下駄箱攻防戦

 瞬時しゅんじの判断で、俺はポケットの中に手を入れ、由羅ゆらへと電話をかけた。

 

 いぶかしげに携帯電話を手に取ったのを確認し、俺は素早く電話を切って、いざという時のために事前準備プリセットしておいた定型ていけいメールを送りつける。


 


 差出人:桐谷彰きりたにあきら

 宛先:衣笠由羅きぬがさゆら

 件名:

 本文:今日! デートしたいな!




「ゆいとデートに行けるなんて嬉しいなぁ!」

「あ、アキラくん、声大きいよ……ば、ばか……」

 

 水無月みなつきさんの意識は、適度なボディタッチと話術でこちらにみ、同時進行で由羅への対処を行う。

 

 ココで二人が邂逅かいこうすれば、間違いなく修羅場になる!! 由羅をメールで誘導ゆうどうしつつ、水無月さんの注意はを俺に向けさせるしかない!!




 差出人:桐谷彰きりたにあきら

 宛先:衣笠由羅きぬがさゆら

 件名:

 本文:放課後に行こう! 相談したい! 今直ぐ、下駄箱に行って!




 由羅の目がぱぁっと光り輝き、ドア越しに携帯電話を大事そうに握り締めて、こくこくと何度も頷く。




 差出人:衣笠由羅きぬがさゆら

 宛先:桐谷彰きりたにあきら

 件名:

 本文:アキラ様、大好きです!




 わかったから、とっとと失せて!!


「アキラくん? 汗、どうし――ポケット」

 

 水無月さんの声質が変わって俺の背筋が凍りつき、薄暗い瞳の彼女がゆっくりと俺のズボンへと手を伸ばし――俺は仮止めしていた糸をほどいて、ポケット内に開けた穴からズボンを通し、携帯電話を下へと落下させる。


「わっ!」

 

 驚いたふりをして後退、床に落ちる音を誤魔化すために机にわざとぶつかり、同時にかかとで後方へと携帯電話を滑らせる。


「あ、アキラくん! 大丈夫? ご、ごめんね、ゆい、ポケットにずっと手を入れてるのが気になって……」

「大丈夫ですよ、ゆい。少し、驚いただけですから。

 あっ!」

「え?」

 

 水無月さんがドアの方へと振り向いた瞬間、かがみながら後ろに手を伸ばし、携帯電話を回収して逆のポケットに仕舞う。


「ゆい、よく見て下さい……アレ……!」

「どうしたの? あの女がいるの? 大丈夫だよ、アキラくんは、ゆいが一生守ってあげるから」

 

 水無月結じぶんから俺を守ってくれ。


「すみません、見間違いでした」

「そっか、なら良かった」

 

 体裁ていさいを整えた俺がそう言うと、アキラに対する疑念はひとつもないのか、水無月さんは安堵あんどしたかのように胸を撫で下ろした。


「それじゃあ、片付けちゃおうか?」

「えぇ、ありがとうございます」

 

 ココから下駄箱まで行くのには、1~2分はかかる。由羅が辿り着くまでに十分に時間はあるし、ホームルームが始まる時間帯を見計らって、こちらからプリセットメールを送れば事案回避だ。


 コレで、当面はだいじょ――息を切らし、上気した顔の由羅が、教室のドアに手をかけているのが視え、俺は無言で携帯電話を耳に当てる。


「え? アキラくん?」

「下駄箱で待っててくれって意味だよぉ!! 今直ぐ、行って戻ってこいなんて誰も言ってないよぉ!!」

 

 ドアの向こう側まで聞こえるような大声で叫ぶと、水無月さんは疑惑ぎわくの目をこちらに投げかけ、クラスメイトたちが『また、桐谷か』と言わんばかりの視線を送ってくる。

 

 慌てて携帯電話を取り出そうとしていた由羅は、俺の叫び声を聞くと、ハッとした表情をして忠犬のように廊下を駆けていった。


「アキラくん、今のなに?」

「あぁ、すみません。母親です。弁当箱を忘れてしまったので、下駄箱まで届けに来てくれたみたいなんですが……やり取りに勘違いがあったせいで、また家まで戻ってしまったみたいです」

「あ、そうなんだ。なら、また下駄箱に来るのかな? せっかくだから、ご挨拶を――」

 

 両肩を掴んで無理矢理に振り向かせると、何を勘違いしたのか、水無月さんは口元をあわあわと動かし、ぷいっと赤い顔をらした。


「きょ、教室ではダメ……めっ、だよ……」

 

 教室じゃなくても、お前は『めっ』だよ。


「そういうのは、ちゃんとした機会に行いましょう。下駄箱で俺の母親と初対面なんて、あんまりよろしくないんじゃないですか?」

「そ、そうだ、ですね……」

 

 テンパれ!! 一生、テンパってろ!!


「ホームルーム始めるぞぉ、席つけ~」

 

 ナイスタイミング、雲谷うんや先生! 愛してるぅ!!


「あ? 桐谷、なんだその席? まさか、また、新しいのが出たんじゃないだろうな?」

 

 ヤンデレを幽霊のように扱うそのスタイル、嫌いじゃない。


「いや、ただの日常です。

 すいません、片付けてるんで、ホームルーム始めてて下さい」

「……手に負えないようなら相談しろよ?

 よし、始めるか」


 朝のホームルームが始まって、俺はようやく人心地ひとごこちをついた。




「もしもし? ママ? うん、うん……あ、そうなの! 私、間違えて、お兄ちゃんのお弁当箱をもってきちゃったみたいで!」

 

 計画的に兄の弁当箱を奪取だっしゅしていた淑蓮すみれは、ご満悦まんえつに実の母親と会話を行う。


「え? お兄ちゃん、お弁当箱を持って行ったはずだって? アハハ! アレ、中身、からだよ! 私のイタズラ!

 うん、大丈夫。うん、うん」


 にこやかな笑顔で、彼女は言った。


「私、お兄ちゃんのお弁当箱、今、届けに行ってるから。うん、先生も許可出してくれたから問題ないよ」

 

 当然、教師が中学生を一人で外出させるような判断をするわけがない……例え、一時間目が自習だとしても。


「お兄ちゃん、私が来たら、喜んでくれるかなぁ?」

 

 スキップしながら、淑蓮は由羅の待っている下駄箱へと向かって行った。

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