第90話 礼奈との再会
「あの子って、もしかして礼奈か?」
「うん。お昼の十二時、正門前で待ち合わせしてる。私に会いに来てるんだけど、なんか今からお腹が痛くなる気がしてさ」
那月はそう言って、自分のお腹をさすった。
十中八九嘘の発言ではあるが、そこをつっこむのは野暮だろう。
「代わりに会ってくれたら嬉しいかも。あの子にもわざわざ来てもらって、そのまま帰すのは申し訳ないし」
──ドクン。
唐突に、心臓の音が聴こえる。
……緊張しているのか?
思いもよらないタイミングだったとはいえ、人と会うことだけにも緊張してしまうのはいつ以来だろう。
一方的に浮気をされたと思い込んでいる時期と今では、状況が全く違うのだ。
「今日だけ譲ってあげないこともないけど、どう?」
この言葉も、那月にとっては俺へ冷たくあたってしまったという自責からのお詫びの一貫なのだろう。俺もそのことを察しつつ、思わず天井を見上げた。
「こ……この講義が終わったらな」
「……今終わったばかりだけど。それに、礼奈が来るのはお昼休みだよ」
那月は若干呆れたように言ってから、スマホを取り出した。
「そういうことで、連絡しちゃうから」
「はっ、いやちょっと待ってくれ」
指を走らせ始めた那月を、慌てて制止する。
那月は怪訝な表情を見せて、口を開いた。
「なんで? 緊張しちゃうから?」
「そうだ、緊張する」
「もうラインしちゃった」
「早すぎだろ!?」
志乃原顔負けのスワイプ速度だったが、この一瞬で連絡を取られるとは。元々礼奈とのトーク画面を開いていたに違いない。
今から断ろうものなら、俺が礼奈を拒否したように捉えられかねないし、そうなるのは些か不本意だ。
どうやらもう腹を括るしかないらしい。
「じゃ、また。お手洗い行ってくるね」
「ほんとに腹痛いのかよ」
「デリカシーなしおだね。女の子にそんなこと訊くなんて」
那月はそう言い残して、俺を置いて講義室から出て行った。
俺はのろのろと支度をしながら、ひとりごちる。
「……言葉のチョイスが古いんだよ」
うるさいな、という那月のつっこみが何処からか聞こえた気がした。
◇◆
昼休みの開始直後は、大学構内が最も賑わう時間帯だといっても過言ではない。
何棟ものある校舎から一斉に昼ご飯を求めて学生が出てくるのだから、当然といえば当然だ。
昼ご飯を食べることのできるお店は数パターンあるのだが、俺のお気に入りは大食堂。
野菜を摂取できるバランスの取れる食事は一人暮らしの学生に大人気で、十二時過ぎのこの時間帯は人の波ができる。
だが今日の俺は、人波に逆らって歩を進めていた。
目的地は、大学の正門前。
目的の人物は──
早歩きのペースが、徐々に、徐々に落ちていく。
視界に入った立ち姿は、記憶の隅を刺激する。
何度も、この正門で待ってくれていた。何度も、邂逅の後頬を緩めて優しく笑ってくれた。
「──あ」
視線が交差する。
アッシュグレーの髪を靡かせる相坂礼奈が、俺の姿を認めると驚いたように声を漏らした。
そして僅かな逡巡の仕草を見せた後、少し遠慮がちに近付いてくる。
「悠太くん」
「お、おう」
俺は立ち止まって、片手を挙げて応えた。それがぎこちない動作だと、自分でも分かる。
礼奈はそんな俺の仕草を見て、僅かに口角を上げた。
「メッセージはしてたけど、こうして会えると嬉しいな」
「俺もだよ」
そう返事をすると、礼奈が意外そうな目で俺を窺う。
「ほんと?」
「うん、まじ」
「なんか私に合わせてない?」
「うん、いや、どうだろう」
いつもより鈍い回転の頭に苛立って、こめかみを指でつねる。
……一体どうしたというのだ。
俺はコミュ力が高い訳ではないが、見知らぬ人に話を合わせる程度の力は持ち合わせていると自負している。
最近は特に、周りから影響されてその能力は向上しているかもしれないとさえ思っていた。
だがこうして気の利いた言葉一つ、さっぱり思い浮かばないのは思い違いだったということか。
それとも、それ程までに上がってしまっているのだろうか。
一年間付き合って、別れた元カノ。
これが恋愛面の好意からくる緊張ではないことくらい、自分でも分かる。
だが同時に、この感覚に懐かしさも覚えて不思議な気分にもなった。
「この場所で会うの、久しぶりだね」
「だな。半年……くらいか」
「もうそんなに経つんだ。時間が経つの早いね、この調子だとあっという間に就活始まっちゃいそう」
「うわ、嫌だな。暫く現実逃避したいわ」
俺の言葉に、礼奈は「そうだね」と笑って頷く。
ぎこちないながらも、徐々に言葉を続けられることへ安堵した。
以前に邂逅した時もそうだったが、気まずい雰囲気が流れても、それが原因で話が途切れる事はあまりない。
付き合っていた頃、礼奈との間に流れる沈黙は心地良い空間だった。関係を再スタートさせた今でも、それは変わらないらしい。
「せっかくだし、お昼ご飯食べたいな」
「那月に会いに来たんじゃないのか?」
「その那月が悠太くんをここに来させてくれたんだもん。またお礼言っておくから、いいの」
那月は本当に礼奈へメッセージを送っていたらしい。もしかしたら、俺を置いて講義室へ出てからもメッセージをしていたのかもしれない。
「じゃ……まあ、行くか」
俺はそう答えて、校門の敷居を跨ぐ。
すぐ側にある大通りへ出ると、ランチを楽しめるお店たちがズラリと並んでいる。学内にあるお店より若干値段が張るので普段は行かないのだが、今日くらいは良いだろう。
横をチラリと見ると、礼奈は辺りに視線を巡らしながらお店を散策している。
「何食べたいかなぁ。せっかくだし、オシャレな──」
「ラーメンにしようぜ」
お気に入りのラーメン屋を指差しながら、俺はしまったと顔を強張らせる。
礼奈がオシャレなお店が良いと言いかけていた時に同時に発言してしまったものだから、真逆の選択になってしまった。
俺は今しがたの言葉を取り消そうと頭を掻くと、礼奈はニコリと笑った。
「うん、私ラーメンも食べたいっ」
「え、まじで?」
思わず訊き返すと、礼奈は迷わず首を縦に振る。
「まじだよ。久しぶりに悠太くんと食べたい」
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