あなたは、まさにちょうどいい
フィーネ・アルムホルトの雇い人には、二種類のタイプの人間がいた。
金で雇われた者、そして彼女に“囚われた”者……島内に唯一存在する邸宅で、警護を命じられていた彼は後者であった。
身長181cm、体重87kg。ブラジリアン柔術を習得している男は、88.3kg以下の階級であるミディアムヘビー級に属している。
格闘技経験者であれば、誰でも雇うと語った彼女とシリコンバレーで出会ったのは一週間前。
「ちょうどいい」
大した実力者でもない彼を見て、微笑混じりの少女は言った。
「just about right……まさに求めていた人材。契約しましょう。あなたの望む倍の金額を出すわ」
なにが『ちょうどいい』のか? 未だに彼は理解していない。
ただ、一目見て、あの高層ビル、あのオフィス、ガラスウォール越しの雄大な
男は自嘲しながら煙草を取り出して、手持ちのジッポーで火を点ける。
あの瞳。そして、あの言葉。その意味を知るために、オレはココまで来たんだ。愛する2ドル50セントのハンバーガーを捨てて。
いつになく物思いに耽っていた彼は、ふと、定期連絡の時間であるにも関わらず無線機が“無口”であることに気づく。
「おい、どうした? ケツからココナッツでもひり出してるのか?」
呼びかけても応答はない。
通信不良と断定して、B級映画特有のアホな見張りを気取るつもりはなかった。即座に
「……なんだ?」
違和感。なぜ、応援をよこさない。いや、現状把握をするためならば、付近を索敵している
――絶対にこの2人を逃しちゃダメよ
2人の
そう言えば、地下室に軟禁している2人の見張り。アイツら、交代すると外に出てから、帰ってきてないな。交代人員の姿も見かけていない。
嫌な予感。壮絶に嫌な予感を感じた。
――ちょうどいい
知れず、腰のテーザー銃に手を伸ばす。
発砲許可が許されているのは
男は周囲に目線を
「……こっち、こっち来てくれ」
手招き。手招きしている。中性的な少年の声だった。
テーザー銃を抜こうとして、男は自身の恵まれた体格と“柔術”という名の力を思い出した。これでも格闘家の端くれだ。たかが少年に遅れを取るわけがないし、油断さえしなければいい話だ。
「そこから、出てきてくれ。大丈夫だ。オレはキミを傷つけるような命令を出されてない。一緒にトロピカルジュースでも飲みながら話でもしようじゃないか」
ゆっくり、ゆっくり、着実に……いつでも動けるように筋肉を強張らせ、体勢を低くしながら曲がり角へと近づいていく。
子供相手だ。仕掛けられても対処できる。オレはフィーネ・アルムホルトに『ちょうどいい』と認められた男だぞ。重要拠点である別荘の警備も命じられた。あの2人の少女を
ゆらり、ゆらり、ゆらり。
「残念ながら、そっちは
勢いよく振り向く。視線の先には、
なんで、そこにいる!? だとしたら、この手の先は!?
「遅い」
脂汗をかきながら咄嗟に仰け反った彼は、フードの奥から覗き込む少女の眼光に射抜かれ、崩された姿勢のまま腕ごと引っ張り込まれ――
――just about right
「……あ」
ようやくなにが『ちょうどいい』のかを理解し、透けて見えた失意の奥底へと、意識とともに失墜していった。
「いつの間に、男声なんて出せるようになってたんですか?」
如何に格闘技経験者だろうと、
ノビている執事をまさぐる
「幼稚園の頃に習ったの。その時からずっと練習していて、定着しちゃったのかな。喉からアキラ君の声が出れば、それは最早、胎内にアキラ君がいるのと同じだと思って」
その理屈で言えば、俺の胎内にはもうひとりの俺がいるの? 怖くない?
「懐かしいな……わたしに優しくしてくれた人なんて、あの人くらいだったから……よく男の人の声を出して、笑わせてくれ――」
水無月さんの顔面が一瞬で強張って、あり得ない事態に遭遇したかのように、大きく目を見開いた。
「まさか……そんな……だとしたら、アレは……」
目潰しチャ~ンス☆とか言って、眼球ほじくったらさすがに怒るかな。弱体化狙えそうなんだけどな。
「いえ、今はフィーネに集中。正体は後でいい」
気を取り直したかのように、彼女はゆったりと顔を上げた。
「アキラくん、今からでも遅くない。やっぱり、あの2人を助け出すのは諦めない? このまま、別荘の奥に進むのは良くないと思うの」
「え? どうして、そう思うんですか?」
水無月さんは、失神している執事をつま先でつつく。
「コレ。どう考えても、『撒き餌』だよね。本気であの2人を閉じ込めておきたいなら、ここまで警備レベルを下げたりしないし、こんなに程度の低い人材を配置したりしないよ。
つまり、この人は、わたしたちをおびき寄せるためにフィーネが用意した、ザコモンスターAっていうこと。アキラくんに倒されるためだけに雇われた、“ちょうどいい”人材」
どこまで、先読みして手配してんだ? 畜生の鏡だな、アイツ。尊敬する。
「わたしたちに達成感を与えつつ目の前に餌をぶら下げて、奥に進むようにこの別荘が“デザイン”されてるの。レベルデザイン。つまり、ロールプレイングゲームと同じ」
「なるほど、言い分はわかりました。でも、今更、引き返すわけにもいかないんじゃないですか? こうした思考を読んで、逆に警備を手薄にしている可能性もありますし、2人がココにいるかどうかくらいは確かめましょうよ」
「アキラくんがそう言うなら……1キスでいいよ」
先生、ヤンデレ国の単位は習ってないのでわかりません。
当たり前のように目をつむった水無月さんに5キス(なまこ)を与えて、ルンルン気分の彼女と一緒に探索を再開する。
数分もしないうちに、地下室への入り口を見つけた。
「あ、アキラくん……大変……地下は酸素が薄くて酸欠みたい……人工呼吸をお願い……」
「そんな大変だ!! 待っててくださいね、マイハニー!! 直ぐに助けますから!!」
まーた、なまことキスしてるよコイツ(笑)
俺の必死な人工呼吸(なまこ)によって意識を取り戻した水無月さんは、下り階段の先にあった扉を見据える。
「
茶番を繰り広げていたヤンデレは、鼻につく異臭で顔をしかめる。
酷い。酷い臭いだ。なんだこの臭い。どこかで嗅いだことのある。なんというか、あまり鼻に入れたくないようなタイプの。
「血だ」
水無月さんは、目を細めてささやいた。
「血の臭いだ」
急激に訪れた胸騒ぎ――俺は、一気に扉を開いた。
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