第99話 志乃原と礼奈①

「ていうか! なんでいるんですか!」


 志乃原は礼奈を糾弾したあと、素早く俺に視線を移す。

 この後輩には事の全てを伝えてあるので、別に悪い事をしている訳ではないという視線で返す。

 次第に志乃原の頬は膨らんでいったが、やがてぷしゅりと萎んだ。


「なんだかこうなる予感がしてたんですよね……」

「こういう予感って」


 軽い気持ちで訊くと、志乃原は俺の肩をガシリと掴み、ガグガクと揺らした。


「先輩が! 礼奈さんを! このサークルに連れてくることですよ!」


 今週二度目の揺さぶりに目を回しつつ、何とか返事をしようと口を開く。


「俺が、誰を! 連れてこようが、自由だろ!」

「それが分かってるからムカつくんですよー!」

「ねえ、真由ちゃん」


 礼奈の声に反応した志乃原が、俺の肩から手をパッと離す。

 唐突に離されたものだから俺はそのまま後ろにひっくり返ってしまったが、誰も気にする様子はない。


「はい、今度は名前覚えててくれたんですね。なんでしょう礼奈さん」

「悠太くんって人気あると思う?」

「ちょ、いきなり何聞いてんだ!」


 礼奈の質問に、俺が起き上がり際に反応するものの、志乃原は視線を真っ直ぐ礼奈に向けて答えた。


「あるんじゃないですか。実際、礼奈さんもお付き合いされてたみたいですし」

「あはは、まあね。きっかけはそういう人気とか関係なかったんだけど」

「はあ」


 志乃原は弛緩したような返事をするが、礼奈は気にする様子もなく続ける。


「人気がある人を放っておいたらさ、自分の目の届かないところに行くなんてある意味当たり前だと思うんだよね。それが嫌なら、それこそ深い仲になるしかないんだよ」


 先ほどから両者に持ち上げてもらっているが、元々人気があるのは明らかに礼奈の方だし、俺自身が遠くに行くような存在になった覚えはない。

 仮にそんな存在なら、大学三年生にもなって自堕落な生活から抜け出せない訳がない。


 就活まで時間が迫ってきているというのに、努力の向き先を未だに決められていないのだから。……自身で否定をしていると、何だか虚しくなってくる。


「何言ってるんですか。私と先輩はマリアナ海溝くらいの深い関係ですよ」

「おい、そんな最深部まで入られた記憶はないぞ」

「ちょっと先輩うるさい!」

「今俺についての話だよね⁉」


 そう返事をするも、小悪魔後輩の視線は礼奈に釘付けだ。


「それに礼奈さんと先輩との間に色々あったとしても、私の行動は変わりませんからね」


 今日の一限目開始前に、直接言ってきた内容だ。

 俺にとっては嬉しいその言葉も、礼奈にとっては違う印象を抱かせることになるだろう。


「真由ちゃんの行動って?」

「先輩と仲良くすること!」

「そっか、ありがと」

「へっ?」


 志乃原は拍子抜けしたような声を出す。

 何か違うことを続けようとしてたらしいが、礼奈の返事一つで上手く言葉が出てこなくなったらしく、口をポカンと開けている。


「悠太くんと仲良くしてくれて、ありがと。彼、年下の人と元々付き合いがあんまりなくて。真由ちゃんの存在が、きっと今後財産になると思うから」

「そ、あー、そうですね。確かに先輩も、あんまり年下と絡みがないような話はしてました。でもなんでしょう、その……」


 礼奈が小首を傾げると、志乃原は意を決したように言った。


「礼奈さんに先輩の彼女感が未だにあって、なんだかとっても変な気分です」

「ふふ。今は元カノだけどね」


 礼奈はこともなげに言葉を返す。

 志乃原は数秒沈黙した後、振り返って俺に言った。


「……先輩、私の聞き間違いでなければ、礼奈さん"今は"って言ったような……」

「言ったよ?」


 礼奈がそう答えると、志乃原は俺の返事を待たずに再度彼女に向き直る。


「つまり今すぐにでも復縁したいと?」


 ストレートどころかジャイロボール並みの直球な質問にも、礼奈は臆することなく口を開く。


「少なくとも、今じゃないけどね。私たち、この前関係を再開させたばかりだから」

「そういう──」

「だから、もし短期間お試しで付き合う相手がいたら、悠太くんの恋愛に対する指標がはっきりするよねって話してたの。あくまで、例え話でね」

「その話、詳しく!」

「うん、今話してるから……」


 志乃原の食い付きに、礼奈は困ったように眉を八の字にする。

 見かねた俺は志乃原の首根っこを掴んで、礼奈から引き剥がした。

 恨めしげな目をした後輩が、口を尖らせる。


「先輩じゃなかったら今の指噛んでますから」

「あー、俺先輩で良かった」

「そういう言葉が欲しいんじゃないんですー!」


 バタバタと腕を暴れさせるので仕方なく手を離す。

 初めて志乃原と体育館へ訪れた際は、彼女へ触れることなんて憚れるものだったが、今は首根っこを掴むくらい造作もない。

 そういったところで俺たちが過ごしてきた時間を感じる。

 そう考えていると、志乃原が口を開いた。


「どうです先輩」

「ん?」

「私で一定期間恋人生活をお試しするのは!」


 体育館の隅っこに、ささやかな沈黙が降りた。

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