先生、何しに来たんですか

「いや、休養って……」

 

 ふんわりとした前髪を残しているエアリーショートの先生は、青々とした大海原をバックに、ゆったりとしたアロハシャツを着崩し、イケメン読者モデルを足蹴に出来るレベルの凛々しい顔立ちで微笑む。


「この島って、女性が出入り出来るとは思えないくらいに、セキュリティが厳しいと思うんですが」

「確かに『私は男だ』とゴリ押ししようとしたが、どうやってもボディチェックを受けざるを得なくなって断念したな」

「いや、その胸なら、ボディチェックも誤魔化せ――先生、そっちに腕は曲がりません」

 

 俺の腕マイ・アームを異様な方向に折れ曲げようとした先生に謝罪を繰り返し、俺は目の前の邪魔者に白い目を向ける。


「で、ハニーと僕の島に何の用ですか?」

「相も変わらず、環境適応能力がずば抜けてるな……もう、この島に永住することに決めたのか?」

「天国に永住しない人間なんていませんからね」

「……桐谷」

 

 雲谷先生は咥えていた煙草を箱に仕舞い、それからポケットに片手を突っ込む。


「悪いことは言わんから帰れ。今は天国でも、いずれ、ココは地獄に変わるぞ」

 

 地獄も適応すれば天国だと思います。


「もしかして、先生、わざわざ警告しに来たんですか?」

「いや、休養」

 

 先生はサングラスを取り出して、至極自然な動作で身に付ける。歳をとってくると、紫外線が気になるらしい。


「ま、お前が、言って聞くような輩ではないのは知ってる。精々、好きにしろ。私は私でバカンスを楽しむからな」

 

 そう言って、先生は波打ち際を歩き出し、ビーチサンダルを海に浸して楽しそうな声を上げ始める。

 

 いや、本気で、何しに来たんだこの人。


「桐谷、カニがいるぞ! カニ!!」

 

 可愛いな、三十路。

 

 俺が無視していると、雲谷先生はずんずんと歩み寄ってきて、俺の手を引っ掴み、無理矢理引きずっていく。


「桐谷、視ろ! カニだ!!」

 

 はしゃぐな、三十路。


「カニだぞ!!」

 

 カニに親でも殺されたのかコイツ。

 

 青みを帯びた灰色の殻をもつカニがチョロチョロと動き回り、雲谷先生は「うわっ!」と声を上げて俺にしがみつく。


「桐谷、カニだぞっ!!」

 

 反応しないと、永遠にループする感じ? →いいえ 選べない感じ?

 

 なら、本気を出さざるを得ないな。


「うわぁああああああああああああああああああ!! すげぇええええええええええええええええええええええ!! カニだぁあああああああああああああああああ!! カニカニィイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」

 

 両手でピースサインを作って頭に載せ、全力で叫びながら、高速で反復横跳びを行うと、雲谷先生はひくついた笑顔を浮かべる。


「よ、よかったな、桐谷」

 

 殺すぞ?


「捕まえて飼ってみるか? ほら、絵日記帳を持ってきたから、二人で観察日記でもつけてみようじゃないか」

 

 ウキウキとした様子で、腰のウエストバッグから『えにっき』と書かれた絵日記帳を取り出し、先生は俺に手渡してくる。


「いや、さすがに、この歳で絵日記は――」

「桐谷! 逃げるぞ!! 捕まえろっ!!」

 

 素早い動きで逃げ始めたカニを目で追い、いい年した彼女は俺の服を掴みながら「桐谷! 桐谷、獲れ!! 桐谷!!」と耳元でがなり立てる。


「仕方ねぇな……」

 

 面倒に思いながらも、俺は腰を屈めて――タイマーの残り時間が〝3分11秒〟を示しているのが目に入る。


「あっ」

「どうした、桐谷!? 逃げるぞ!? カニさんが逃げる!! 逃げちゃうぞ!!」

 

 カニに対するその執念を婚活に向けろ。


「先生、マズい。とっとと、俺から離れて」

「どうした?」

 

 落ち着きを取り戻した雲谷先生は、さっきまでのはしゃぎようが嘘かのように、俺の目の動きだけで腕時計を察知し、残り時間を視てから「なるほどな」と頷いた。


「ID情報が埋め込まれてるのか……寝泊まりしている家への出入りは、コレで行っているんだな? 距離測定器も内蔵されている上にGPSまである。IDで入出を管理して、ペアとなっている端末とリアルタイム通信を行い、一定以上の距離まで近づくことでタイマーのオンオフが自動的に切り替わる仕組みか」

「……わかるんですか?」

「大体な。詳しいことは、外装を外さないとわからんが」

 

 何者だ、あんた。


「桐谷、外すか?」

「えっ」

 

 厳重に鍵がかけられており、フィーネの許可がない限り、絶対に外れない腕時計を視てあっさりと雲谷先生は言った。


「外せるんですか? 残り2分ちょいですけど」

「まぁ、鍵をもってるからな」

「えっ」

 

 ポケットから小さな鍵を取り出し、俺の担任はぷらぷらと揺らす。


「どこから、そんなもの……」

「お前のご主人様が落としていった」

 

 いや、有り得ない。アレだけ俺に固執しているフィーネが、桐谷彰おれを管理するために必要な鍵を落とすなんて考えられない。


「雲谷先生……あんた、一体……」

 

 目の前にいる先生の目線が俺の後ろに移り、釣られて振り向くと――真っ赤な眼をしたフィーネが立っていた。


「ダーリンに、近づいた。女が。ありえない。有り得ない。ダーリンに。大好きなダーリンに。女が。近づいた。なんで。オカシイ。何かがオカシイ。フィーネは視てたのに。オカシイ。アイラブユーって言ったのに。オカシイ。完璧だったのに。オカシイ」

「よう、フィーネ! こちら、雲谷先生! 俺の担任なんだ! よろしくな!」

「桐谷、間違いなく、紹介するタイミングを間違えてるぞ」

 

 知ってらぁ!!


「雲谷……ウン、ヤ……?」

 

 怒気を帯びていたフィーネの瞳が理性を取り戻し、目の前にいる雲谷先生を見つめ、愕然とした表情を浮かべて後ずさる。


「ウンヤ……知ってる……この女……あの時の……」

「随分と記憶力がいいな。桐谷なんて、お前のことは忘れ去っているのに」

「え?」

 

 間に立つ俺は、両者を見比べてから口を開く。


「知り合い?」

 

 唇を噛み締めたフィーネは、悠然と微笑する雲谷先生を、鬼気迫る顔つきでめつけていた。

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