アキラwithユイ、魂のヒップホップ

「うっ……」

 

 反吐を催すような強烈な臭気、水無月みなつきさんは口を覆った。

 

 凄惨を描こうとしたかのように、部屋中に血液がぶち撒けられていた。


 壁に飾られていた絵画の中のヴィーナスは、現実という名の泥に引きずり込まれたみたいに赤黒く染まっている。

 

 血溜まりに沈む頭、腕、脚に胴体……踏み入れて摘んでみると、シリコン製のソレがぶよりと伸びた。


「アキラくん、あれ」

 

 水無月さんが指さした先、部屋の中央。そこにあったテーブル。傲慢な王様を模したかのように、古びたラジカセが置いてあった。


 じっと、凝視すると――壮大なオーケストラが流れ出す。


「……ワーグナーの双頭の鷲の旗の下に」

 

 どこか聞き覚えのある曲調。恐らく、行進曲だ。運動会かなにかで流れるような軽やかなメロディーが、行進者を鼓舞するかのように音符を叩き出す。


 曲が止んで、声音が進む。


「ハイ、ダーリン!」

「やぁ、フィーネ!」

「アキラくん、ラジカセにまで返事しなくてもいいのよ」

 

 ヤンデレの呼びかけを無視したら死ぬんだもん……。


「ちょっと、びっくりしちゃったかな? 大丈夫だよ、ふたりは無事。“こっち”にいるから。ご足労頂いたのにごめんね」


 ご足労って言うくらいだから、交通費は支給されるんだよなぁ?


「潮の満ち引き」

 

 唐突に、話者に興味を誘導するために、フィーネは想像を要する言葉を発した。


「アキラくん、毎日お散歩してたからわかるよね? 海水面の高さが何時くらいに“一番高くなるのか”?」

「どういうこと……潮の満ち引きとふたりになんの関係が……アキラくん?」

 

 真面目に話を聞いている水無月さんを横目に、ラジカセを肩に担いだ俺は、部屋の外へと出て階段を上り始める。


「あ、アキラくん、どうしたの!? ラジカセを担いで、どこに行くつもり!?」

「わかるよね?

 今の時間帯、潮の高さは――」

「どっせーいっ!!」

 

 外に出た俺は、思い切りラジカセを地面に叩きつけた。

 

 録音済みのカセットテープが吐き出されて地面に転がり、それを思い切り踏んづけて、中身のテープをぐちゃぐちゃに踏みにじる。

 

 水無月さんは呆然として、俺のことを見つめた。


「あ、アキラくん……な、なんてことを……コレじゃあ、あのふたりの行方の手がかりが……」

「いいえ、コレで正解ですよ」

 

 別荘に用意された淑蓮すみれの部屋からサングラスを拝借し、クールな俺は斜めに装着してニヤリと笑った。


「フィーネは、思考が俺と似通ってますからね。大体、先が読める。

 血で塗れた部屋に死体を模したマネキン、そして俺しか知らない情報で気を惹いて、わざわざふたりの行方のヒントを与える……十中八九、“脅し”ですよ。ネガティブイメージを植え付けて、交渉を有利に運ぼうとしたんです」

 

 雲谷先生の部屋からアロハシャツをパクって着こなし、桐谷彰おれは一流のアロハニストとして完成する。


「要は人質ですよ。たぶん、海水面の高さが上がったら、ふたりが海中に沈んでしまうような仕掛けがあるんでしょうね。時間的な制約を作ることで、俺に“はんこ”を押させようと危機感を煽るつもりなんじゃないですか?」

 

 フィーネの部屋のタンスを漁って、ヒップホップの曲をチョイス、まだ動作はするらしいラジカセに叩き込み準備を整える。


「水無月さん」

 

 気絶させた執事から、抜き取った無線機……それをかざして、俺は水無月さんに見せつける。


「な、なに?」

 

 俺は笑った。


「ボイパ、できます?」




「り、りんご……」

「ゴリラを担いだお兄ちゃん。

 あ、また負けちゃいましたね」

「す、淑蓮ちゃん……最後が絶対に『お兄ちゃん』で終わるから……」

 

 淑蓮と由羅ゆらは、かれこれ、十分間は不毛なしりとりをしていた――既に胸元まで浸している海水を意にも介さず。


「つ、次は……『お兄ちゃん』なしでやろう……?」

「それ、最早、しりとりじゃないですよね?」

「し、しりとりは……アキラ様でできていた……!?」

 

 全身を雁字搦めにされて、海中から伸びる十字架に縛られたふたりは、暇を持て余しているかのようにまたもしりとりを始める。

 

 そんな光景を、フィーネが楽しげに見つめていた。


「溺死しながら、しりとりしてくれないかしら。そうしたら、面白そうなのに」

 

 彼女の両目が、月光を思わせる蠱惑こわくを帯びる。


「殺さないと思ってるみたいだけど、否応もなしに殺すのに。惨たらしく死んで欲しいから、溺死を選んだんだもの。

 さぁ、早く、綺麗な死に顔を見せ――」

「ヘェ~イヨォ~!!」

 

 突然、フィーネの横にいた執事の腰から“声”が聞こえた。

 

 無線機。無線機だ。アキラの動向を伺うために通信を開いていた無線機から、その張本人の声が聞こえた。


「フィ~ネェ~!! オレはYO!! 今から、お前に歌うYO!! 心して聞いてくれレツゴラチェケラァ!!

 アキラwithユイ、魂のヒップホップを奏でるYO!!」

 

 大音量で吐き出されるヒップホップ・ミュージック、そして――


「ブッバッ!! ブブバッ!! ブブブバッ!! ブッブッバァ!!」

 

 汚いとしか形容できない、謎の怪奇音が上質な音楽を台無しにする。ボイスパーカッションのつもりらしいが、口からではなく肛門からひり出されているようにしか思えない、怪奇現象じみたラップ音。


「ヘイヨォ!! オレ、アキラ・キリタニィ!! 口は噛み噛みィ!! ヤンデレ前ではたじたじィ!! シャイでウブな高校生ィ!!」

「ブバブバブバブバブバブバッ!!」

 

 汚い。猛烈に汚い。


「O~!! フィーネの目論見丸わかりE!! 人質はマジで無意味E!! 解放しないとお前嫌E!! ABCDE~!!」

「ブボッボッボボボボボボ!!」

「ココォ!! アロハから行う宣戦布告だヨォ!! ガチ目の挑戦状でヨォ!! お前ボコボコのタコ殴りでヨォ!! オハヨォ!!」

「ブブブブブブブブブブブブブブ!!」

 

 炸裂するバイブ音。


「正々堂々ァ!! 勝負しろやコラショコラフォンダンショコラァ!!」

「ボハボハボハボハッ!! ボッボボボッボボボ!! ピュ~!!」

「イェア!!」

「ボバボバボバッバパオパオパオパオッ!! パオッ!! ホァッ↗↗」

 

 鼓膜を汚染するかのような、最低のボイスパーカッションが終わり――


「……フッ」

 

 勝ち誇ったかのような、水無月ゆいの微笑が聞こえてきて、ふたたび静寂が舞い戻ってくる。

 

 全員が全員、哀しそうな顔で、どこか遠くを見つめていた。まるで、この短時間で、とても大切なものを失ったかのように。

 

 そよ風が吹いて、白金髪プラチナブロンドがなびき――


「……汚い」

 

 フィーネは、そっとつぶやいた。

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