ヒモカニ合戦

 俺の足首に巻きつけられた紐によって、動きを阻害されているアロハ・カニオは、足元でちょろちょろと動き回っていた。


 空気が張り詰められている――マズイな、今、この場にいるのはよろしくない。

 

 秀才、美人、ヤンデレと三拍子そろったあの水無月結が、青ざめた顔をして逃げ出すなんて……マウンテンゴリラが下山するようなものだ。


「あ、アキラくんはっ!!」

 

 薄青色のビキニを身につけて、上に薄手のパーカーを羽織っていた水無月さんは、俺の腕を抱え込んで叫ぶ。


「わたしの恋人なのっ!!」

 

 我が校始まっての秀才だけあって、状況悪化能力まで優れてるぜ!


「……恋人?」

 

 フィーネの目が鋭く細められて、張本人である俺の言葉を待つかのように、ブランド製の日傘をくるりと一回転させる。


「恋人だよね、アキラくん? わたしたち、付き合ってるもんね?」

 

 NOと言ったら、俺のこと殺しちゃいそうだねYOU。


「まぁ、待ってくださいよ。とりあえず、状況を説明してください。大事な人が喧嘩している真っ最中、事情も知らずにいるなんて出来ませんよ」

 

 とりあえず、お茶を濁す。『大事な人』という呼称を聞いて、この自信過剰のヤンデレどもは、間違いなく『自分のこと』だと思い込むだろう。


「安心して、ダーリン。あなたの大事な人loved oneは、喧嘩なんてしてないから」

 

 フィーネは、口の端を歪める。


「ちょっと、お話してただけ」

 

 納豆、美味いわ。やっぱり、入念なかき混ぜは大事だよね。


「アキラくんとわたしは、もう結ばれてるの! 今更、フィーネが介入したところで、わたしたちの愛は負けたりしない!!」

 

 監禁未遂起こしといて、なに正義ヒロイン面してんだコイツ。

 

 俺のファインプレーを華麗なミスで台無しにした水無月さんは、ぐいぐいと俺の腕に胸を押し付けてくる。こういう事態に陥ってもなお、妥協を許さない誘惑ハニートラップはさすがと言えよう。


「ダーリンは、そんなこと知らないみたいだけど?」

「……え?」

 

 絶望に真っ逆さま、とでも言わんばかりに、揺れる瞳で俺のことを捉えようとする水無月さん。

 

 俺としては、水無月さんのヒモになることは大歓迎であり、恋人関係をもつことで自在に彼女をコントロールしようとしたのは事実である。自分から告白もしてしまっているし、逃れようがない。

 

 なので、俺は――


「そもそも、恋人ってなんだ?」

 

 禅問答ごまかしに逃げた。


「ダーリン、悪い子bad boyだね……また、煙に巻こうとしてる……」

 

 しかし まわりこまれてしまった!


「でも、大体、事情は把握したよ。ダーリンが何に巻き込まれて、本意としない約束に振り回されてるのか。少なくとも、フィーは理解した。

 そろそろ、腕を離さないと千切ちぎるよ?」


 水無月さんの全身が、小刻みに痙攣し――ゆっくりと、俺から離れる。


 そのことがあまりにも意外で、思いもしなかった驚きに、納豆を口に運ぶスピードが1.3倍速になってしまう。


 あっという間に空になった納豆パックをその場に置くと、待ち構えていたかのような呼びかけが聞こえた。


「ダーリン、おいで」

 

 真っ白な日傘が、宙に放り捨てられる。

 

 くるくると回転しながら青空へと、逆巻く風の流れに運ばれて、白白とした色が映える背景をバックに空中遊泳を始める。

 

 映画のようなワンシーン。撮影のワンショットであると言われても、頭から信じ込んでしまうような美と愛をもって、フィーネは俺に向かって両腕を広げた。


「おいで《come on boy》」

 

 釣られるように、俺が一歩を踏み出すと――そっと、服の裾を掴む震える手があった。


「行かないで……アキラくん、お願い……行かないで……」

 

 今、フィーネの所に俺が行ったら、その場で自害しそうなくらいに追い込まれている表情。


 顔は真っ青で、瞳は揺れ動き、呼吸は不自然で、両足はふらついている。俺の決断ひとつでココまで追い込まれるとは、本当に俺なんぞのことを愛しているんだろう。


 ――お前、結局のところ、誰が好きなんだ?


 雲谷先生の言葉が反芻リフレインされる。


 ――水無月なのか、淑蓮なのか、衣笠なのか……それとも、フィーネなのか


 いい加減、俺の宿主を決めなければいけない日が近づいているのかもしれない。修羅場を経験するのも飽きてきたし、ある程度は感情移入してしまっているコイツらに死なれてしまったら精神衛生上良くない。


 きっと、俺には、なんらかの決意おわりが必要だ。


「ひとつ、聞きたいんだが」

 

 自分の発した声が、何時もよりよく響いた。


「フィーネ、お前、なんで俺のことを好きになった?」

 

 フィーネ・アルムホルトは、愉しそうに悦楽の笑みを浮かべる。


「〝目〟が合ったから」

 

 両腕を広げて、俺が来るのを知っているかのように、彼女は高々と述べた。


「あの時、初めて人と〝目〟が合ったから。誰も彼もが、恐ろしい化物を見るかのような〝目〟を向けて逸して離れていったのに、あなただけは私のことを見つめ続けていたから。逸らさなかったから。愛してくれたから」

 

 恍惚とした表情で、慈愛溢れる微笑で、彼女は陽の光を浴びる。


「ダーリンの心が欲しい」

 

 俺の足が、一歩を踏み出す。


「……ぁ」

 

 水無月さんの指が離れて、俺は両腕を広げているフィーネを受け入れようとして――


「痛っ!」

 

 足元にいたアロハ・カニオが、〝拒否〟するかのように彼女の足指を挟んでいた。その瞬間にフィーネの〝仮面〟が剥がれて、その裏にある〝真意〟が明らかになる。


 自分の思い通りに動く俺を観察するフィーネの目玉は、その行く先の先の先まで、己の舗装したじんせいを、己の意思けいさんに沿って、己の先導ヒモを使って歩ませようとしていた。


 その行く末が、俺の望む人生ヒモなのか迷いが生じる。彷徨う俺を他所に、フィーネは、ジタバタともがくアロハ・カニオを持ち上げた。


「……このカニ、メスだね」

 

 そして、思い切り地面に叩きつけようとして――俺は、彼女の腕を掴む。


「そいつは、俺の夕食モノだ」

 

 唖然とするフィーネ。まさか、たかがカニを庇って、自分の反発心を招こうとはしないだろうと〝計算〟していたんだろう。

 

 しかし、お陰様で、ようやく正気に戻った。決めるだのなんだのうだうだ考えて、フィーネに操られるのは俺の意思スタイルじゃない。コイツの計算に従って動くんじゃなくて、コイツをこっちの計算で動かしてやるくらいがヒモだ。

 

 予想を裏切るような展開、誰も予想だにしない一手。

 

 それが――桐谷彰おれだ。


「さて、そろそろ、お暇するわ」

 

 逃げ場のない状態。この場から安全圏へと、フィーネと水無月さんを、振り切って逃げるのは無理だろう。かと言って、フィーネと水無月さん、どちらかを選んでも俺の意思にそぐわない状況に陥る。

 

 だとしたら、選択肢はひとつだ。


「それじゃあ」

 

 フィーネの手からアロハ・カニオを奪い取って、俺は崖際へと後ろ向きに歩き――


「あでゅー」

 

 後方へと――崖へと跳んだ。

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