第65話 それぞれの恋愛観

 新入生歓迎会の次の日、俺はひとしきり講義を受け終わると、一人で映画でも見ようかとスマホをいじっていた。

 彩華とは今日会っていない。

 学部の友達と講義を受けて、恐らくそのままどこかしらのグループで遊んでいるのだろう。

 彩華は俺と過ごす日を自分の中である程度決めているらしく、その日でない場合はこうして一度も会わないことが多い。

 だが映画は一人で鑑賞したい俺にとって、今日はそれが丁度良い。

 少年誌原作の映画が丁度やっていたので、予約画面に移ろうとすると、後ろから声が掛かった。


「おーす悠。今日もサークル来るだろ?」


 藤堂だ。バッシュの入った靴袋を掲げながら、こちらに近付いてくる。

 明るめのアッシュグレーだった髪はブラウンに変わっていて、良い意味で落ち着いた雰囲気になっていた。


「藤堂、髪似合ってんじゃん」

「お、分かる? 新歓で安心感与えるために染めたんだよ」


 藤堂は軽く笑いながら答えた。

 元々のアッシュグレーの髪色もお洒落だったが、確かに高校から上がり立ての新入生には刺激が強いかもしれない。

 サークル代表の髪となると尚更だ。

 元気な人間が集まるサークルと認知されるのは悪くないが、startの毛色には合わないという判断だろう。


「さすが代表、サークルのイメージを優先した訳だ」

「そういうこと。そんな代表からもっかい質問なんだけど、今日のサークルは参加でオッケー?」


 藤堂の質問に、俺は何も持っていない両手をプラプラと振って答えた。


「ご覧の通り、今日俺バッシュ持ってきてない」

「お前、また俺らの血税から搾り取られたバッシュ借りる気かよ。てか今月のサークル費ちゃんと払ったのか?」


 思い出したかのように訊いてくる藤堂に、俺は親指を立てた。


「この前練習した時にバッチリ払ったぜ!」


 正直参加していない月の費用も纏めて払うのは気が重かったのだが、そこはサークル代表の藤堂の顔を立てることを優先した。

 藤堂はそんな俺に苦笑いで応える。


「何ドヤ顔してんだよ、当たり前だっつの。で、来るの、来ないの」

「行かないかな」

「だろうなー、何かそんな気がしたわ。勿体ない」

「勿体ない? 何で」


 今まで藤堂からのサークルの誘いを断ったことは沢山あるが、勿体ないと言われたのは初めてだ。

 何か俺の知らないことがあるのかと思って訊くと、藤堂は口角を上げた。


「今年入りそうな子の中に、めっちゃ可愛い子いるぞ」

「え、まじで。でもお前彼女いるだろ?」

「いるけど、それとこれとは別だって。代表としてみんなのモチベが高まるために尽くしてんだよ」

「ほほう、ほほう」


 俺がニヤニヤとすると、藤堂は表情を崩す。

 彼女の話題になるといつもより饒舌になるのが面白い。


「お前だって、彼女と付き合ってる時も彩華さんと結構一緒にいただろ。彼女と友達、彼女と先輩後輩はまた別物なんだって」

「それは──」


 反論しようとして、口を噤んだ。

 彼女と友達が別物だという考え方には、納得できる。

 彼女と付き合う度に友達との距離を離していたら、万が一別れた後に何も残らない。

 それに、友達という括りが大雑把なのだ。

 一個人との付き合いとして、例えば彩華を思い浮かべる。

 俺にこの先彼女ができたとして、彩華と距離を取ることはあまり考えたくない。

 さすがに二人で旅行に行くことは控えるが、この関係に口出しされるのは煩わしいとさえ感じてしまう。

 彼女には彼女の良さがあり、恋人関係として付き合ったとしても。

 それで彩華との関係の良さが消える訳ではないのだ。

 それぞれの関係から生まれる幸福をどちらも享受することは、いけないことなのだろうか。

 人と人の付き合いは、相性によって大きく左右されるもの。

 相性の良い人とわざわざ距離を取るのは些か勿体ない気がしてならないが、これは万人受けする価値観でもないだろう。

 だが少なくとも藤堂は彼女以外にも女友達と楽しく過ごしたいという考え方で、俺のそれと良く似ていると思う。


「──確かに別かもな」

「だろ。俺は彼女一筋だけど、サークルはサークルで楽しまなきゃな」


 藤堂は爽やかな笑顔でそう言った。

 整った顔立ちに高いコミュ力とファッションセンス。

 それらを持ち合わせている藤堂が、サークルの女子から色目を使われていた時期を俺は知っている。

 だが藤堂は彼女との仲睦まじい話をすることで寄せ付けない雰囲気を相手に伝え、浮気は一切していない。

 そういう根が誠実な部分を知っているから、俺は藤堂の言葉を信じられる。


「じゃ、いつもの場所行こうぜ」

「ん?」

「喫煙所だよ。最近一緒に吸ってなかったろ」


 藤堂は親指で喫煙所のある方向を差す。

 二年後期のテスト前に、彩華に付き合わせた喫煙所だ。


「ああ……俺煙草辞めたんだよな」

「え、まじで?」


 藤堂は目を丸くした。

 煙草を吸い始めたのは藤堂の影響が大きかったし、事前に一言くらい伝えておいた方がよかったかもしれない。


「悪いな、彩華に似合わないって言われてさ」


 俺が溜息と一緒に言ってみせると、藤堂は納得したように笑みを浮かべた。


「はは、確かに似合ってなかったけどな」

「そこは否定しろよ!」


 似合わない煙草に金を払って吸っていたかと思うと悲しくなってくる。

 禁煙がさほど辛くなかったのも、それが理由かもしれない。

 煙草に何を求めるかは人それぞれだが、俺にとっては似合わないという一言で止めてしまってもいいと思える程度のものだったらしい。


「ま、お前の煙草には付き合ってやるよ。お前電子タバコだから、ムズムズしなさそうだし」

「お、いいね。俺も煙草やめろって彼女に言われてるし、これを最後に禁煙するかなぁ」

「そうしようぜ。金貯まるぞ」


 藤堂の吸う量を完全に把握しているわけではないが、月に一万程度は使っていることは確実だ。

 一年で十二万円。あると無いとじゃ、全然違う。

 加えて彼女が止めてほしいと言っているのであれば、禁煙をするのが一石二鳥というものだろう。

 喫煙所の扉を開くと、煙の臭いが鼻をついた。

 このきつい臭いが、何故か安心感をもたらしてくれる。

 禁煙した今でもその感覚は変わっておらず、そのことに不思議と安堵した。


「ほんとお前にとって彩華さんの一言って重いなあ」


 藤堂は煙草に火をつけて、灰色の息を吐く。

 その動作がとても様になっていて、こいつは別に禁煙しなくてもいいかもしれないと、心の中で思った。


 ◇◆


 藤堂の煙草に付き合った後、俺は志乃原に呼び出されて合流し、二人でショッピングモールを歩いていた。

 この辺りじゃ一番規模の大きいこのショッピングモールには、映画館などもある。


「いやー、映画観たいところに丁度先輩がいたんですよねぇ」

「言っとくけど観る映画は合わせないからな」

「えっそんなことあります!?」


 少年誌が原作のものを観ると、先ほど既に決めていた。

 志乃原が呼び出してきたのはその後のことなので、今のところ変更する気はない。


「せっかく合流したんだから観ましょうよ〜」

「俺が観る映画に付いてくる分には構わないぞ」

「えー絶対あの漫画原作のやつじゃないですかー」


 壁に連なっているパネル中から、志乃原は目敏く指差す。

 俺の家にある漫画を読み漁っている影響で、志乃原はかなり漫画好きになっているはずだが、まだあの作品には手を出す気はないらしい。


「志乃原は何が観たいんだよ」


 訊くと、志乃原は思案するような仕草をしてから、『私の恋愛観に貴方を巻き込みたい!』という胡散臭いタイトルの映画を選んだ。


「あぁ……そういやお前、自分の恋愛観がズレてるか気にしてたな」


 一月あたりの話だ。

 俺の家で恋愛番組を見ていた志乃原は、「私ってズレてるんですかね」と訊いたことがあった。

 あの時は誕生日プレゼントを渡し、その後彩華の訪問により会話が流れてしまっていたが。

 何故かあの時志乃原の溢した言葉は、何故か脳裏に焼き付いてる。


「言いましたっけそんなこと?」


 志乃原はニコニコとして訊いてきた。

 俺は思わず息を吐く。


「言ったよ。元坂に浮気されたけど、カップルっぽいことしたいが為に付き合ってただけだから傷付いてはいない。それなのに──」

「友達から慰められて疲れちゃったって言ったやつですね、思い出しました思い出させないでください先輩のいじわるー!」


 志乃原は俺の肩をポカポカ殴りながら抗議する。

 肩に感情があったらどう思っているだろうか、などと心底どうでもいい思考が過ぎり、頭を振ってそれを逃す。


「で、仮に私が言ってたとして」

「何で一度認めたこと撤回してんだよ、思い出したんじゃねえのかよ」

「もう忘れました」

「早いわ!!」


 思わずしっかりとつっこみを入れてしまう。

 志乃原からしたら忘れたい記憶なのだろうが、生憎こちらは当分覚えていそうだ。


「先輩とあの映画を観ることは私の中で確定事項になりました!」

「えぇ、無理」

「ほ、本気で嫌そうでさすがに私もショックです……せっかくホットドッグとポップコーン払ってあげようかと思ったのに」

「タチ悪いぞてめえ! 分かったよ!」

「今ので分かったんだ……」


 志乃原は若干呆れたように反応する。

 こうして俺は、今まで手を出してこなかったジャンルの映画を観ることになった。

 映画代を払ってご飯を食べるという感覚だ。

 横で嬉しそうにはしゃぐ志乃原を横目に見る。


 ──たまにはこういうのも面白いかもな。


 発券されるチケットを受け取りながら、俺はそう思った。


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 本日、新作投稿しました。

 ちょっぴり大人のラブコメディ第二弾。

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