第76話 甘い記憶、苦い記憶①
ガタンと、観覧車が揺れた。
赤とんぼが旋回している秋空へ昇る、ゴンドラの中。
眼前にいる礼奈が、「きゃっ」と小さく声を上げた。
女子大生を体現させたような仕草に、俺は思わず口元を緩める。
礼奈と学祭で知り合ってから、もうすぐ一年。
交際を始めてからの一年記念日も、近付いてきた。
此処はこの辺りで有名なテーマパーク。毎週のようにデートをしていた為、このテーマパークに訪れるのも三、四回目だ。
デートをする頻度にもよるが、近辺のデートスポットは全て網羅したといっていい。
そんな中でも愉しさが色褪せないのが、この場所だった。
「びっくりした……風で揺れたのかなぁ」
「だろうな。何回も乗ったけど、こんなの初めてだ」
俺は返事をして、窓の外へ視線を向ける。
ゴンドラが頂上に着くまではまだ数分掛かりそうな位置にいても、既に景観は広がっている。
この閉塞的なゴンドラから見渡す景観が、俺はとても好きだった。
──随分、長い夢を見ていた気がする。
礼奈と何らかの原因で争って、彼女の頬に涙がつたった……そんな、ドラマの一節のような夢。
この先、そんな事があり得るのだろうか。
正直、俺には想像がつかない。
礼奈と、まだ喧嘩もしたことがない。人間同士の付き合いだから、多少意見が合わない事も勿論ある。それでもどちらかが片方に合わせることによって、俺たちの間にはいつものどかな空気が流れていた。
「悠太くん」
「ん?」
「私ね、夢見たんだ」
「へえ、どんな」
興味をそそられて、視線を礼奈に戻す。
礼奈は髪をすきながら、チラリとこちらを窺っていた。
「なんかね、よく分かんないことが、色々あって。それで……悠太くんが、すごい怒っちゃうの」
「俺が?」
「ふふ。もうすごい表情だったよ」
「なんだそれ。自分が怒るところなんてあんま想像できねえよ」
自身が怒った最後の思い出は高校二年生の時。
榊下との喧嘩だ。
──まあ今も、喧嘩しているようなものか。
あの時と違って暴力の匂いは皆無であるが、サークル内での冷戦状態は続いている。
「ねえ、悠太くん。最近さ、何かあったの?」
「え、何もないよ。なんで」
「うーん……彼女の勘」
礼奈はそう言って、小さく舌を出した。
彼女の仕草に癒されて、頬を緩める。
「何にもない」
俺はそう言うと、再度視線を外に向けた。
礼奈に今の状況を教えても、罪悪感を抱かせるだけだ。
この空間があるだけで幸せなのだから、それを崩したくはない。
夕陽の暖かさに微睡み、俺は静かに瞼を閉じる。
「悠太くんさ、私のどこが好き?」
「へ?」
窓枠に肘をついていた俺は、体勢を崩す。
「どわっ」
「あっ、大丈夫?」
「いや……大丈夫。てかなんだよ、いきなり」
「いきなりっていうか……ちょっと気になって。この観覧車だって、結構久しぶりだしさ。覚えてる? 私たち、初めてここで──」
頂上に登ったところで、キスをした。
身体に走った衝撃は、今でも覚えている。
礼奈は少し頬を赤くして、フイと顔を逸らした。
「どこ見てんだよ」
「……なんか恥ずかしくなっちゃった」
「はは、自爆してりゃ世話ないな」
「茶化さないでよぉ」
礼奈が頬を膨らませる。その表情が琴線に触れて、俺は思わず身体を硬くする。
「……そういうとこが好きかな」
「え? 自爆するところ?」
「あー……まあ、そんな感じ」
言葉にするのは、どうにも気恥ずかしい。
お淑やかな雰囲気や、整った容姿。優しいところ、包容力があるところ。俺を想ってくれるところ。
好きなところなんて、沢山ある。
礼奈だって、恐らくそのはずだ。
「俺、礼奈と付き合えて良かったよ」
「ふふ。私も」
ゴンドラが、頂上へと近付く。
夕陽で橙色に染まったゴンドラの中で、俺たちはまた唇を重ねた。
「今日悠太くんの家、行っていい?」
「勿論」
サークル内で揉めている。だが、一体それが何だっていうんだ。
俺は、恋人に恵まれた。それはサークルに恵まれるのと同じか、それ以上に価値のあることだ。
ならば、それで良い。それだけで良い。
俺は礼奈が傍にいてくれたら、それで。
差し込んでいた夕陽に陰り、雲が空を覆い始めた。
ゴンドラが、下降し始める。
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久しぶりの更新になってしまい申し訳ないです…!
カノうわ4巻は6月1日発売、コミカライズも決定しました!
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