三人の盲目鼠
「あなたは、どちらを選ぶ?」
突き出された両掌。
右手にはむき出しの飴玉が載せられ、左手には切り取られた“魚の頭”。
「では、こちらで」
選択を迫られた男は、右手から飴玉をとってみせる。
「そう、右手。あなたは右を選ぶ。なぜなら、死んだ魚の頭部を
フィーネは魚の頭を放り捨てて、種類の異なる飴玉をふたつ、両掌に載せてからもう一度彼へと突きつける。
「Which do you choose?」
包装されていない飴玉がふたつ、彼は手を伸ばそうとした。
「では――」
「右ね」
思わず、彼は動きを止める。まさしく、彼が選ぼうとしていたのは右の飴玉だったからだ。
「もう一度」
フィーネは都度飴玉の種類を変えて10回繰り返し、ものの見事に10回とも的中させてみせる。
「な、なぜ、わかったのですか?」
「だって、一択だもの」
月もかくやといった、
「い、一択? でも、飴玉は右と左にありますよ?
視線を読もうにも私はサングラスをかけていますし、2回目からは身じろぎすらしなかった。答えは私の頭の中にしかなかったのに、どうやったら一択だったという返答が出てくるんでしょうか?」
「魚の頭」
「は?」
「左手には魚の頭を載せていた。だから、二回目の選択の際、あなたは無意識的に左手のひらに載せられた飴玉を選ばなかったの」
忌避。確かにそういう感覚はあった。左手に載せられていた魚の頭部、その気色悪さに忌避感を覚えて左を選びづらかったのは確かだ。
「ですが、その後は、右を選んだりもしましたよ」
「ゴルディロックスの原理」
「え……なんですか、それは?」
「マーケティングなどによく用いられる心理効果。
人間は心理的に“真ん中”を選びやすい。飴玉を口に入れるものだと認識していれば、自然と自分の口に“ちょうど入る”大きさのものを選ぶ」
つらつらと――フィーネ・アルムホルトは、10回の選択それぞれに対して、明確な“一択であった”理由を話した。
心理学から補色の関係性まで。ただのお遊びであるはずの10回に及ぶ飴玉の選択。その裏側には確立した理論と法則があり、知らず知らずのうちに“選ばされていた”ことを知って、男は背筋に寒気を覚えた。
「極論を言えば、頭に拳銃を突きつけられて」
フィーネは、脇に控えていた傭兵の腰からP226を抜き放つ。当たり前のような所作で
「右を選べ……と言われれば、人は99.9%右を選ぶ。
選択肢がそこに存在しているとしても、実際には選択肢は存在していない。大半の人間は選択しているつもりで選択できていないの」
唐突に、彼女は右上の宙空を眺め――思い出したかのように、引き金を引いた。
銃身がスライドする直前、太い五指がソレを掴み、薬室に弾丸が送られる前に機構が止まる。ガムを噛んでいた男は、無言でフィーネからP226を取り上げて、弾丸を外に弾き出してからホルスターに仕舞った。
「ね? この状況下で、『自殺する』という選択肢は存在していない。契約上、雇用主である私が死ねば、彼らは報酬金と名誉、今後のクライアントとのアポイントメントを失うことになるから」
そ、そんなことを証明するために、本物の拳銃の引き金を引いたのか?
呆気にとられた執事は驚愕を通り越して震え上がり、契約金が高額であるという理由だけで雇われてしまったことを後悔し始めていた。
「アキラくんは、自分に“選択肢”があると思ってる。
でも、そんなものはない。あの愛しい人は眼の前に存在する
しとしとと降る雨のなか、一人の執事は慄きながら立ち尽くす。
「Three blind mice. Three blind mice.
See how they run. See how they run」
天からの献花のような雨に、そっと、愛らしい歌声が忍び込んだ。
その不気味な十字架を前にして、彼女は満面の笑顔で歌う。
「They all ran after the farmer's wife,
Who cut off their tails with a carving knife,
Did you ever see such a sight in your life」
フィーネは、暇つぶしの相手にされた彼へとそっとささやきかける。
「三匹の
「なにを、ですか?」
うっとりとした美少女は、恍惚として息を吐いた。
「ネズミは泳げるの」
あまりに綺麗な笑顔に対して、男はなぜか本能的な恐怖を抱き――
「でも、十字架に縛り付けられたネズミは泳ぐかしら?」
目が見えないからこそ、“危険”を追いかけてしまう哀れなネズミを思い、彼は逃げ腰で後ずさっていた。
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