逃げるなら、月の果てまで。

@iwao0606

第1話

 クソッたれな人生に飽きる瞬間ってあると思う。生きていることに飽きるって意味じゃなくて、いまの自分が生きているところに飽きるってこと。ひとはさ、生まれた場所は選べないけど、生きている場所は選べるなんて嘯くけど、そりゃあ望まれているひとの言葉だって、いつも思い知る。ここではそんな言葉なんて意味を持たないのだ。

 ここでひとたび生まれてしまえば、まずひとつの選択肢が提示される。

 野垂れ死ぬか、それとも徒党ギャングの使いっぱしりになるか。

 女だと別の選択肢もあるが、まぁ、本題ではないので割愛する。

 使いっぱしりになったところで、寝るのはどこかのボロい家の軒の下だ。どっかの夫婦がくだらない喧嘩をして窓から椅子から放り投げたりすれば怪我をするが、気をつけてさえいればなんとかなるし、雨風をしのげるってことではここを上回る場所なんてない。

 徒党の使いっぱしりになるってことは、殺されない保障をしてもらえるだけだ。食扶持は自分で稼がなきゃならない。ここで生まれた小汚いガキを雇ってくれるところなんて、そうそうないから、大半は盗みやスリだ。稼いだものの大半は、徒党の上納金として納めなければならない。

 少なければ殴られるし、機嫌が悪ければ蹴られる。割に合わないものだと思う。まぁ、ここでは替えのこどもなんて、わんさかいるのだ。

 殺されないよりは、ずいぶんとマシだ。

 だから、ここのこどもたちはもっとマシな人生がほしいと、徒党の頭になりたがる。徒党の頭なんて季節が変わるより早く変わるもんだから、いまの上のやつなんて想像もつかない。誰もが上に行きたがる。クソッたれなここの王さまになりたがる。才覚のないやつばかりだから、すぐに殺される。

 まぁ、なるまでに死ぬことのほうが多いから、一瞬だけでも頭になれたマシな人生なのかもしれない。

 でも、俺はどれも嫌だ。

 ここですり潰されるように使い続けられるのも、命を狙われながらでも王さまとして振る舞うのも、どれもごめんだ。

 できるなら、ここではないどこかに行きたい。ここからはるか遠く、夜空にぽっかり浮かぶ、お月さんみたいなところで生きたい。

 そう強く願いながらも、俺は漠然と呼吸を重ねていた。


 いつものようにスリを終えて、俺は大通り沿いの市場をぶらついていた。今日は大道芸人が出ていたから運が良かった。どこかの金持ちのおっさんが惚けたように見ていたものだから、懐からスッと財布を抜けたのだ。ずっしりと重い懐に、今日は何を食べようかと悩む。いつ金目のものを上に絞り挙げられてもいいように、食いだめておかなければならない。

 屋台から漂う香ばしい肉の香りに、ぐぅとお腹が鳴る。熱い炭の上でじゅうじゅうと肉汁を滴らせている。

「肉だな、肉」

 屋台のおっさんに支払えば、串に肉塊が五つものっているのをくれた。がぶりつくと、脂がじゅわっと広がる。

「うまい」

 成長期の躰に染み渡る味だ。俺はぺろりと食べてしまった串に、もう一本食べることにした。ちょうど二本目の串を買ったところだった。

 やけに外套を深く被っているひとが目についた。小さく背中を丸めて、ひとが通るたびにやけにびくついている。どうせどこかのいいところのやつが市場が見たいがために、下に降りてきたのだろう、とすぐに検討がついた。

 はっきり言えば、厄介ごとに巻き込まれる可能性はあった。

 ただ今日の俺は仕事もうまくいったし、お腹がいっぱいだったし、まぁ、魔がさしたのだろう。

 飯の種になるわけでもないのに、俺はなんとなしに外套についていくことにした。

 どうやら外套はきょろきょろとあたりを見渡しては、お目当てのものがないか探しているようだ。しかし、ピンとこないのか、何度も首をひねっている。

 ようやく旅の靴を取り扱う店の前に落ち着いたようだった。俺は靴を見るふりをしながら、そっと横に並んだ。下から見上げる形で、外套に隠された顔を見てみた。

 どんな間抜けヅラが拝めるか、という期待はすぐに吹き飛んだ。

 美人だ。

 それが第一印象だった。

 そして、それはいままで見たことのないような、清らかなものだった。

 白磁器のような肌は滑らかで、金色の髪がゆるく波打っている。濃緑の瞳は不安に潤みながらも、凛とした強さを持っていた。

 あまりにも異質な美しさで、俺は言葉が出なかった。

 俺が知っている美人は、そういうものを鼻にかけて、酒場で男をひっかける奴らばかりだったからだ。

「あ、あのっ、これはおいくらでっ!」

 上ずっていたが、涼やかな鈴の音のような声だった。店主のおっさんは読んでいた新聞からちらっと見やる。

「あー、それは金貨一枚だよ」

 明らかなぼったくりだ。

 いくら旅に適した丈夫なものでも、銀貨一枚もあれば十分すぎるくらいだろう。

 まさにぼられているとは気づいていない外套の美女は、財布からお金を出そうとしていた。

 思わず、俺は横から口を出してしまった。

「おっさん、それだと高すぎる」

「うちんとこは特別ものがいいからな。これは上等な牛の皮で作ったものでさ」

 店主はいかにいい素材の品物を説いているが、明らかに嘘だ。

「おねえさん、もうちょっと違う店も見ようよ。もっといいものがあって、安いお店があるよ」

 少し甘えた声を出しながら、外套を引っ張る。

 外套の美女は困惑しながらも、ひっぱられるがままに、店を離れようとした。

「わかった、わかった」

 店主のほうがあっさり折れた。さすがにぶっかけすぎたと思ったのだろう。

「銀貨一枚ならいいだろう?」

「いやぁ、まだ高い! 後もうひと声! ね!」

「そうだなぁ……」

 半銀貨まで値下げしたところで、店主が根をあげたので、それくらいにしておくことにした。

「あ、ありがとうございます」

 靴を受け取った外套の美女は、ぺこりと綺麗な礼を見せた。育ちがいいのは、容易にとれた。

「お、お礼をっ!」

「お礼なんていいよ」

 ちょうど懐もあたたかいし、飯を食べたばっかりだ。こうさぎのように震えているひとから、何か望む必要なんてなかった。

 ぐぅぅぅぅ。外套の美女のお腹が盛大に鳴った。

「あ、そ、そのぅ、どこで何を食べるかわからなくて……何も食べてなくて」

 恥ずかしそうに頬を赤らめる。

「仕方がないな、お姉さんついておいでよ」

 大通り沿いのわりあい、品のいい店に彼女を連れていく。給仕には嫌な顔をされたが、外套の美女のせいで断ることもできず、奥に通される。

 席に腰を下ろすと、彼女はどこかほっとしたように息を漏らした。

「あ、ありがとう、とても助かったわ」

 外套を脱ぐと、金の髪がこぼれる。

「あまり旅慣れないものだから」

「そう見えるよ、いままで散々カモにされてきたんじゃない?」

「幸運なことに、まだ。あのお店が初めてだったの」

 どおりでというべきか。フォークを持つ仕草や、オーダーを頼む動作は、優美だ。

 俺は出された紅茶のカップに手をつけられないままだった。

「なんでまた旅に?」

 家族が殺されて復讐に出た、とかのっぴきならない事情でもあったのだろうか。

「……人形のように生きているのが嫌になったの」

「人形?」

「私、よく美しいと言われるの」

「はぁ……」

 鼻にかけるわけでもなく、淡々とした様子で彼女は話した。

「でも、それだけ。みんながほしいのは外側だけ。体のいい人形でいることを求めるのよ。それが嫌で、飛び出したの」

 いいところのお嬢さんの甘ったれた発言だ。

「何ひとつ自分で決められない、自分で自分の人生が決められない。それで果たして、自分が生きているって言えるの?」

 美女は強いひかりに満ちた眼差しで、そう言った。

 ただの身勝手じゃないか。俺は思う。

 いい暮らしをしておいて、従うのが嫌だと飛び出すなんて勝手がすぎる。

 どうせ野垂れ死にそうになったら、怖くて、誰かに助けを求めるんだ。

 野垂れ死ぬ覚悟なんてないくせに。

 きっと飛び出した彼女を、きっと家族が受け入れるのだろう。

 思わず顔が歪んだのだろうか、目の前の美女は首をかしげている。

「……それじゃあ、おねえさんはいま生きているって実感するの?」

「前よりずっと」

 ふわりと笑うものだから、俺のなかから何だか黒い泥のようなものが湧き上がってきた。

 だからなのだろうか、俺は彼女と別れるとき、財布をすってやった。

 案の定、大金が入っていた。

 金貨が十枚も入っているなんて無用心すぎる。

 これくらいあれば、俺だったら数年はゆうに暮らせるだろう。

 俺はその金をいつもの隠し場所にしまっておいた。

 ぼんやりと彼女が困るだろうな、とは思った。


 寝床に帰ると、いつものように金を集めにくる徒党のやつらが来ていた。

「で、今日の売り上げは?」

 ニタニタと笑う男たちに、俺は今日の稼いだ分をすべて渡す。

 しかし、いつものように殴られる。

 倒れこむ俺から小銭の音ひとつしないことを確認した男たちは、「悪かったな」なんてこころにもないことを言う。

 男たちは財布の中身を吟味すると、硬貨を数枚残して、すべてとっていった。

 どんなに盗んでも、こうやって上前をはねられてしまう。

 残った小銭を握ってみるけれど、こんな金ではここを出ることさえ叶わない。

 こんな生き方が嫌だ、と思った。

 同時に、ただあのひとがひどく羨ましかった。


 翌日も昨日と変わらず、スリの目標を探す。

 広場の中央にある噴水でぼんやり行き交うひとを眺めていた。

「あら、えらく怪我をしているわね」

 突然声をかけられ、思わず噴水に落ちそうになる。

「あ、昨日の」

 バレたのか、と冷や汗をかく。

「頬、腫れているわよ。ちゃんと冷やさないと。何か、ご家族にされたの?」

 絹のハンカチを出した彼女は、あたりを見回す。見れらないように湧き出る噴水にそっとハンカチを浸した。

 絞るのもあまいままに、俺の頬に押し当てた。

 おかげで服に水が滴る。

 白い手、だと思った。

 苦労の知らない、傷のない手。

「……殴られた」

「あら、もしかして、金貨十枚では足りなかったのかしら?」

「き、気づいていたの!」

 おねえさんはおかしそうに笑う。

「ひとの気持ちには敏感なほうよ」

 衛士に突き出される、と俺が腰をあげようとすると、おねえさんはあわてて引き止めた。

「ち、違うの。今日はそんなことで来たわけじゃないの。お仕事を頼みたくて」

「仕事? やばい仕事ならお断りだけど」

「その人殺しとそういうのじゃないの!」

「なら、何?」

「私といっしょに旅をして欲しいの」

「一緒に?」

「そう。私、旅慣れていないでしょう? きっとすぐにカモになるわ。だから、あなたみたいに色々世知に長けたひとに案内してもらうのがいいかなって思って」

「お姉さん、普通こんなガキに頼む? そこのギルドで適当にひとを雇ったほうが、断然いいと思うよ。なんなら、つれていくよ」

 商いが盛んな街だから、要人や商隊の護衛を専門とするギルドなんていくらでもある。

「だってあなた、もう前金を受け取ったでしょう? もし受けてくれなかったら、そこの衛士さんのところでお茶になるけれど」

 完全なる脅しだ。

 スった金はやるから、仕事を受けてくれ。

 もし、仕事を受けてくれなければ、スリとして衛士に突き出す。

「お姉さん、意外と腹黒いね。でも残念ながら、俺はここから出ていけない」

「どうして?」

「だって、俺はこの街の徒党の使いっ走りだから」

 逃げた日には、血の制裁が待っている。

「お姉さんにお金は返すから、早くここから離れたほうがいい。俺と話しているところを見られただけでも、厄介ごとに巻き込まれるよ」

 忠告はした。

 もう後はどうなっても知らない。

 だが、お姉さんは目をぱちくりさせた後で、破顔する。

「それは望むところですわ」

 おねえさんは俺の手を取って、微笑んだ。

「一緒に逃げましょう」

「だからできないって」

 俺が手を振り払おうとすると、おねえさんは逆ににぎりこんだ。

「彼らもそんな遠くまで追って来ませんわ、急ぎましょう」

「だから無理だって」

 頑なに首を振る俺に、彼女は強く言った。

「あのひとたちはすぐにあなたの替えなんて見つけるわ。あのひとたちにとって、あなたはただの道具にすぎない、かけがえのないひとではない。この街から出ましょう」

「でもっ……!」

 認めたくなかった。

 ずっと誰かに道具にされても、必要とされたかった。

 ひとりは寂しすぎるから。

「一緒に逃げてあげる。あなたを大事に思ってくれるひとが見つかるまで」

 お姉さんは俺のことを大事に思ってくれないの、と聞き返すことはできなかった。

「たとえ、月の果てまででも一緒に逃げてあげる」

 今は見えない月のある空を見上げて、お姉さんは笑った。

 月の果てなんて行けるやしない。

 だからそれは命尽きるまでそばにいてくれるような、甘やかな響きに思えた。

 俺はそっとお姉さんの差し出した手を握る。

 やわらかく、白い手だった。

「さぁ、逃げましょう」

「月の果てまで、だね」

 それが共犯者のお姉さんとの合言葉だった。

 お姉さんは生涯、俺を旅の道連れにしてくれた。

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