愛のない選択は、決して良い結果にはならない

 白煙がゆらめき、どこにもゆけずに燻る。

 

 フィーネに用意させた自室で、煙草のパッケージを眺めている雲谷は、片膝を立てて壁に背を預けていた。

 

 カチン、カチン、カチン……ジッポーライターを何度も開閉させながら、彼女は虚ろとした目玉をパッケージに向ける。


 女性が吸う銘柄にしてはタール量が多く、男性向けとも言えるパッケージ。くしゃくしゃになったソレの中では、三本の古びた煙草が眠り続け、誰にも必要とされないまま命運を閉じようとしていた。

 

 何時しか、年間降水量の少ないハワイ諸島に雨が降り注ぐ。

 

 線となった糸雨には見向きもしないまま、雨音のノイズに耳を塞がれ、彼女の口元に咥えられた煙草から紫煙がゆらぐ。


「……兄さん」

 

 彼女は、一言だけ、兄を呼んだ。




淑蓮すみれ。雲谷先生を呼んでこい。あの人の言う通り、ココは天使が仲良く暮らせる所じゃなかった。帰るぞ」

 

 ずぶ濡れになって帰還を果たした俺がそう指示を出すと、妹はぽかんとして口を開く。


「きゅ、急にどうしたの? 私たちが迎えに来た時は、永住権を取得しそうな勢いだったのに」

「……『嫌な予感がする』」

 

 俺の腕に縋り付いたままの由羅の頭を拭いてやりながら、淑蓮へとバスタオルを投げ渡し、執事たちの姿を探すものの屋内に彼らの姿はない。

 

 『嫌な予感』に拍車が掛かる。


 帰り支度を整えるために、淑蓮の部屋にまで駆け上がり、勝手にタンスを漁って下着類をスーツケースにぶち込んでいく。


「お兄ちゃん、雲谷先生、お出かけしてるみたい。どこにも見当たらな――ついに、欲情した!!」

「唐突に拉致されたから、俺の準備スタイルは着の身着のままなんだよ。

 とっとと準備しろ。必要なら、お前のことを担いででも連れて行くぞ」


 無言でその場に横たわった淑蓮を抱っこし、廊下に落ちていた由羅も回収して、俺は玄関前に二人を放り出す。


「行くぞ、クライマックスだ。殺人鬼の潜む島から脱出して、エンドロールは自宅のソファで眺めればいい」

「お兄ちゃん、いいの? 雲谷先生とゆい先輩、置き去りにしちゃって?」

「お前は、サバンナで暮らすライオンの心配をしたことがあるのか?

 ほら、立て。脱出手段は、講じてあるんだろ?」


 嬉々とした調子で立ち上がった俺の妹は「もちろんあるけど、〝条件〟があるよ」とうそぶいた。


「由羅先輩も置いてって」

 

 由羅の瞳が――すぅっと、色合いを失くした気がした。


「悪いね、先輩。私の船、二人乗りなんだ」

「な、なら、〝丁度いい〟ね」

 

 今にもケタケタと笑い出しそうな顔つきで、しゃがんだ由羅は〝威圧〟するかのように自分の鞄に両手を突っ込む。


「い、今から、二人になるから」

 

 そんな脅しに対して、淑蓮は愛らしい声音の嘲笑を返した。


「あはは、まだわかんないんですかぁ? お兄ちゃんは、わ・た・しを選ぶの。

 休日に夫婦が一緒に過ごす時間は、長ければ長いほどに夫の感じる幸せ指数が跳ね上がっていくの知ってますぅ? 由羅先輩は、一日何時間、お兄ちゃんと一緒に過ごしてるのか、教えて貰っていいですかぁ?」

「24時間」

「……机の上に、綺麗な花を飾ってあげましょうか?」

 

 じゃれ合うのは、後にしてくれないかな。

 

 冷めた目で事態を眺めていると、突然、俺へと血走った目を向けた由羅が、掴みかかるような勢いで言葉を吐き出す。


「あ、アキラ様は……ぼ、ボクとこの子……ど、どちらを選ぶんですか?」

 

 ――お前、結局のところ、誰が好きなんだ?

 

 ココにはいない筈の先生の言葉が響いて、俺はまたもや選択を強いられつつあるのを自覚した。


 ――水無月なのか、淑蓮なのか、衣笠なのか……それとも、フィーネなのか


 結局のところ、人生とやらは選択の連続であり、コレもまたそのうちのひとつに過ぎないのだろう。だが、決定的な〝一打〟にはなる気がする。比較的安全であるという理由だけで、妹を選んだら〝一生を固定〟される気がしてならない。


「お兄ちゃん!! お兄ちゃんは、私を選んでくれるよね!? 一番、愛してるもんね!? お兄ちゃんに選ばれる未来がなかったら、私はこの世界に生まれるわけなかったもんね!? そうだよね!? ね!?」

 

 コイツらは、俺の心とやらが欲しいのか。そんな形にならないものを貰って、どうしようと言うんだろうか? 『世の中、金だ』という金言を知らないのか? ヒモになって、悠々自適に暮らせれば、俺はそれでいいのに。

 

 ――ダーリンの心が欲しい

 

 それでいい筈なのに……なぜ、俺は、フィーネの求愛を断った? アイツの思うがままの道を辿れば、安住の地に辿り着けるというのに。

 

 あの時、手を広げたフィーネに歩み寄った時、アイツの目に『ヒモの人生』が視えて、その行く先には水無月さんも、淑蓮も、由羅も、マリアも、そして先生もいないのを視て……ソコに、〝俺はいない〟と思った。

 

 もしかしたら、俺は、まだこんな奴らと一緒に――玄関扉が開け放たれて、ずぶ濡れになったフィーネが、鬼気迫る表情で睨めつける。

 

 アクアマリンの迷宮の中には、〝迷子おれ〟がいた。


「決着をつける……わかった、勝負をする……〝三人〟とフィーで……アキラくんを〝賭けて〟……」

 

 選択肢は、提示された。


「わかった」

 

 それなら、俺は――


「勝負しよう」

 

 その中から、選択するだけだ。

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