番外編:プロフェッショナル 妹の流儀

 ――お兄ちゃんの細胞をおかずにご飯が食べたい




 日曜日、桐谷淑蓮いもうとの朝は早い。

 

 早朝四時、兄である桐谷彰きりたにあきらの布団の中で目を覚ました彼女の眼は、爛々とした輝きをまとっていた。


「睡眠中の脳波をモニターした結果、兄の睡眠が最も深くなるのは、四時十二分頃なんです」

 

 明け方、日も昇り始めたばかりだというのに、既に彼女は完全に覚醒していた。


「この時間なら、何をしても、まず眼は覚ましませんね」

 

 そう言った彼女は、兄の服の中へと頭を突っ込み始める。


「朝のラジオ体操を日課としている方が、いらっしゃいますよね?」

 

 何度も兄の服の中へと頭を抜き差ししている彼女の顔は、真剣味でかたどられ、プロとしての矜持が見え隠れしていた。


「それと同じです。私にとっての日課はコレなんですよ。兄の腹直筋から肋間筋までを堪能できる貴重な時間ですから、絶対に無駄な動きはしたくない」

 

 淑蓮すみれの動作に妥協はない。そこに、プロとしてのこだわりがある。


「乳頭には触れません。兄の覚醒を早めるので……飽くまでも、腹直筋から肋間筋まで、テンポよく可能な限り素早くですね」

 

 朝の六時……目を覚ます可能性が高くなる時間帯になると、淑蓮は彼の布団から出て自室へと戻っていく。


 最愛の兄から、離れていいのだろうか?


「お兄ちゃんは、許可なく自室に入られるのをよしとしません」

 

 兄の寝入る寝室へと再び戻り、淑蓮は粘着カーペットクリーナーとガムテープを用いて、自身の髪の毛などの痕跡を完璧に消していく。


「私がこの部屋にいたという事実を、目が覚ます前に消し去っておく必要があるんです。次いでに、兄が用いているノートパソコンのデスクトップ画面に、サブリミナル効果をもたらす『私のエロ画像』をさり気なく仕込んでおきます。

 毎日変えることで、日々のマンネリ化を防ぎ、私に性的意識をもつように誘導しているんです」

 

 自室から調達してきたツールを用いて、アキラの部屋の扉のロックを行う淑蓮には余念がない。


「大変かと言われれば大変ですが、お兄ちゃんに関わることであれば、それよりも幸福の方が大きく勝りますね」

 

 淑蓮の顔に、微笑が浮かぶ。


「お兄ちゃんとの幸せのためですから、辛いと思ったことはありません」

 

 午前七時半、桐谷彰が起床した。だが、淑蓮は自室から動かない。


「……お兄ちゃんの寝起きは、あまり良くありません。第一接触ファーストコンタクトをとるのは必須ですが、焦って行動を起こすと、お兄ちゃんの不快を買って好感度を下げることにもなりかねません」

 

 目を閉じて、座禅をする彼女に焦りはない。


「約十三分三十二秒後、このタイミングで偶然起きた風を装い、お兄ちゃんに朝の挨拶を行います」

 

 完璧なまでの時間管理、秒針に視線を集中していた淑蓮が――動いた。


「お兄ちゃん、おはよう! 大好き!! 結婚して!!」

「おはよう、嫌だ」

 

 無碍むげな返しをして、不審げな視線をカメラに向ける兄に近寄り、淑蓮は思い切り彼の腕を抱き込んだ。


「お前、ブラジャー付けてないだろ?」

「え、わかる? お兄ちゃんのえっち!」

「……というか、なんだよこのビデオカメラ」

 

 コーヒーを片手に二階へと戻っていた兄を見送る淑蓮は、今しがた、不当な扱いを受けた人間とは思えない程に気力に満ち溢れていた。


「いえ、お兄ちゃんの反応はこんなものです。むしろ、反応してくれるだけでも嬉しいですね。

 兄と肉体接触できるタイミングでは、可能な限り、ブラジャーは外します。冬でも薄着でいるのはそのためですね。まずは、『この妹は、襲っていい妹なんだ』と思わせるのが重要なんです」


 嬉々として、近親相姦のコツを語る彼女は至って真剣だ。


「結婚を意識付けさせるのも重要です。パブロフの犬……つまりは、条件反射ですね。『結婚』というワードを出す際に、胸を押し付けることで、性的意識と結婚を結びつけるように仕込んでおくんです。

 こうしておけば、お兄ちゃんが私に少しでも手を出した時、もう『結婚』しか考えられなくなっている筈です」


 プロとして、出来ることはしておきたい――そう語る淑蓮の目は、兄の背中だけを捉えていた。

 

 午前十一時半、淑蓮は兄のために昼食の準備を始める。


「休日、我が家で、まともに朝食をとらないのは兄だけですね。適当にコーヒーとトーストだけで済ませてしまいます。夕食はママの分担なので、昼食は私が動ける格好の機会となっていますね」

 

 淑蓮が作り始めたのは、オムライスとサラダ……普通の昼食にしか視えないが、ココにプロとしての技が光る。


「精力を増強させる食材を混入させます。オムライスには『納豆』、サラダには『ブロッコリー』などですね。お兄ちゃんの身体のためにも、薬品などは仕込みたくないので、食材オンリーで勝負をかけています」

 

 手際よく料理を作る淑蓮は、カメラにだけ語る。


「お兄ちゃんと出会った当初は、料理なんてひとつもできませんでしたね。むしろ、苦手でした。でも、お兄ちゃんが、お腹を空かせた私に『オムライス』を作ってくれて……この人のためだけに、私はオムライスを作ってあげたいと思いました」

 

 プロとは言え、淑蓮は恋する乙女の一人にしか過ぎない。我々スタッフは、頬を赤らめながら、料理を作る彼女に人間味を見た。

 

 アキラに引っ付いた状態で、『あ~ん』をやるやらないのやり取りを経た後、淑蓮はリビングにあるテレビの前にゲーム機を設置し始める。


「お兄ちゃんの数少ない趣味のひとつが『ゲーム』ですね。日曜日に一緒にゲームをやるのは、最早、日課になりつつあります」

 

 そう言ってゲーム機を設置し終えた後、なぜか、彼女はシャワーを浴び始める。一体、どうしたのだと言うのだろうか?


「後でわかりますよ」

 

 プロは、悪戯っぽく、カメラにささやいた。


「お兄ちゃん!! ゲームしよ~!!」

 

 アキラを呼びに行った淑蓮は、天真爛漫な妹にしか視えない。このはしゃぎようは、演技ではなく本物……だからこそ、兄であるアキラに突き刺さる。彼女はそうカメラに語ってくれた。


「え、まだ、撮ってんの? なんなの、淑蓮に密着取材ごっこ?」

「お兄ちゃん、ハイ、コントローラー」

「おう。つうか、当たり前のように膝の上に乗るなよ……あれ? お前、シャワー浴びたの?」

「うん! さっき!」

「頭くらいちゃんと拭けよ……お前は、雨に打たれてヤンキーに拾われる子犬かよ……仕方ねぇな……」

 

 アキラが立ち上がって洗面所へとタオルを取りに行くと、淑蓮は予想通りと言わんばかりにニヤリと笑った。


「コレで頭を拭いてもらえます。えぇ、コレも狙いですが、コレだけではありません」

 

 ブカブカのアキラのシャツを着た淑蓮は、カメラへと誇示するかのように胸元を引っ張った。


「お兄ちゃんのシャツです。サイズが合っていませんし、ブラジャーを付けていないので、兄が少しでも下を向けば全て視えます。しかも、頭を洗ったばかりなので、お兄ちゃんの好きなシャンプーの匂いもします」

 

 老練な狩人のようなプロは、目を閉じて深く頷いた。


「今日こそ、落とします」

 

 ゲーム中、正面から兄に抱きついて、猛烈なアピールをした淑蓮だったが……愛しの兄が、彼女を襲うことはなかった。


「並の兄なら、もう落ちていました」

 

 兄とのゲームを終えた彼女は、確信をめてカメラに語る。


「でも、相手は桐谷彰お兄ちゃんです。ずっと膝の上に座っていましたが、下に目を向けた時は一度もありませんでした。本気でゲームにキレてましたね。『クレームかけたるわ、ボケがぁ!!』とか言って、間違い電話してました」

 

 あからさまな失敗をした淑蓮だったが、彼女に気落ちの態度は見られない。


「えぇ、失敗は次に活かして、今度はパンツを脱ぎます。諦めるつもりはありませんね。この世で最も愛してるのはお兄ちゃんですし、兄以外の男を男性として意識したことは一度もありません」

 

 淑蓮は、自信をもって断言した。


「私は、絶対に、お兄ちゃんと幸せになります」

 

 その力強い一言は、アキラとの結婚以外を考えていないという、彼女の一大決心をうかがわせた。

 

 午後八時半……夕飯を終えたアキラの入浴が迫る中、淑蓮は真剣な表情で風呂の温度を調節する機器パネルと向き合っていた。


「お風呂の温度は、お兄ちゃんの体調に合わせて上下させます。でも、基本的にはぬるめですね。長い時間入浴して貰ったほうが、大量の出汁だしが出るので……その直後に、私がお風呂に入ります」

 

 彼女は、撮影スタッフに、今日一番の笑顔を見せてくれた。


「人生で最も幸福な時間ですね。お兄ちゃんに包まれて、お兄ちゃんだけを考える最高の時間です。妹の特権ですよ」

 

 空の二リットルペットボトルを用意しながら、淑蓮は自分の番を心待ちにしているようだった。

 

 後は深夜に兄の布団に忍び込むだけだと語った淑蓮に、我々、撮影スタッフは最後の質問を投げかけた。


 ――妹とは?


「兄にとって、最高の女性。ベストパートナー。誰よりも兄のことを理解し、誰よりも兄のことを愛せる人」

 

 兄の部屋に仕込んだ盗聴器で生活音を聞きながら、彼が寝静まるのを待つと語った彼女は、最後まで真剣に兄へと向き合っていた。


「妹って、そういうものですよね? 少なくとも、私にとって、妹というのはそういうものに他ならない」

「なぁ? なんで、何時までも、母さんは淑蓮のことを撮ってんだ?」

 

 我々は、当然のように言い切る彼女に、プロとしての矜持を見た。


「おい、母さん? なぁ、話、聞いてるか?」

 

 これからも、桐谷淑蓮は兄に愛を語っている。きっと、何時までも。


「なんで、どっかで聞いたことあるBGM流してんだ? おい? 母さん?」

 

 ~終~

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