衣笠由羅の追憶③ と 空想の衣笠真理亜

「手紙、下駄箱に入れておきましたけど……ホントに良いんですか?」

 

 野球部の掛け声が響き渡る放課後、マリアは不安気に真理亜のことを仰ぎ見た。


「ん、だいじょぶ」

「その……真理亜、先輩なんですよね?」

 

 理解しがたいものを見る目で、小さな後輩は真理亜を見つめる。


「家に帰って『空想の友人イマジナリーフレンド』について調べました……イマジナリーフレンドが体内に入って、人格交代を起こすことがあるって……」

「ま、そうゆうことだよね」

 

 別人のように性格が変わった真理亜を眼前がんぜんにして、演技だと疑うつもりはせたのかマリアは嘆息たんそくく。


「あたしと同じ名前なのは、偶然なんですか?」

「運命かもね」

 

 真理亜は、愛らしくウィンクをする。


しくも同じ名字で、奇しくも同じ名前のイマジナリーフレンドがいた……偶然が二度重なれば、それは運命と言ってもいいんじゃない?」

「運命……?」

 

 衣笠真理亜きぬがさまりあは、優しげに同じ名前の少女を見つめた。


「あの子の〝初めての空想の友人イマジナリーフレンド〟はあたしで、あの子の〝初めての現実の友人フレンド〟はアナタ」

 

 彼女は哀憐あいれんを口にする。


「だとすれば、あの子は〝現実〟を見つめ直す時なのかもしれない……そして、それをもたらしたのは『桐谷彰かれ』……意図的か偶然的なのか、どちらにせよ、全てを〝引き起こした〟のはあの男の子」

「アイツ、昔から、トラブルメーカーですからね。女性絡みの刃傷沙汰にんじょうざたを起こした回数は、ギネスにると思いますよ」

 

 曇天どんてんの空の下で、思い悩むようにして真理亜は顎元に手を当てた。


「……マリアって、落雷に当たったことある?」

「え、ハァ!? あ、あるわけないですよ!」

「そう、それが普通。でも、中には、〝七回〟も落雷にった人間もいる。

 確率的に言えば、22,000,000,000,000,000,000,000,000分の1」

「そ、そんなの有り得るんですか?」

「普通は有り得ない」

 

 きょの潜む深淵を眺めるように、真理亜は曇り空を見上げた。


「でも、〝普通じゃなければ〟有り得る。そして、この世界では、普通じゃないのが普通なんだよ」

 

 校舎裏にまで落ち葉を踏む音が響いてきて、思考に沈んでいたマリアはハッと顔を上げ音の鳴った方角に目をやった。


「そ、それじゃ、あたし行きます。ご武運ぶうんを」

「ん、じゃね」

 

 ひらひらと手を振って、走り去っていくマリアを見送り、彼女はそっと目をつむって告白の時を待ち望む。

 

 一秒、二秒、三秒……足音が、背後で止まった。


 自身の肌をなぞり上げるような恋心に耳を澄ませ、高鳴る鼓動に全身を痺れさせながら、息を吐いて振り向き――彼女は、立っている誰もが知る優等生みなつきゆいを出迎えた。


「み、水無月みなつき、さん? どうして、ココに――」

「来ないよ」

 

 ニコニコとしている水無月結かのじょは言った。


「彼、ココには来ない。伝言でんごんを頼まれたの」

「伝言?」

「『男同士は無関心に過ぎないが、女同士は生まれながらにして敵同士である』」

「……は?」

「ショーペンハウアー」

 

 黒髪を耳の後ろにき上げ、大和撫子然やまとなでしこぜんとした美少女は歩き始める。


「……アナタは、告白する前にフラれたんだよ」

 

 すれ違いざまに耳打ちされ――真理亜の中の由羅は、猛烈な勢いで暴れだし、無垢むくな恋心と過信した愛情を振り回し、そして『ボクの真理亜が、会いもしないうちにフラれるわけがない』という妄信的もうしんてきな自己矛盾でオーバーヒートを起こし――


「そ、そっか、ボクは〝由羅〟だ……」

 

 〝人格交代ひとつのけつろん〟に至った。


「そ、それに、アキラ〝様〟は神様じゃないか……! そ、そうだ、そうだよ、ふたつも〝願い事〟を叶えて下さった……!」

 

 幼少時代から、他人とのコミュニケーションをおこたってきた少女は、一度たりとも、大切な人からの拒絶きょぜつを受けたことはなかった。友情を結んだことがなかった。愛情を抱いたこともなかった。

 

 だからこそ、彼女は愛情を履き違えたヤンデレになった


「そ、そうだよ……ぼ、ボクが、アキラ様に恋心を抱くなんて、恐れ多い話だ……彼に恋をしてる〝真理亜〟は、ぼ、ボクがココに来る前に〝走り去った〟じゃないか……!」

「由羅! 由羅、コッチを見て!! 由羅ッ!!」

 

 頭を抱えながら校内をうろつく由羅に、鏡の中で叫んでいる真理亜の姿が視えるわけもない。


「そ、そうだ……あ、アキラ様をあがたてまつる場所を作ろう……そ、そうすれば、アキラ様は、〝ボクに会ってくれる〟……めて下さる……!」

 

 彼女の両目に映っているのは――


「あ、アキラ様は……ぼ、ボクと真理亜を褒めて下さるかな……あ、アキラ様のために頑張れば、また名前を……呼んでくれるかな……」

 

 神として偶像化ぐうぞうかされた、架空かくう桐谷彰アキラさまだけだった。


「ま、まずは、真理亜のところに行かなきゃ……あ、あの子なら、ボクのことを理解してくれる……理解してくれないなら、〝説得〟しないと……」

「ゆ、由羅、どこに行くの? そっちは家の方向じゃ――やめて!! あの子は、真理亜あたしじゃないっ!!」

 

 演劇部から盗んだ黒髪ウィッグをかぶった彼女は、ブツブツと何事かをつぶやきながら〝現実の〟衣笠麻莉愛こうはいの元へと向かう。


「由羅、お願い!! やめて!! 由羅、由羅ッ!!」

「あ、待って下さい先輩! 今、開けます!」

 

 インターホンに呼ばれたマリアは顔を出し――


「い、一緒に、あ、アキラ様の教義を世に伝えようね」

 

 笑顔の由羅に、〝引きずり込まれた〟。




 黒髪ウィッグが外れたことに水無月さんは驚き、衣笠は慌てて顔を隠そうとして――あきらめたかのように微笑ほほえんだ。


「……バレちゃったか」

 

 水無月さんの下にかれたまま、無抵抗の衣笠真理亜は俺を見つめる。


「桐谷には、もうバレてるのかな?」

「首元のほくろを視るまでは、同一人物だとは思わなかったがな」


 衣笠は、勢い良く顔を上げて叫ぶ。


「桐谷! 衣笠由羅きぬがさゆらって、名前は憶えてるでしょ!? どうして、あの日、来てくれなかったの!? 手紙は読んでくれたんでしょ!?」


 言えない。


「あぁ、(次の日に)読んだ」


 その日は学校をサボって、家でゲームしてただなんて言えない。

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