病んでる、ヤンデレ島

 『Fine Love』とくっきり印字されたTシャツを着て、短パンにビーチサンダルを履いた俺は、真っ青な海を前に立ち尽くしていた。


「……ものの見事に海だな」

 

 振り向けば立派なガジュマルの木があり、気品を示す白色のプルメリアや真っ赤なハイビスカスが咲き乱れている。


 奥まったところには、新築の教会まで建っていた。

 

 どこからどう視ても、日本ではない。ハワイだ。ワイハだ。アロハだ。


「ダーリン、ココに居たの?」

 

 麦わら帽子をかぶって花柄のワンピースを着たフィーネは、あでやかな笑顔を浮かべたまま歩み寄ってくる。


「3分以上、フィーから離れたら、アラームが鳴るって言ったでしょ?」

 

 桐谷彰おれをこんなところに連れてきたご主人様は、俺の手首に付けられた鍵付きの腕時計に手を伸ばし『32秒』と〝残り時間〟を示したタイマーを止める。


「コレ、鳴ったらどうなるんだ?」

「関係各所に連絡がいって、ダーリンのところに、フィーが雇った民間軍事会社PMCの人たちが集まってくるだけだよ」

 

 世界を滅ぼしかねない要人になった気分。


「それで、ダーリン、どこに行ってたの?」

「散歩」

 

 と称して、この島を見て回っていた。

 

 とりあえず、フィー島(仮称)を見学したことでわかったのは、この島には〝女性〟が一人もいないということだ。

 

 俺とフィーの世話係として、燕尾服を着こなした男性は多く見受けられたが、不自然と思える程に女性はいない。この世界から、フィー以外の女性が消え失せたんじゃないかと思うくらいにいない。


「フィーも連れて行ってくれればいいのに」

 

 つまるところ、自分以外の女性と俺を〝一秒たりとも〟接触させる気はないらしい。


 自室(フィーとの相部屋)のインターネットにも、彼女による検閲が入っているらしく、フィルタリングによって女性自身だけではなく、女性を連想させる写真、絵、音、文字……もろもろの情報が全て規制されていて俺の元には届かない。


 当然ながら、私物の持ち込みは許されておらず、外部との連絡も完全に遮断されている。本棚に収納されていた国語辞典の『女』や『女性』の欄が、黒く塗り潰されているくらいの徹底ぶりだ。


 フィーネは、この島に俺を閉じ込めることで、自分以外の女性を完全に排除することにしたらしい。


「ダーリン」

 

 日光をいとうかのように、目深まぶかに帽子をかぶったフィーネは、ニッコリと笑って俺の腕をそっと抱え込む。


「ずっと……ずっとね……ダーリンから離れることになってから、フィー、ダーリンのことだけを考えてたよ……」

 

 俺は、今朝から、納豆の混ぜ方だけを考えてたよ。


「だからね、ダーリンがフィーを受け入れてくれて嬉しい」

 

 完全受け入れ態勢(入金のみ)。


「俺もフィーに出会えて嬉しいよ」

「ほ、本当!?」

「あぁ、もちろん」

 

 フィーは、優しげに笑んで――俺の眼前に、自身のスマートフォンを突きつけた。


「なら、なんで、今まで会いに来ないで、他の女とイチャイチャしてたの?」

 

 おっと、地雷踏んじゃった(お茶目)。

 

 画面に表示されている写真には、顔と名前しか知らない、特に親しくもないクラスメイトと会話している俺の姿が映し出されている。


「フィーは、ママの胎内にいる時から、ダーリンのことを想ってたよ?」

 

 どんな胎内教育してんだ、お前の母親。


「なのに、なんで!! なんで、フィーのことを想ってくれなかったの!? なんで!? フィーは愛してたのに!! どうして、他の女と話すの!? 好きなのに!! 愛してるのに!! なんで!?」

 

 同じ委員会だからだよ。

 

 白い髪を振り乱して激怒していたフィーネは、弾んでいた息を徐々に整え、砂浜に落ちた麦わら帽子を拾ってかぶり直す。


「お、落ち着いて……フィー、大丈夫……も、もう、ダーリンは、あなたのものだから……ダーリンのことだけを想って……自分本位になっちゃダメ……き、嫌われちゃうから……フィー……」

 

 ブツブツと独り言を話しているかと思いきや、彼女は親指の爪に描かれた〝顔〟に話しかけているようだった。マニキュアか何かで器用に描かれた顔は、彼女を励ますかのように微笑している。


「オーケー……フィー……リラックス……リラックスして……あの女はいない……ダーリンとの仲を阻むあの女は……ココには来れない……民間軍事会社PMCが巡回してるし、島の出入りは完全に封じられてる……絶対に、他の女はこの島に入って来れない……」

 

 顔を上げた時、フィーネは何時ものフィーに戻っていた。


「……ごめんね、ダーリン。少し、ヒートアップしちゃった」

「気にするなよ、俺も気にしないから」

 

 それよりも、納豆を勝手にかき混ぜたことを謝れ。


「ありがとう、ダーリン。やっぱり、昔から、ダーリンは優しいね」

 

 嬉しそうに微笑んで、甘えたがりの子どものように、フィーネは俺の胸元に身を滑り込ませてくる。


「ねぇ、ダーリン」

 

 俺の胸の中で、フィーネはささやく。


「ダーリンは、必ず、フィーが幸せにするから。あの女が言ったみたいに、不幸せになんかしないから」

 

 あの女?


「ダーリン、フィーはね――」

 

 甲高い着信音が鳴り響き、露骨に嫌な顔をしたフィーネが「また、パパか」と言って、俺から距離を取る。


「ごめん、ダーリン。先に家に戻ってて。タイマーを帰宅用にセットしておくから、時間内に家に戻って、帰宅確認用のセキュリティゲートに腕時計を当ててね」

 

 タイマーが『10分』にセットされ、フィーネは嘆息をき、歩きながら通話を始めて遠ざかっていった。

 

 俺はデジタル時計を見つめて、減っていく秒数を眺める。


「時間に余裕があるな。どこかに寄っていくか。

 しかし、何をするかな?」

「私とビーチを散歩なんてどうだ、桐谷?」

「あぁ、なかなか良い提案です……ね……?」

 

 俺は驚いて飛び退り、眼の前にいる人を視て目を丸くする。


「いや、何してるんですか……」

 

 その人は、格好良くアロハシャツを着崩し、当然のように凛々しく立っていて――


「雲谷先生」

 

 俺の呼びかけに、片手を挙げて応える。


「休養」

 

 俺の担任は、煙草を咥えて微笑した。

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