水着回の尊さ、300リットル

「お兄ちゃ~ん! 早く早くぅ!」

 

 青い空、白い雲、ヒモにくくりつけたカニ……ピーチパラソルとトロピカルジュースが設置された砂浜で、サングラスをかけた雲谷うんや先生は、ビーチチェアにゆったりと寝転がって英語で書かれた本を読んでいる。


「お前もヒモになりたいのか?」

 

 ヒモにくくりつけられ、足元でちょこまかしているアロハ・カニオは、俺の質問には答えようとせずに、シャコシャコと口元を動かして何かを食べていた。


「お兄ちゃんってば!」

 

 桃色の花びらを思わせるひらひらとしたビキニ、中学生にしては露出が多すぎるとしか言えない水着を身に着けた淑蓮すみれは、この数日で日焼けした褐色の肌を見せつけるように、肩紐を掴んで引っ張って、ニヤつきながら真っ白なヒモ跡を見せつけてくる。


「水も弾く可愛い妹ボディ……興奮する?」

 

 油ギッシュな妹とか、ノーサンキュー。


「おニューだよ! おニュー! お兄ちゃんの読んでた漫画のヒロインに合わせて、かわいーやつ選んできたんだよ? かわいーでしょ? 自慢の妹でしょ? 愛してるでしょ? 私は愛してるよ、お兄ちゃんっ!」

「はいはい、愛してる愛してる」

「お兄ちゃんのツンデレー! でも、そんなところも好きぃ!」

 

 無駄に発達した胸部を押し付けて、露骨にセックスアピールしてくる妹。身内だからと優しくしてやった結果、ココまでのブラコンに育ってしまったことが、俺にとっての最大の汚点である。


「ね! お兄ちゃん、海で遊ぼーよ! 私がお兄ちゃんの家にやって来た頃、海に連れてきてくれたことあったでしょ? そんな時みたいに、一緒に遊ぼーよ? ね?」

 

 アロハ・カニオの散歩という重要任務を任された俺としては、妹と海で遊んでいる時間などない。懇切丁寧に育て上げて、コイツを可愛がっている雲谷先生の前で、カニ鍋にしてやるのが俺の夢だ。

 

 あの三十路の前で、味噌仕立てにしてやるぜうへへ。


「お、お兄ちゃん?」

 

 俺の機嫌を伺うかのように小首を傾げた淑蓮は、必死に服の裾を引っ張って、昏い目つきで口を動かし始める。


「お兄ちゃん、私のこと捨てないでね? 私、お兄ちゃんがいなかったら、生きていられないんだから? お兄ちゃん、お願いだから、ずっと傍にいるって言って? な、なんで、さっきから返答に3秒もかかってるの? 普段だったら、平均1.6秒でお返事してくれるよね? お、お願い、お兄ちゃん捨てないで。わ、私にダメなところあったら、全部直すから。私、良い子になるから、お兄ちゃん、お願いだから一緒にいて」

 

 あー、そういや、前に俺が無断外泊した時も、こんな風になったなコイツ。

 

 面倒くさいのは間違いないが、コレでも大事な妹だ。育成失敗したとは言え、最後まで責任をもってやるのがイケメンお兄ちゃんとしての努めだろう。


淑蓮すみれ、頼みがある」

「お、お兄ちゃん、なに!? 私、ただの普通の妹だけど、お兄ちゃんのためになんでもするよ!?」

 

 差し込んだ希望の光に縋るかのように密着してくる妹に対し、俺は満面の笑顔で言った。


「俺、大好きな妹の作ったトロピカルジュース、300リットル一気飲みしたいんだ」

 

 一陣の風となって消えた我が妹は、トロピカルジュースを作りにフィーネの別荘へと全力疾走していき、自らに課せられた役目に目を煌めかせながら、砂浜にエグい深さの足跡を残していった。

 

 寂しんぼうモードに入った淑蓮の相手とか本気で面倒だし、俺の命令どおりに300リットルを作成して戻ってくる頃には、既に大好きな兄の姿は消えていることだろう。


 グッバイ、淑――


「作ってきたよ!!」

 

 ただの普通の妹らしからぬ超速動作、やめてくれない?


「こんな事もあろうかと、前日にトロピカルジュースを大量に作っておいたの!」

 

 お前の『こんな事もあろうかと』は、何百パターン存在するの?

 

 砂浜を走行するためにタイヤを換装されたジープが、エンジン音を鳴らしながら、平和な砂浜に侵入してくる。


 10リットル容器に詰め込まれたトロピカルジュース……バケツリレーよろしく、筋骨隆々とした執事たちによって続々と運び込まれ、ニコニコとしている淑蓮の前に300リットル分並べられる。


「私の愛を籠めて、一生懸命、手作りしてきたよ!」

 

 300リットルの愛(映画化決定)。


「一気! 一気! 一気! 一気! 一気!」

 

 淑蓮が主導して、執事たちも巻き込んだ一気コールが起こる。


 困惑している俺の目線を避けるようにして、こっそりと集団に紛れ込んでいた由羅は、謎の薬品をトロピカルジュースに混ぜ込み、さも自然な動作で一気コールに混ざる。


「一気……一気……一気……え、えへへ……あ、アキラ様がコレを飲んだら……し、新鮮なアキラ様、第二弾パッケージの改良が進む……えへ……」

 

 麦わら帽子と真っ白なワンピースを着ている美少女然とした由羅、あまりに可憐な姿ではあるが、湧き上がる期待で興奮し、胸を上下させて顔を真っ赤にさせ、こちらを充血した目でめつける姿は鬼のよう。


「い、一家庭に一人のアキラ様を……あ、アキラ様の御威光は、世界各地に広がって……か、環境汚染は改善し……せ、戦争に終止符は打たれ……せ、世界平和がやってくる……!」

 

 ロイヤルティも払わずに、俺で世界を救おうとするな。


「一気、一気、一気、一気、一気!!」

 

 今更、飲めないというのは許さないと言わんばかりに、淑蓮と由羅は大声で俺を追い込んでくる。

 

 どうやっても、トロピカルジュースを一気飲みさせるつもりらしいので、俺はため息を吐いてから口を開いた。


「わかった、飲んでやる。だが、飲むにしても、このままじゃ飲みにくいだろうし、パフォーマンス的にも華がない。

 そうだな……ビニールプールを用意してくれ。確か、フィーネが使ってたヤツがあっただろ?」


 俺と日本風の夏休みを楽しみたいとかいう理由で、用意されていた大きめのビニールプールが準備される。手際の良い執事たちの手によって、海外メーカー製の空気入れが何度も上限運動し、ビニール製のプールはあっという間に膨れ上がった。


「安定していないと危ないから、砂浜に穴を掘って、そこにビニールプールを固定してくれないか? それと今日は暑いからな、波打ち際にしてくれ。300リットルも飲むんだし、その間は少しでも涼しいほうがいい」


 一気飲みしてくれればなんでもいいのか、淑蓮はこちらの要求を全て呑み、トロピカルジュースをビニールプールに注ぎ込んでいく。自分の手料理を俺に食わせるのが大好きなのもあって、本気で300リットルを俺の胃にぶち込む気らしい。


「よし、じゃあ、飲むぞ」

 

 このビニールプールは、ニ気室仕様だ。つまり、空気を入れる穴が二箇所存在しており、ビニールプールの上の層と下の層、それぞれが別個にわかれた上で、空気によって膨らんでいるような構造をとっている。

 

 こういう構造をとっているビニールプールは、下の層の空気を抜いても、上の層の空気は抜けないようになっている。つまるところ、下の層の空気穴を開いておいても、上の層は膨らんだままなので、今のように下半分が砂で埋まっていれば誰もわからない。

 

 その上、ココは波打ち際だ。砂浜がトロピカルジュースを含み、水分含有量の変化によって変色しても、海水によって変じたものとして受け取る筈だ。

 

 ビニールプールを埋める手伝いのフリをしながら、下層の空気穴の栓を抜いておいた俺は、徐々に減っていくトロピカルジュースに合わせて飲むフリを続け……もう飲めないと言わんばかりに、尻もちをついて「おえぇ」と吐く演技をする。


「もうダメだ、さすがに300リットルはきつい。後は皆で飲んでおいてくれ、美味しかったよ淑蓮」

「……ホントに飲んだ? お腹、少しも膨らんでないみた――」

「淑蓮、水着、可愛いな。似合ってるよ」

 

 俺がそう言った瞬間、淑蓮の肌は紅潮していき、後手を組んだ妹はもじもじとしながら「うん……ありがとう、お兄ちゃん……」と殊勝に礼を言った。


 妹のチョロさによって助かった俺は、ビニールプールにある残りを砂浜とスタッフ(執事)に任せることにして、こちらの様子をわくわくしながら見守っている由羅に絡まれないうちに先生の元へと向かう。


「先生、身体つきだけはいいですね」

「それで褒めているつもりなら、ナンパ学を幼稚園からやり直せ」


 白色のビキニの上にアロハシャツを羽織っている雲谷先生は、サングラスをずらしてから俺を見つめ微笑する。


「さて。助けたカメではなくカニを引き連れた悩める少年に、担任教師らしくアドバイスをしてやるか」

 

 サイドテーブルに置かれたトロピカルジュースを啜り、先生は微笑んだまま、俺にそれを手渡してくる。


「水分補給をきちんとしてから、水無月とフィーネのところに行ってこい。あの二人の因縁を解けるのは、お前くらいだからな」

「三万円でいいですよ」

 

 手のひらを差し出すと、雲谷先生はため息を吐いてから、足の指先で俺の腹をくすぐってくる。


「アドバイスと言ったろうが。別に従わなくてもいいが、その場合、お前のいかさまを淑蓮に告口する。あの子は賢いから感づいてはいるだろうが、兄を疑えないが故に、ビニールプールをチェックするのが遅れるだろうからな」

「いい年して、脅迫ですか。日本を背負う三十路代表として、恥ずかし――喜んで行って参ります」

 

 サイドテーブルを片手で持ち上げて、笑顔で威嚇してくる独身。その左薬指に、指輪がハマる日はくるんだろうか?


「お前は、素直な時は良い子なんだがな。照れ隠しというか、なんというか、人を利用しようとするのが悪い癖だ」

 

 ちょいちょいと手招きをされたので近づくと、柔らかな手で頭を撫でられ、優しげな表情で諭される。


「元々、心根は良い子だ。誰かに本気で向き直ろうとすれば、きっと、お前は優しくなれるよ」

 

 余生に本気で向き直ってるのに、優しくなれないのなーんでだ?


「また、ふざけたことを考えてるな? そうやって、茶化すのも悪い癖だ。

 まぁいい、行ってこい」

 

 ぽんっと俺の頭を叩いてから、読書を再開する雲谷先生、なんだかその余裕ぶった態度がムカついたので、そっと顔を近づけて頬にキスをしてやる。


 その瞬間、バッと顔を上げ、自分のされたことを認識し……顔を赤くして、自分の顔面を本で覆い隠す。


「……このバカ」

 

 恋愛経験0っぽい反応を前にして、唯一、雲谷先生に反撃できる糸口を掴んだ俺はニヤニヤとし――ドス黒い感情で粘ついた視線を受けてその場から逃げ出す。


 淑蓮と由羅は、瞬きひとつせず、微かな声を上げようともしないで、逃亡する俺の背中をじっと見つめ続けていた。

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