鳴った銃声、混ぜる納豆
アキラを取り戻すためにこの島へとやって来て数日が経ち……不気味にも、手出しをしてこなかったフィーネに呼び出され、ゆいは幼稚園時代の親友の前に立っていた。
「ようやく、お喋り出来るタイミングがきた」
透き通るような純白の肌――日光を反射する砂浜が、
10年振りに会ったフィーネ・アルムホルトは、黒色の水着姿を白色の日傘で覆い隠し、ニコリともせずにゆいを睥睨した。
「もしかして、約束を忘れたわけじゃないわよね? 日本人ってそういう決まりごとをアホみたいに守るのが得意だと思ってたけど?」
「どうして、アキラくんをこの島に連れてき――」
行楽に出かけるような気楽さで、フィーネはゆいのことをぽんと突き落とす。
「は?」
眼下に広がるのは、蒼色の海原が広がる崖下。切り立った岸壁が自分の肌や肉を容易に破壊し尽くすことを悟り、ゆいは無我夢中で崖上へと手を伸ばして、フィーネの〝足元〟の地面を掴む。
一気に自重が両腕にかかり、思わず口から苦痛の声が漏れる。
「ハロー、
その場にしゃがんだフィーネは、微笑みを浮かべてゆいを見下ろし、必死の思いでしがみついている彼女にささやきかける。
「Do you remember me?」
「……お、憶えてる」
「大丈夫よ、そう怯えないで。ゆいのことは殺しちゃいたいけど、ウンヤの前でリスキーな選択をする気はないから。
落ち着いて、右足の先を15度内角に曲げて足場を確保しなさい。貴女の運動性能なら、自力で上がってこられるでしょ?」
フィーネの指示に従って岸壁を登り切ると、その先で待っていた彼女に微笑みかけられ、汗だくになったゆいは敗北感を味わう。
「象撃ち銃って知ってる?」
「……え?」
唐突に切り替わる話題、悪意の一切ない笑顔、ゆったりとして落ち着いている喋り方――ゆいはぞくりとする。
この感じ、昔のフィーネだ。アキラくんのことを〝ダーリン〟なんて、バカっぽい呼び方をしない時のあの子だ。
女の子じゃない、〝化物〟の時のフィーネ・アルムホルトだ。
「
本当に大仰な外観でね。フィンランド兵からつけられたあだ名が、
「何が言いた――」
「ゾウやサイを撃つための銃で、人間を撃ったらどうなると思う?」
ダメだ、呑まれる! 言え! なにか言え!
「硬皮動物の皮膚を貫通して、致命傷を与えるような銃器であれば、撃たれた人間は木っ端微――」
今までに、聞いたことのないような大音響。
音が掻き消えて、耳朶から奔る強烈な痺れ、キーンという耳鳴りが世界を支配して、数瞬遅れてから駆け抜けるような震えがくる。
銃声。一発の銃声だった。
心臓音が耳鳴りを誘発して、額から流れ出る汗が目に入り、かと言って指先すら動かせない恐怖。
個人所有している島、契約されている
「フィーはね、女が嫌いなの。自分が大切にしている宝物を汚されたり壊されたり、届かないものにされたりするのが嫌いなの。大切に大切に大切に抱え込んでいたものを、横から掻っ攫われて、幸せそうにされるのを見るのが嫌いなの。大事な物は自分の胸の中に仕舞い込んで、誰も取り出せないようにしておきたいの。
フィーは――」
アクアマリンの瞳に覗き込まれ、深淵の縁を思わせるソレに狂気を嗅ぎ取る。
「
ダメだ、負ける。勝てない。来るべきじゃなかった。この子と比べたら自分は劣等生で、何をするにしても負けていて、所詮は日本の中での優等生というカテゴリーで、自分の勝利できる分野なんて存在しな――ゆいの脳裏によぎるのは、
彼に促されるように、口を開いていた。
「……射撃手なんていない」
辛うじて出した声に、目の前の悪魔が反応する。
「さっきの発砲の際に、フィーネは何の合図も出さなかった。身振りや手振りもなく、発砲のタイミングを図るなんて不可能。会話の開始から銃撃までの秒数を指定して、射撃手に威嚇射撃を行うように指示した可能性も考えたけれど、わたしが崖上に登ってくるまでの時間を概算なんて出来るわけがない。あの芝居がかった象撃ち銃の下りは、わたしに〝発砲が行われた〟と誤認させるために話したものだと考えれば、最初からそういった先入観を与えようとしていたことになる。
そして、わたしを崖に突き落としたのは――」
ゆいは崖下に身を乗り出して――死角に貼り付けられていたスピーカーを見つけ出し、それを剥がし取ってフィーネに突きつける。
「コレを見つけられないように、崖下に〝恐怖心〟を植え付けるため。足場を指定しておいて、自分に視線を集中させるように動けば、見つかる可能性なんて殆どない。
コレを使って、最大音量で録音しておいた発砲音を流しただけでしょ? 実際は象撃ち銃なんて撃ってない」
一気にまくし立てたゆいを見つめ、フィーネは綺麗な笑顔でパチパチと拍手をし、それから彼女の肩を掴んで海側を向かせる。
ゆいの頭の横に、銃の形を模したフィーネの指が突き出る。
ゆらゆらと揺れる波浪へと、真っ直ぐに伸ばされた人差し指。天上を指している親指に描かれた顔は、ゆいに向かって笑いかけているように見えた。
「BANG!」
耳を
目の前に着水した弾丸を見つめて、その場に立ち尽くして呆然とし、ささやきかけてくる声に脳を揺らされる。
「全部、〝概算〟したの」
ひそひそひそ……悪魔はささやく。
「ゆいの限界運動量、筋肉可動域、100メートル走のタイムまで、全部、頭の中に入ってるもの。どこから会話が始まってどのように終わるのか、崖下から崖上に登ってくるまで何秒かかるのか、その後に行われる会話劇はどういう帰結を迎えるのか……予想どおり、ゆいは、ぺらぺらと〝間違えたこと〟を喋ったね。どうして、フィーの仕掛けた〝罠〟に引っかかっちゃうの? 幼稚園の頃もあったよね? 表紙が英語だっただけなのに、諦めて〝敗北〟を認めたことが?
何も変わってない。自分では変化できたようで、何も変じられてなんてない。フィーの手を噛まなければ、一緒に大切なものを〝共有〟できたのに」
ため息と共に、フィーネは遺憾を漏らした。
「本当に残念だよ、ゆい」
「わ、わたしは……アキラくんのことを……」
「失せろ《unnecessary》」
その命令が届いた瞬間、ゆいはその場から逃げ出そうとし――
「あ、もしかして、納豆食べます?」
海パン一丁で、納豆をかき混ぜている
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