第83話 相坂礼奈〜過去③「つまんない」〜

 一年記念日が近付いてきた十一月。

 その頃、悠太くんの元気は少し無くなっていた。

 何かを思い詰めているような表情を見て、私は力になることはできないかと考えた。

 でも人の悩みというのは多種多様で、誰だって話したくないことの一つや二つはある。

 悠太くんは大した悩みのない状況下で誰かに聞いてほしいがためだけに、辛そうな表情を浮かべてアピールするような人じゃない。

 彼女である私にも打ち明けないということは、他人に悩みを話したいと思っている訳ではなさそうだ。

 彼女としては寂しい気持ちもするけれど、時には一人で考えたいこともあると思う。

 それで悠太くんが元気になるなら、私には何の文句もない。


 ──私は、陰で応援するね。


 もし悠太くんの口から弱音が溢れることがあったら、その時は真っ先に話を聞くから。

 私はそう決心して、暫くは悠太くんになにも訊かずに過ごしていた。

 そんな時期、私は女子大で開催されるミスコンに誘われた。

 私の誘われたミスコンは知名度がそれなりに高くて、グランプリに輝くと色んな特典がついてくる。

 その中にスポンサーとお仕事ができるという項目があって、私は良い経験が積めるかもしれないという思いから、エントリーだけしてみた。

 元々デートもバイトもない日は時間を持て余していて、空いた時間に何か挑戦してみたいと思っていたから──丁度良い機会だと、その時は思った。

 実際に公式サイトへ載ったのは数日間。

 途中で私はミスコンの規模が自分の認識より大きいことに気が付き、辞退した。

 SNSでは各エントリー者がかなりのフォロワーを集めて、グランプリになればネット記事にも色々書かれる。

 これは悠太くんへの相談もなしにエントリーできる規模感のものじゃないな、と判断した。

 それから私はミスコンの運営側へと移ったけど、存外それが時間を要するもので、悠太くんからのデートの誘いを何度か断ざるを得なかった。

 そんなことをしている内に数週間が経って、悠太くんと久しぶりのデートをした。

 悠太くんの元気は戻っていて、私は胸が温かくなった。

 彼のスマホから通知音が響く。

 悠太くんはその通知を見ると、また嬉しそうに口角を上げた。

 いつもならそんなことはしない。

 ロック画面から、通知欄を少しだけ覗いてみた。


『そう、解決したのね。また何かあったら言いなさい』


 何気ない文面を表示する通知を、いつもの私なら気にも留めなかったと思う。

 でも、その時は自分の視線がその通知に縛り付けられたように動かなかった。

 悠太くんが悩んでいることは分かっていた。

 そして今日、いつもの悠太くんに戻っていたこともすぐに分かった。

 彼女として悠太くんの悩みを聞いてあげられなかったから、助けてあげることができなかった。

 そのことは少し寂しかったし、悔しくもあった。

 それでも悠太くんが元気になったなら、そんな一時の感情なんて関係ないと、そう思っていた。

 でも悠太くんを元気にしたのは、彩華さんだった。

 私が幸せにしてあげる、なんて言ったけど。

 悠太くんにとって、彩華さんの存在は。

 私の胸中に、ふつふつと黒い感情が湧いてくるのを感じる。

 いつも気付かないようにしてた。

 それに気付いてしまえば、私はもう、悠太くんの良い彼女ではいられなくなる気がして。

 思わないようにしてたんだ。

 悠太くんにとって、彩華さんという存在は──私よりも大きなものなんじゃないかって。

 彼女の私よりも、彩華さんの方が悠太くんを分かってあげられる、唯一無二の存在なんじゃないかって。

 その日、久しぶりに悠太くんははしゃいでいた。

 頻繁に冗談を飛ばして、デートを楽しんでいる。

 それは私が好きな悠太くんの姿。

 嬉しい。嬉しいはずなのに。

 悠太くんに元気を与えたのが、私じゃなく、面識のない女性。

 そんな現実に、私はポツリと呟いた。


「つまんない」


 ハッとして顔を上げると、悠太くんは驚いたように私を見つめていた。

 思わず口をついて出た言葉を取り繕うとすると、先に悠太くんが口を開く。彼は私にムッとしたようで、彼の立場からみればそれが当たり前のことだった。

 ごめんなさい。

 そんな短い言葉が喉に引っかかったまま出てきそうにない。喉の奥で、黒い感情が蓋をしてしまっている。

 ──彩華さんとなら、こんなつまらないことで仲違いなんてしないんだろうね。

 謝罪の代わりに口に出してしまいそうになった意地汚い言葉を何とか飲み込む。

 結局私たちはその場で解散した。

 それから、私は悠太くんと連絡する頻度を意図的に下げた。デートの誘いも、断った。

 少し一人の時間を増やしたかった。独りになって、悠太くんとの関係のことを考えたかった。私に彼との関係を終わらせるという選択肢はない。これからも悠太くんと付き合っていくために、私なりの心の整理の仕方を模索しておきたかった。

 次のデートから楽しい時間を過ごすための、いわば充電期間。

 そんな期間に、ようやく私は彩華さんという存在についてゆっくりと考えた。

 私は美濃彩華さんという存在に、引目を感じている。

 悠太くんからたまに聞く話から、彩華さんの性格は大体想像がつく。私とは全く違うタイプで、容姿だって文句なしのトップレベル。

 あんなの、反則だ。

 いっそのこと彩華さんと仲良くなってしまっていれば、こんな感情を抱くことはなかったのかもしれない。

 あのアウトドアサークル選考に残っておけばよかったと、初めて後悔した。

 内密に顔選考で女子のメンバーを決めていた先輩たちに辟易して、自ら辞退したのは私だけど。

 それでも面識のない女子に嫉妬するよりは、友達に嫉妬する方がいくらかこの胸中はマシだと思う。それとなく釘を刺すこともできたかもしれない。

 そんなこと考えるために設けた、身勝手な充電期間の中で──私は豊田君と知り合った。





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