第97話 知らない一面

「悠太!」


 呼び声と共に、オレンジ色の球体が掌に収まった。俺がバスケットゴールに視線を投げると、距離が遠く、まだシュートを狙える位置じゃない。

 前方に相手ディフェンスが二人。

 一人が素早くパスコースを塞ぎ、俺は内心舌打ちしつつ他のパスコースを探す。チームメイトにはそれぞれぴったりマークが付き纏い、パスの受け手は見つからない。


「自分で行け!」


 誰かの苛立った声が聞こえた。

 呼応するように、軸足に体重を乗せて重心を傾ける。相手も迅速に対応して、俺の進路を迅速に潰す為に身体を入れた。


 ──ここだ。


 後ろ側に身体を回転させて、ディフェンスより半身前へ進行する。

 視界が開けた先には、藤堂がいた。

 パスを出すために腕を伸ばすと、藤堂の顔が険しくなった気がした。


「……分かったよ」


 ドリブルを継続して、カバーディフェンスを横飛びで無理やり引き剥がし、着地前にシュートを撃つ。

 バックボードに跳ね返されたボールは、そのままゴールリング内に落ちていった。



「あの動きが出来るのに、なんで毎回パス出そうとするんだってーの」


 藤堂はそう言って、俺の肩をトンと叩いた。

 躍動の負荷が掛かった身体が、キシリと痛む。


「パスだって立派なチームプレーだろ」

「そりゃ当たり前。でも、パスしか選択肢がないんだったら話は別」


 藤堂は空になったペットボトルをくしゃりと潰して、眉を顰めた。


「自分で結果を決めたくないっていう悠の考えが、プレーに出てる」

「耳が痛い耳が痛い」


 俺はかぶりを振って、藤堂の声を遠ざける。藤堂はバスケがかなり上手い。

 だからかもしれないが、試合後に俺にアドバイスをくれることが多かった。技術的なものではなく、主にメンタル面へのアドバイスだ。

 以前志乃原と一緒に参加した時は、「パスを繋ぐのも立派なことだ」と言っていたが、今日の主張は真逆らしい。


「でも、最後はシュート撃ったろ」


 個人プレーに走った方が確実な場面だったからこそ、多少無理やりな動きができた。久しぶりにディフェンスを力付くで引き剥がした高揚感は、まだ胸の奥で燻っている。


「まあ、お前は必要に迫られたら決断するよな。何事も」

「何が言いたいんだよ、分かんないだけど」

「はは、ごめん。最後はまじでナイスシュート」


 陽気な笑いとともに差し出された掌に、軽くハイタッチする。

 すると、上の方から柔らかい声がした。


「悠太くん、かっこよかったよ」


 礼奈はそう言って、スポーツドリンクを俺に渡してくれた。


「さんきゅ」


 藤堂から奢ってもらったお茶を傍に置いてから、ありがたく受け取る。藤堂は俺の行動を特に咎めることもなく、礼奈に向けて口を開いた。


「相坂さんって、悠がバスケしてる姿見るの初めて?」

「うん、初めて。悠太くんって、バスケの話自体を全然してなかったし」


 礼奈は恋人時代のことを思い返しながら返事をしている。

 俺からことの顛末を聞いた後だとその事だけで気まずい雰囲気になりそうなものだが、藤堂はそんなことを感じさせない笑顔を見せた。


「そっか、どうよ悠太のバスケ」

「見て良かった、かっこいい」


 礼奈が嬉しそうに言うのを見て、なんだか居た堪れない気持ちになる。


「むず痒いからやめろって」

「なんで、いいじゃんほんとのことだもん」


 礼奈の返事に、俺は頭をがしがしと掻いた。

 藤堂はそんな俺の姿が面白かったらしく、声を上げて笑う。


「なんだ、今はちゃんと仲良さそうじゃん。良かったわ」

「そりゃ、まぁ……以前よりは」


 つい歯切れの悪い口調で言ってしまう。礼奈との一件を知られるというのは、自身の未熟さを知られるのと同義。実につまらないプライドが、俺の口へ無意識に蓋をしている。


「藤堂君は、悠太くんから全部聞いたんだよね?」


 礼奈が藤堂に質問した。

 全部というのは、別れた原因についてのことだろう。藤堂も礼奈の訊きたいことを察したらしく、首を縦に振った。


「聞いたよ。差し支えなければ、中身確認しておく? 万が一語弊があったら、訂正の機会とか早々ないだろうし」

「ううん、いらない。私、悠太くん信用してるから」


 礼奈があまりにもあっさりと断るので、俺は少し驚いた。

 それは藤堂も同様だったが、やがて納得したらしく頷いた。


「だな。俺も信じてる」

「……ど、どうも」


 藤堂と礼奈のやり取りに、俺は小さい声でお礼を言う。

 すると、礼奈は頬を緩めた。


「悠太くんが不利になるようなこと、言わなくていいのに。こういうのはもう、藤堂君が最後でいいからね」


 礼奈の言葉に、俺はかぶりを振る。


「いや、学部の友達にも何人か言っちゃったんだ。全部訂正するよ」

「ううん、いらない。藤堂君は、悠太くんと一番仲良い男子だから甘えちゃったけど。他の友達全員に言って、悠太くんが周りから陰口言われるような事があったら、私それこそ悠太くんのこと叱るから」

「なんでそうなるんだよ」

「……悠太くんが周りからマイナスに見られると、私も悲しいんだもん。それとも私が悲しくなることしないでっていう我儘は、もう聞いてくれないかな」


 礼奈は眉を下げて、俺に訊く。

 ……ズルい言い回しだ。そんなことを言われたら、俺が断れる訳がない。ズルくて、同時に優しい言葉。礼奈はどこまでも、俺のことを考えてくれている。


「分かったよ。もう言わない」

「うん。ありがと」

「そんなの俺のセリフだろ。どこまで優しいんだよ」


 俺が苦笑いすると、藤堂が同意した。


「確かに、懐が深い。こんな人中々いないって」

「ふふ。悠太くんの前だから、格好つけちゃった」

「普通逆だろ!」


 藤堂が礼奈につっこんで、そして言葉を続けた。


「これからもたまに顔出しなよ。俺らのサークル、そこらへん自由だから」

「えっ、サークルに入ってなくてもいいの?」

「いいよ。実際、特に籍はないのにマネージャーしてる人だっているし」


 藤堂が俺に悪戯っぽい視線を送る。

 十中八九志乃原のことだ。

 おそらくあの後輩はこの数ヶ月で、両手の指は越えるくらいの回数をこの体育館で過ごしている。 

 そのことを鑑みると、藤堂の言葉は十分に実現し易い提案といえるだろう。

 礼奈も暫く思案している様子だったが、やがて「お言葉に甘えるかも」と笑った。


「じゃ、俺は次の試合も出るから。悠は休んでな」


 藤堂はそう言うと、腰を上げてコートへと歩き始める。


「勝ち残りだろ、俺も出るよ」


 俺が立ち上がると、藤堂はすぐさま手をしっしと振った。


「ばか、客が来てるんだぞ。暇にさせる頻度はなるべく減らしてくれ、サークル長のメンツのために」

「お前のためじゃねえか!」


 藤堂は俺のツッコミに軽く笑い、コートへと駆けて行った。

 俺の代わりには下級生が出場するらしく、当分出番は回ってこなそうだ。

 試合開始の笛が鳴ると、藤堂は俊敏に動き、すぐさまボールをものにする。

 暫く試合の動向を眺めていると、礼奈は俺に質問した。


「藤堂君とは一年生からの仲だっけ」

「そうだな」


 ドライブインしてシュートを撃つ藤堂の姿は、贔屓目なしの同性から見ても華やかに映る。

 かつて『start』に入ったばかりの時、二人でタッグを組んで他のバスケサークルとの対抗戦で躍動していたことが懐かしく思えるくらいには、長い時間が過ぎた。

 出会ってから二年。藤堂との付き合いも、きっと大人になってからも続いていく。

 大学でできた友達は一生物と聞いたことがあるが、それはお互いがある程度価値観や振る舞いが成熟された後に出会うからだろう。藤堂と話をしていると、そう思う。

 中学の頃に出会っていれば、俺たちは仲良くなっていたか分からない。それは礼奈にも、志乃原にも同じことが言える。


「何がきっかけだったの?」

「別のサークルの新歓。そこで仲良くなった後に、このstartに入った」

「そうなんだ。いいね、大学でできた友達って」


 礼奈はそう言うと、ハンドバッグから紅茶の入ったペットボトルを取り出した。俺が貰ったそれよりワンサイズ小さい。

 礼奈は蓋を開けて一口飲むと、俺に向き直って頬を緩めた。


「恥ずかしいから、そんなに見ないで」

「あ、ごめん」


 慌てて視線を逸らす。礼奈の口元が視界に入っていただけで見つめていた訳ではないのだが、どちらにせよ褒められた事ではないことは確かだ。

 だが体育館という空間に身を置く礼奈は異彩な雰囲気を放っており、どうしても目を惹きつけられる。

 志乃原の時もそうだったが、体育館に私服という姿はどうしても目立ってしまう。その人自身が元々目を惹く存在であれば尚更だ。


「そういえば、悠太くんも私のサークルに付いてきたことないよね」


 思い出したような口調の礼奈に、「ないな」と返す。


「そうだよね」


 礼奈はそう頷いてから、ペットボトルの蓋を閉めてハンドバッグの中に閉まった。

 確かに礼奈が弓道をしていることはずっと知っていたものの、その姿を見る機会は終ぞ訪れなかった。彼女のサークルに顔を出すという発想すらなかったというのが、正直なところだ。


「そう考えると、私たちって知らない一面が多分沢山あるんだね」

「かもな。一年間で知る範囲なんて、きっと限られてるし」


 二十年間一緒にいる家族ですら、全てを知っている訳ではないのだから当然だ。

 しかし学生にとって一年という期間はそれなりに長いことも事実で、だからこそ知らない一面がまだ多く残っているということは、俺たちの付き合いにはどこか問題があったという可能性を示唆している。


「悠太くんも私のことを知ろうとしてくれてたし、私も悠太くんのことを知ろうとしてた」


 礼奈はコートを脱いで、左腕に掛けた。厚みのあるコートはそれなりの重量があるので受け取ろうかと腕を伸ばしたが、すぐに引っ込める。

 腕には試合後の汗が付着していたのだから、好ましくないだろう。


「でも、きっと何処かお互い遠慮してて。言葉にできない事も、沢山あった」


 礼奈は前髪をおもむろに耳に掛けながら、言葉を続ける。


「だから私、訊きたいことあるから今言うね。悠太くんってさ、今好きな人いるの?」


 真っ直ぐな視線が俺に注がれた。

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