第66話 初恋

 ──あれは、今思えば本当の初恋だったのかもしれない。


 私には、異性を好きになるという感覚が分からなかった。

 勿論、恋愛面での話。

 高校から女子校に進学していた私だけれど、男友達がいないという訳じゃない。

 小中学では人並みに男友達はいたし、高校でも部活の遠征で他校の人と仲良くなり、連絡を取ったりしていたこともあった。

 でもそれは、恋じゃなかった。

 興味はずっとあったけど、無理やり恋愛するのは違うと思うから、自然と異性を好きになるまで待っていたら、いつの間にかもうすぐ成人という歳になっていて。

 ──そんな時に、やっと現れた。

 本気で、好きになれる人。

 私のことを、好きになって貰いたい人。

 それは幼い頃に夢描いていた白馬の王子様でも、中学生の時に応援していたアイドルのような人でもない。

 私の話に対する反応や、挙動。醸し出す雰囲気や、心の間合い。

 それらが全て心地良くて、この人と付き合ってみたいなと思っていたタイミングで、告白された。

 正直、今まで思い描いていた彼氏像とは全然違っていたけれど。

 この人が運命の人と思えるくらい舞い上がらせてくれたのだから、それで充分。

 私は、喜んで付き合った。


 ◇◆


「運命の人から告白されるなんて虫のいい話がそうそうあってたまるかってんですよ」

「じゃあなんでこの映画観たんだよ……」


 俺はげんなりしながら、出入口付近にあるゴミ箱へ包装紙を丸めて捨てる。

 平日の十五時ということもあり観客は疎らで、志乃原の感想が聞こえる範囲に人はいない。

 入場の際に貰ったパンフレットを眺めると、例の漫画原作の映画には特典が付いているらしく、やっぱりそっちを観れば良かったと息を吐く。

 ただお腹は膨れているので、相殺という形だ。


「普段あんまり恋愛映画観ないんですけど、先輩となら楽しめるかなって思ったんですよ」

「で、ご感想は?」

「早くクレープ食べに行きましょう!」

「イマイチだったんだな……」


 エスカレーターに乗り、下降していく。

 映画館は七階にあり、エスカレーターからは吹き抜けとなっている一階までを見下ろせる。

 平日のこの時間にショッピングモールをブラブラできるのは、何だか特別感がある。

 高校まではこの時間は授業真っ只中だし、社会人になったら仕事中だろう。


「そういやお前、今まで心から好きな人ってできたことあんの?」

「ありますよ。小学生の頃ですけど」

「やっぱそんなもんか」

「ナメんなー!」


 志乃原が腕をブンブンと振って抗議する。

 別にナメている訳ではない。

 初めて付き合った彼氏が元坂で、その理由がカップルイベントを経験したいから。

 数々と受けた告白も断る理由を聞いたことはないが、恐らく理想が高いという訳ではなく、あの映画に出てきたヒロインのように、元々恋愛へモチベーションが低かっただけだろう。

 そもそも理想が高ければ、俺のような人間の家に入り浸ることなどしない。

 何となく馬が合って、且つ何らかのきっかけを与えてくれる。

 そんな相手を、もしかすると志乃原も待っているのかもしれない。


「先輩こそ、初恋っていつ頃だったんですかー?」


 志乃原のそんな質問で、思考から引き戻される。


「俺? 小二とかじゃね」

「その時、好きになる基準とかってありました?」

「忘れたけど、とりあえず一番可愛いって思ったやつを好きになってた気がする」

「えぇ、じゃあなんで私のこと邪険にするんですか」

「知るか、基準が変わったからじゃねえの」


 幼い頃の基準は、端正な顔立ちのような俯瞰的な要素ではなく、自分の琴線に触れるかどうかが全てだったように思う。

 平たく言えば、クラスの中で一番可愛く感じるかどうか。

 この"可愛さ"とは顔だけではなく、声だったり、立ち振る舞いだったり、あらゆることに対してだ。

 当然のことだが、小学生の頃はそんな主観的な視点しか持ち合わせていない。

 ただこの歳になれば、他のことを意識することも増える。

 幼い頃より達観した視点を得れば、何かと俯瞰的な要素も重要視するようになってしまう。

 社会人になれば、それがもっと顕著になるのかもしれない。

 相手の勤め先。年収。色んなしがらみを越えた先に迎えた相手は、本当に運命の人なのだろうか。

 恋愛を難しく考えてもどうにもならないのだが、そういった意味では映画のヒロインが羨ましい。

 待っているだけで、運命の人とやらが現れたのだから。


「じゃあ先輩の今の基準って?」


 志乃原はそう言いながらエスカレーターから降りて、少し離れた場所にあったソファに腰を下ろした。


「クレープ食べねえの?」

「ちょっと休憩でーす」

「映画でずっと座ってたろ……」

「あの椅子硬いんですもん! で、今の基準は!」

「えー、基準ねぇ」


 今の基準は、自分でもよく分かっていない。

 勿論理想はあるが、非現実的でとてもじゃないがそれを基準にしてしまうと俺は一生彼女ができない。

 ちなみに理想はお金持ちで包容力のある、美人と可愛いを併せ持ったお姉さんだ。

 彩華に言うと鼻で笑われるが、世の中の男で共感してくれる人は一定数いるのではないだろうか。

 だが、あくまで理想だ。

 現実にはあり得ないと分かっていながら、一縷の望みを諦めていないだけである。


「なんか先輩ろくでもないこと考えてそう……」

「いや、夢見てただけだから。夢見る男ってなんか良いだろ」

「響きだけは良いですね。響きだけですけど」

「うっせえ二回言うな!」


 理想ではなく基準となると、自分でもよく分からないのだ。

 俺は結論を出すことを諦め、適当に「料理が上手いかどうか」と言った。


「なんか先輩らしい基準でほっこりしました」


 そう言って、志乃原は口元に弧を描く。


「そうか?」

「はい。大学ってもっとこう、軽い理由で付き合う人口絶対増えたじゃないですか。そういうのより断然良いです。私は人のこと言えませんけど」

「言えねえな」

「認めないでくださいよ!」


 口を尖らせる志乃原を他所に、俺は再度考える。

 大学に入って、軽い理由で恋仲になる人が増えたと志乃原は言った。

 だが、それは必ずしも悪いことではないというのが俺の持論だ。

 付き合ってからでないと分からないことは明確に存在しているし、恋人としての是非を判断するまでの期間が短く済むのは良いことだと思う。

 ただ、これはあくまで持論だ。

 万人受けはしないだろうし、特に彩華はこうした考え方に抵抗があるに違いない。


「でも確かに、大学に入ってからカップル増えたよな」

「まぁカップルじゃないと楽しめない事とか沢山あるでしょうしねー」


 カップルが増えた要因として、教室という箱庭から解放されたからというのもあるだろう。

 一年間を教室という狭い空間で同年代が共に過ごすという、今考えれば特殊な環境。

 皆んながお互いについて知っているせいで、恋愛に関しての噂が回るのは異常に早かった。それほど皆んなが、他人に対して興味を持っていたのだ。

 対して大学は、自分の恋愛事情に対して興味を抱く人間はそれ程多くない。

 皆んな知っている仲同士の恋愛に興味があるだけで、片方が自分の知らない人間となると興味が薄れるのだ。

 興味を持たれないというのは時に哀しく、時に居心地の良さを与えてくれる。

 そういう意味では、大学も居心地の良い場所と言える。


「志乃原はカップルとか羨ましいか?」


 訊くと、志乃原はかぶりを振った。


「今は全くですね。楽しいので、満足してますよ。おかげさまで」


 志乃原はそう言って口角を上げる。

 ソファから見上げてくる志乃原から、思わず目を逸らす。

 人に気持ちをストレートに伝えるのは志乃原の魅力だと思うが、同時に屍を増やし兼ねない行為だ。


「そういうこと、他の人には言うなよ」


 忠告すると、返事がない。

 再度志乃原に視線を落とすと、後輩はポカンと口を開けて何故か頬を赤く染めていた。


「せ、先輩の独占欲だ……」

「ち、違え!」


 思わず強く否定すると、志乃原はケラケラと笑う。

 ……こうして人をからかっている内は、志乃原の望む運命の人とやらは訪れないんじゃないだろうか。

 俺はそんなことを思いながら、大きく息を吐いた。

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