の理由が、目の前に存在していた。


 さり気ない動作で、腕時計へと手を伸ばし――急にフィーネが顔を上げ、俺は自分の顔面を殴りつける。


「ぱ、パパ……どうしたの……大丈夫Are you OK……?」

「アイ・アム・ファインッ!!」


 鼻血を流した俺は、流暢な英会話をたしなむ。


「う、うん……?」


 どうにか、誤魔化すことに成功したらしいな。フィーネは俺の目的に薄々感づいてはいるだろうが、人間である以上、常時、気を張っていることは不可能。いずれは、俺の演技パパにほだされて隙を見せるだろう。


 その後、俺はフィーネに連れられて、海で泳いで水着を見せつけられたり、べっとりとまとわりつかれて昼食を食べさせられたり、膝に座ったフィーネに絵本の読み聞かせをさせられたりした。


「パパ」


 本当に、楽しそうに、フィーネ・アルムホルトは笑う。


「パパ、フィーは、しあわせだよ」


 まるで、それは、失くした思い出を、一生懸命に拾い直しているみたいで。


「パパがいてさえくれれば」


 幼子を思わせる彼女は、満面の笑顔で、言い聞かせるみたいに繰り返す。


「フィーは、世界でいちばん、しあわせなの」


 遊び回って、訪れた夕暮れ。


 オレンジ色の郷愁セピアたたずむ彼女は、今にも涙を流して崩れ落ちてしまいそうで、それでいて心底の幸福を想っているかのようだった。粉々に砕け散ったパズルのピースを、必死に、直ることがないと知っているのに修復するみたいにして。


 そう、それは、愛らしく言い換えれば――終わった彼女フィーネ・アルムホルトのワガママだった。


 夜。


 順調にフィーネとの絆を深めた俺は、サンタクロースが来る筆頭候補の良い子として、早めの就寝を心がけようとし――ノックの音で、目を覚ます。


「パパ」


 喪服。


 フィーネは、寝間着とは思えない、漆黒の衣装に身を包んでいた。


 俺の手を引いた彼女は、真っ暗闇へといざなう。


 連れてこられた一室にはテーブルがひとつ、上には年代物のチェス盤が鎮座ちんざしていて、ソレ以外の家具はひとつたりとも置かれていなかった。


 異様な雰囲気を感じながらも、目線で促されるままに着席する。


 対面に腰掛けたフィーネは、ニッコリと微笑んだ。


「パパは、パパだよね?」


 唐突な確認を、不気味に思う。


 なんだ、コイツ、なにを考えている。こんな夜中にスキンケアを欠かさない俺を呼び出して、安眠妨害に一局打とうなんて心づもりか。ふざけやがって。保湿効果が実感できるまで、乳液を顔面に塗りたくり、フェイスパックをほどこして愛されお肌にしてやろうか。


「あぁ、もちろんだよ、フィーネ」


 まぁ、今更、お前がなにを仕掛けて来ようとも、演技派である俺が動じることはな――


「だったら、パパは、フィーに“必ず”勝てるよね」


 フィーネは、ポーンを前に進め――意図に気づいた俺は、白目をいた。


「ここで勝てなかったら、もう、アキラくんはパパじゃないよ」


 長い足を組んだフィーネ・アルムホルトは、背後の窓に映り込む月を背負い、輝かしい白色の笑みを浮かべる。


「Here you are」

「……なるほどな」


 追い込まれた俺は、笑いながらコマを手に取り――盤面に叩きつける。


「俺を舐めるなよ、フィーネ・アルムホルト」


 そして、最強の一手を放った。


「待った!!」


 奥ゆかしい日本人らしく一礼し、俺は優雅な物腰で部屋から立ち去った。

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