第68話 彩華とのドライブ

 大学生と高校生の、プライベートの時間。

 両者を比較すると、やはり大学生の方がお金が掛かることが多い。

 夜に「ご飯に行こう」と誘われれば、高校生の時はファミリーレストランで済んでいたものが、大学生になれば居酒屋へと変わる。

 一日中遊ぶとなると、一万円が飛んでいくことも珍しくない。

 だが自分で稼いだお金で好きに遊ぶというのは、高校生の時には味わうことのできなかった愉しさがあった。

 かといって高校にも、あの場所にしか無い愉しさも確かに存在していて、両者を比較することは難しい。

 だが、俺の中で確信を持って大学の方が愉しいと思える分野があった。 

 交通手段。即ち、自動車の運転である。

 運転免許自体は十八歳から取れるが、高校三年生は受験勉強真っ只中でそれどころではない。

 従って大学生になってから免許を取りに行くのが大多数。

 だが、自分の車を持っている学生は殆どいないと言っていいだろう。

 そこで活躍するのがレンタカーである。

 大体五千円程あれば六時間程度は借りることができ、同乗者と割り勘すれば学生の財布にも優しい値段になる。

 俺が運転免許を取ったのは、一年以上前のこと。

 実家に帰省する度に親の車を借りて練習し、友達とレンタカーでドライブしたりしていた為、最近では少しずつ慣れてきている。

 そして今まさに、俺は彩華とドライブ中だ。


「ねえ、一つ訊いていい?」

「ん?」


 横で彩華が、若干戸惑った声を出した。


「ドライブ、あんたが誘ったんだよね」

「ああ。たまにはこういうのも良いだろ」

「うん、まあ。確かに悪くはないんだけどさ」


 信号が赤になり、前方との車間距離を十分に保って車が停車する。

 そして、彩華が目を細めて俺を見た。


「なんで私が運転してるわけ?」

「そりゃ、お前のドライビングテクニックを確かめるためだよ」

「もうちょいマシな言い訳考えときなさいよ……」


 彩華はそう言って息を吐く。

 講義終わりに突然誘ったにもかかわらず来てくれた相手に運転を任せるのは、些か失礼だったかもしれない。


「帰りの運転は任せろ!」

「そのつもりよ。私より運転歴がお子様だから、ちょっと心配だけど」

「いやいや、別に大して変わんないっての」


 信号が青になる。前方の車に引っ張られるように発進し、少しずつスピードに乗っていく。


「お前っていつ免許取ったんだっけ?」


 俺の質問に、彩華は思い出すような仕草を見せる。

 運転中に思考を巡らせることに若干の申し訳なさを感じつつ、答えを待つ。


「一年生の秋かな。友達と合宿して一気に取ったわ」

「あー、合宿って短期間で楽そうだよなあ」


 それに、友達と二週間程同じ屋根の下で過ごすのは楽しそうだ。

 俺は一人の時間も好んでいるが、そういったイベント毎もなんだかんだと気になってしまうタチなので、免許合宿は正直羨ましい。


「あんたは合宿じゃなかったっけ?」

「俺は自動車学校に半年通ったよ。今考えればお前みたいに一気に取ってた方が良かったわ」


 通える期間などが決まっている自動車学校では、学科と実技を自分のペースで予約する形式でこなしていくのだが、前半にサボりすぎていた俺は危うく卒業できないところだった。

 学費も二十万程度要するので、ラスト一ヶ月は生徒の予約キャンセル待ちなどを利用して何とか免許取得に漕ぎ着けた思い出がある。


「計画的にスケジュール組めないなら合宿にすれば良かったのに」

「いやー、あの頃は無理だったんだよなぁ」

「何か事情がおありで?」

「そんなところー」


 横断歩道の前に歩行様が立っており、彩華は車を一時停止させて渡らせる。


「で、私適当に車走らせてるけど目的地とか決めてるの?」

「今から作ればあるぞ」

「あーはいはい、そんなことだろうと思った。じゃあ私の家でいい?」

「え、ごめん」


 いつになく塩対応の彩華の顔色を、恐る恐る覗き込む。

 車を再発進させた彩華は、そんな俺の視線に気付いたのかチラリとこちらに視線を投げた。


「いや、別に怒ってないから。家に来る? って言ってるだけよ」

「ああ、なら良かった」


 これ以上ふざけたことを言うなら家に帰るわよ、という牽制かと思ってしまった。

 だが落ち着いて考えてみれば、彩華ならばそんな遠回しな表現などせずに直接的な言葉で伝えてくるだろう。

 一安心して、車窓からの景色を眺める。

 歩道から眺めるそれと異なっていることに感動したのは、記憶に新しい。

 初めて運転した時は──


「──え? 家?」


 俺は思わず、彩華を綺麗に二度見した。


 ◇◆


 高校生の頃、彩華の家に入ったことはある。

 だがあれは実家だったし、一人暮らしの家に入るのとは訳が違う。

 そのことから多少緊張しながら玄関先を跨いだのだが、口から漏れたのは怒りだった。


「ふ、不公平だ!!」

「うわっびっくりした! 何叫んでんのよ!」


 彩華は背中をピシャリと叩き、早く部屋に入るように促した。

 俺は背中の痛みなど一瞬で忘れて、リビングに入る。

 そう、リビング、、、、だ。


「1LDKとか羨ましすぎる……しかも俺の家の倍くらい広いんだけど」

「別に大したことないわよ。家具揃えるのにも余計にお金掛かるから、一時期バイトすごい頑張ったし」

「それ差し引いても羨ましいよ。うわーここに引っ越ししてー」


 ホワイトのフローリングに、ライトブルーのカーテンとカーペット。

 リビングの隅ある観葉植物もカーテンの色合いによく合っていて、ガラステーブルには砂時計。

 物は多くジャンルも疎らなのに、何故か統一感を感じさせる内装にはお洒落な雰囲気が漂っている。


「俺の家もお洒落にしたい」


 家なんて暮らせればいいと思っていた俺だったが、同い年にここまで差をつけられては落ち着いていられない。


「あんたには無理よ」

「酷くね!?」

「いいから、ソファにでも座って」


 彩華はそう言って、キッチンに向かう。

 エプロンを巻く動作は自宅で何度も見掛けるものではあるが、今日は場所も相手も違う。

 彩華のエプロン姿を見るのは、高校の家庭科にあった実習以来だ。


「え、なに? まじで?」


 これから起こることを察しながらも、思わず訊いてしまう。

 彩華は髪を括るためのヘアゴムを咥えたまま、こちらに振り返る。

 目が合うと、彩華は悪戯っぽく口角を上げた。


「にひっ」


 ──やばい。

 可愛さの中に若干の色気を漂わせる立ち振る舞いに、俺は思わずそっぽ向く。


「そこで待ってなさい」


 髪を括り終えた彩華が、冷蔵庫の中を漁りながら言った。

 中には買い込まれた食材があるようで、手際良くカウンターに置いていく。

 一体なぜいきなりこんなことに。


「なんか俺お前に良いことしたっけ?」

「別に。そういう気分になっただけよ」  


 俺の質問にあっさり答えると、彩華はフライパンにざっとバターを引いた。

 志乃原の時みたく、また俺の理解の範疇を越えた戦いがキッチン上で始まるようだ。


「あんたグラタン好きだったわよね? それ作るから」

「えっやばい。俺死ぬの? これ最後の晩餐なの?」

「まあ、確かに普通なら死ねるくらいの幸運かもねえ」


 彩華はこともなげに言いながら、着々と料理を進めていく。

 今まで彩華に料理を作ってもらった回数は片手で数えられる。そのどれもが高校生の時で、体育祭でお弁当を作ってもらったりだとか、家庭科の実習だとか、全て校内での出来事だ。

 少なくとも、こうして自宅で振る舞ってもらうことなんて初めてのこと。

 学内の彩華ファンからすれば、今の俺の状況は喉から手が出るくらいのものだろう。


「前から料理作ってあげようと思ってたんだけど、全然タイミング合わなかったじゃない? 一度決めたことなのにズルズルと伸びていってたから、今日にしようってさっき車の中で思ったの」

「感謝感激雨霰」

「もうちょっと普通にお礼言いなさいってば」


 そう言いながらも、彩華が満足気に微笑む気配がする。

 俺もその事になんだか嬉しくなって、クッションに頭を預けた。

 微かに彩華の匂いがして、図らずも悪いことをした気がして顔を離す。


「別に気にしなくてもいいわよ」


 彩華はこちらに振り向かないまま言った。

 後ろに目でも付いているのだろうか。


「好きに寛いでて」


 積み上げてきた時間が、彩華にそんな言葉を紡がせる。


「……おう」


 俺は短く返事をして、再びクッションに顔をうずめた。

 背後で料理をする彩華のとの音と、クッションの匂いに包まれながら俺は少し考える。

 温泉旅行を経ても、俺たちの関係性は大きく変わらなかった。

 そして、これからもこの関係を維持していこうと思った。

 たとえ側から見れば歪な関係性だとしても、当人の俺たちが満足しているならそれで良いと。

 それは俺が選択したことで、彩華が受け入れたことでもある。

 だが今、俺は彩華が住む家に居る。

 これまでに無かった、初めてのことだ。

 もしかしたら──と、今まで考え及ばなかったことが頭の中に浮かび上がった。

 口に出すには恥ずかしく、そして恐しくもあることだ。

 ──彩華はこの関係を変えようとしていたのかもしれない。

 旅館で放った「どちらに転んでも良かった」という言葉も、本音だったのかもしれない。

 ……だとしたら。

 この居心地の良い空間を永久に保つことなんて、夢物語なのとは分かっている。

 社会人になれば時間も取りづらく、会う頻度も極端に減り、精神的なゆとりだって無くなっていくに違いない。

 だからこそ、俺は今この瞬間にある空間を大事にしたい。


 ──友達という垣根を越えた先の景色を見てみたい。


 高校生の時の俺から見れば、今がまさにその景色なのだろう。

 だから大学生になった俺は、自問自答する。


 お前は、美濃彩華と親友になった。

 そのの景色が、もしも存在するのなら。

 お前はそれを見てみたいか──と。

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