ヤンデレは帰ってくる
綺羅びやかなシャンデリアは、光彩を描きながら、ゆるやかに流れていく夜の時間を演出していた。
シャンデリアのスポットライトを存分に浴びながら、高名な楽団が優雅なクラシック曲を奏で、雲谷先生は上質な音楽を堪能しながら舌鼓を打つ。
「美味いな! こんなに柔らかい肉を食べたのは久しぶりだ!
なぁ、桐谷!?」
「……そっすね」
純白のテーブルクロスが引かれたテーブルには、鉄板の上に載せられた分厚いステーキがこれ見よがしに並べられているのだが……残念なことに、俺は食欲不振に陥っていた。
「桐谷、早く食え! 冷めるぞ!!」
目の前にいる
「この女、どの面下げて……アレだけのことした癖に……また、フィーの邪魔をする……ダーリンに語りかける……」
夕食が始まってメインディッシュのステーキがくるまでの間、フィーは自身の親指に描かれた顔にぶつぶつと語りかけ、現実逃避するかのように、俺と先生の方をちらりとも見ようとしない。
お陰様で、空気は最悪である。
この暗黒空間をどうにかしようと、楽団の演奏を英語で褒めたら、何故かヴァイオリニストがキレて更に雰囲気が悪くなった。
どうやら、『ファック』は褒め言葉ではなかったらしい。妹が俺に対して『ファックしよう、ファックしよう』とやたら連呼していたので、最上位の賛辞だと思いこんでいた。意味は調べたくない。
「先生、ひとつ聞いていいですかね?」
「桐谷、ステーキ美味いぞ!! こんな美味い肉、食べたことない!!」
話が噛み合わないのは、ジェネレーションギャップのせいかな?
「フィーネとの間に、何があったんですか?」
先生は、手を止めて、わかりやすく顔を曇らせる。
「ん……まぁ、少しな」
『少し』で、あそこまで、追い詰めるようなことやらかしたのかコイツ。
自分の親指と喋り続けていたフィーネは、雲谷ショックから立ち直り始めたのか、俺と先生の会話をちらちらと覗き見て、こちらが視線を向けると、
「困るんですよね。俺の
「現実で〝傀儡〟なんて言葉を使うような高校生、初めて見たぞ私は……」
蟹に『アロハ・カニオ』なんて名前つけて、可愛がる三十路も初めて見たよ。
こちらを伺うフィーネを一瞥してから、雲谷先生はワイングラスを揺らして、赤い液体ごしに俺を見つめる。
「なにぶん、私も若かったからな。今とは違って、あの子を思いやってやるような気遣いはできなかったし……それに……」
「それに?」
郷愁を両眼に浮かべていた雲谷先生は、ハッとしたかのように瞬きして、微笑みを浮かべ俺の頬を摘む。
「……大きくなったな」
「は?」
「いや、なんでもない。
ところで、フィーネのことは憶えていないのか? 交流はほぼなかったとは言え、顔は合わせている筈だが」
改めて、まじまじとフィーネを見つめる。
俺に視られていることがわかったのか、フィーネはそわそわとしながら髪の毛を撫で付け、自分が一番可愛く視える角度を模索するかのように、椅子に座り直して身体の向きを変えたりしていた。
「あっ」
――Love conquers all
一瞬、ほんの一瞬、
「知ってるかもしれません」
さすがに、親指とのお喋りにも飽きたのか、フィーネは勢いよく立ち上がり、
「どうやって、パパを買収したの?」
「お前のパパを買収できる人間なんていない。あの人は、金なんてもの、幾らでも自分で稼げる筈だ」
「なら、どうして!? どうして、パパは私に『ウンヤを歓迎してあげなさい』なんて言ったのよ!?」
楽団による演奏は止まり、波音だけが辺りを支配する。
静まり返ったディナーの席で、雲谷先生は余裕を崩さず、アロハシャツの首元に引っ掛けたサングラスを指先で弄る。
「お前のパパが、お前のことを愛しているからだ。だからこそ、私という外部因子を島に入れることを選んだ。
アポイントメントをとって説得するのに、相当な時間と労力をかけたがな」
そのスキルを婚活に活かせ。
「……パパは、フィーを裏切ったの?」
「あ、フォーク落としちゃった(棒読み)」
テーブルの下に隠れて、修羅場をやり過ごすぞ~!
「裏切ってはいない。親として、お前の暴走を止めようとしているだけだ」
「暴走? 愛する人からの愛を得ることが暴走!?」
テーブルの下で、俺は激昂するフィーネを視ていた。
「違う!! フィーのやっていることは!! 私のやっていることは!! 人間として!! 愛を知る人間として!! 当然のことだ!! ダーリンへの愛を示すためなら、この世界が滅んだって構わない!!
〝先生〟は――あの女は、そう言っていた!! 『愛は不定形なモノ』だって!! そう言っていた!!」
彼女は、高らかに叫ぶ。
「この世界に必要なのは、ダーリンと私だけだっ!!」
「いや、違う」
俺はテーブルの下から這い出て、怒りのあまりに顔を歪めている彼女に向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「この世界に必要なのは、お前と俺だけじゃない」
俺の迫力に押されるかのように、フィーネは後ずさる。逃さないために、意思を伝えるために、彼女の腕を強く握った。
「納豆」
俺は、叫んだ。
「納豆も必要だろっ!!」
「桐谷、黙ってろ」
朝食に納豆がつかない世界なんて、俺には考えられない。
「この髪の毛、心当たりがあるんですか?」
不自然なくらいに自然なアキラの部屋の中で、淑蓮が摘み上げた
「水無月先輩?」
――絶対に、フィーは戻ってくる
「……フィー……ネ」
――それまで、ダーリンは預けておくから
「フィーネ……アルムホルト……」
――それが、〝第二婦人〟であるあなたの役割
「み、水無月結は、知っているの? だ、だったら……あ、アキラ様を取り返す算段を考え――」
「取り返せない」
「は?」
ゆいは震える手を隠すために、右手を背中の後ろに追いやった。
「あの子には……勝てない」
見開いた両目が乾いていくのを感じながら、
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