愛は、不定形なモノ

「ゆいちゃん」

 

 モモ先生は、優しい先生だった。


「先生と遊ぼっか?」

 

 何時まで経っても、迎えに来ない父親を待っている間、モモ先生はわたしに笑顔で接してくれる。そこには、嘘も偽りもなくて、深い愛情だけが存在していた。


「そっか、ゆいちゃんは、アキラくんが好きなんだ?」

「うん……でも、あの子も好きだって言うの」

 

 あの頃のわたしは、白金プラチナの髪をもつ親友に、まるでかなう気がしなかった。


 あの子がもつ金色の輝きは、わたしのもつ鈍色の輝きを損ねて、幼稚園に通っている男の子たちは、誰も彼もが彼女に惹かれているようにすら思えた。


「なら、ゆいちゃんは諦めるの? アキラくんのこと、どうでもいいと思える?」

「ううん」

「なら、絶対に諦めちゃダメ。身勝手だと思われようと、ソレは愛じゃないと誰かに言われようと、自分が彼と幸せになるために本気になるの」

 

 モモ先生は、微笑む。


「愛は、不定形なんだよ」

「モモ」

「あ」

 

 近隣にある中学校の制服を着た男の子が、ぶすっとした表情で立っていて、モモ先生は慌てた様子で駆け寄る。


「だから、仕事場に来ちゃダメでしょ?」

「知るかよ」

 

 ボサボサの長い前髪で顔を隠している中学生男子は、わたしの方を視て、それから興味なさそうに視線を逸らす。


「こんにちは」

 

 わたしが挨拶をすると、彼は斜め右上を視て、着崩したズボンのポケットに手を入れる。


「……ちは」

 

 そんな、無愛想な男子学生を押しのけ、高級時計を身に着けたスーツ姿のパパがわたしを呼んだ。


「ゆい、来なさい」

「はい」

 

 命令通りにパパの後ろに立つと、パパは『部外者が、何故ココにいる』とか『君には、教育者としての自覚が』とか、モモ先生にくどくどと言い出して、純粋な善意で遅くまで世話をしてくれた先生は申し訳なさそうに何度も頭を下げていた。


「おい、おっさん」

 

 一方的な罵倒が行われている最中に、目玉が飛び出るような値段のついたパパの腕時計を人差し指で回しながら、目の前の男の子は口笛を吹いて笑った。


「あんた、大事なもの視えてんのか?」

「なっ! 返せ!!」

 

 パパは語気を荒げて一歩踏み出し、恐怖を覚えたわたしは後ろに下がったことでつまずいて――頭から、地面に突っ込んだモモ先生に受け止められた。


なぎさ

 

 石で額を切った先生は、血を流しながら言った。


「腕時計を水無月さんに返して、家に帰りなさい。今直ぐ」

「でも――」

「帰りなさい」

 

 渚と呼ばれた彼は、舌打ちをして出ていき、呆けていたパパはハッとして、猛然とモモ先生に詰め寄る。


「これは責任問題だ! このことは、園長に――」

水無月みなつきさん」

 

 わたしが見上げたモモ先生は――わたしの知っている、優しいモモ先生ではなかった。


「お子さんと手を繋いであげて下さい。コレで、三度目の警告です。もう次は有りえません。

 もし、貴方の不注意で、この子が死ぬような羽目になったら――」


 モモ先生は、怖気の奔るような眼をしていた。


「私は、絶対に、貴方に報いを受けさせる」

 

 気圧されたかのように、パパはニ、三歩後ずさった。それを追いかけたモモ先生は、わたしとパパの手を無理矢理に繋がせる。


「無駄なプライドなんて、捨てたほうが貴方の身のためです。こんな下らないモノを気にしている暇があったら、本当に大事なモノが何なのか考えたほうがいい」

 

 モモ先生は、いつの間にか渚がポケットに入れていったパパの腕時計を、恭しくパパの腕に着ける。


「こ、コレは脅迫だ……」

「えぇ」

 

 わたしの先生は、じっとパパの裡を見つめる。


「脅しているんです。そのことを、忘れないで下さい」

 

 それから、パパはわたしと手を繋ぐようになった。もし、あのまま、父親と手を繋ぐこともなく幼少時代を送っていたら、わたしはとっくの昔に、あの家を飛び出していたかもしれない。

 

 だから、わたしは、モモ先生を尊敬しているし、愛してもいる。

 

 でも、その愛がどんな性質のものなのか、わたしにはわからない……だって、愛は不定形なものだから。




「アキラ様~、アキラ様はいりませんか~?」

 

 アキラの顔で出来たモザイク柄の法被はっぴ鉢巻はちまきを身に着けた由羅ゆらは、拡声器を使って大声を上げながら駅前を練り歩いていた。


「アキラ様~、新鮮なアキラ様はいりませんか~?」

 

 由羅の隣にいるのは、げっそりとした顔をしている麻莉愛まりあ。彼女と同じように、アキラ柄の法被を着込んで、角を生やすようにしてピンク色のサイリウムを鉢巻に差し込み、拡声器で「安いよ、安いよ~」と今にも死にそうな声を張り上げる。


「ゆ、由羅先輩」

 

 マリアは、新鮮なアキラを積み込んだ荷台を引くのを止めて、改造した冷蔵付き荷台の電源を止める。


「なに……ど、どうしたの、マリア……?」

 

 何故だか、出発した時点で、元気のなかったマリアを見つめながら、由羅は笑顔を浮かべて爽やかに汗を拭う。


「そ、その、ずっと聞きたかったんですけど……新鮮なアキラ様って、なんですか?」

「え……ソレだよ……?」

 

 車輪のついた冷蔵庫と評しても良いソレを指差すと、マリアは濁った目で「なるほど~」と頷いた。


「アキラ様は、冷蔵庫だったんですね!」

「マリア……何を言ってるの……?」

 

 気がおかしくなってしまったんだろうか――心配する由羅を他所に、マリアは「すみません、間違えました」と虚空を見つめながらつぶやく。


「由羅先輩は大好きだけど……あたしには、あの男の真似事は無理だ……なんで、せっかくの休みに、新鮮なアキラ様なんて謎の代物売らないといけないの……由羅先輩が可愛いからいいけど……」

「マ、マリア……?」

「はい! 元気です!!」

「う、うん。そ、それなら、次の場所ポイントに――」

 

 由羅の携帯が鳴って、一通のメールが目に飛び込んでくる。



 差出人:桐谷淑蓮きりたにすみれ

 宛先:水無月結みなつきゆい

    衣笠由羅きぬがさゆら

 件名:緊急事態

 本文:お兄ちゃんがさらわれた



「由羅先輩? どうし――」

 

 由羅は、全速力で駆け出した。

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