第63話 新入生歓迎会⑤〜宴もたけなわ〜

「……彩華先輩」


 志乃原は憮然とした面持ちで彩華を凝視する。

 以前邂逅した時と何ら変わらない雰囲気が二人の間に流れた。

 だが今は、あの時の状況とは大きく違う。

 ここは俺の家ではなく、周りに大勢の人がいる。

 そのことをお互い認知しているのか、両者は口を開かずに見つめ合う。


「彩ちゃん。私、ちょっと抜けるから」


 那月が横から、申し訳なさそうな声色で伝えた。

 彩華は那月にニコリとして、「わかった!」とだけ応える。

 そして次に俺へチラリと視線を送ってくるが、志乃原がそれを遮った。


「先輩も行きましょ!」

「いや、俺は──」


 断ろうとすると、後ろで彩華が首を横に振った。

 行ってこいということだろう。


「──行くって、どこに」

「んー……ラーメン?」


 行き先は考えていなかったのか、志乃原は絞り出すように言う。


「もう腹一杯だっつーの」

「この前醤油ラーメンオススメしてくれたじゃないですか〜」


 志乃原はぺたりと俺の胸に手を当てて、ウインクする。

 いつもより些か距離が近い。

 那月が「え、こんなに仲良いんだ」と声を漏らした。

 そう思って当然だろう。

 志乃原の間に特別何も起こってないということが、側から見れば信じがたいことくらい理解している。

 いつもより距離が近いのだから尚更だ。


「てことで彩華先輩。私、先輩を借りて行ってもいいですか?」


 志乃原の問いに、彩華は素直に頷く。


「別にいいわよ。もう用済みだし」


 彩華はあくまで、俺が新歓の準備要員だったという意図で言ったのだろう。

 だがその言葉は大いに志乃原の機嫌を損ねたらしく、初めて眉間に皺を寄せるのが見えた。


「……なんですかその言い方。先輩に謝ってください」

「いいんだ志乃原、俺は──」


 言いかけると、志乃原はキッと俺を見上げた。


「良くないです。さっき那月さんの言ってたことの意味が分かりました。先輩って彩華先輩に逆らえないんですね」


 那月は「私を巻き込まないでよ」と言いたげな視線を志乃原に送る。

 だが志乃原は全く気付かない様子で、更に言葉を並べた。


「先輩って一見気さくで、でも実は他人にそこまで興味がなくて、でも一回仲良くなるとすんごいその人のことを考えてくれてる人なんです」

「何言ってんだお前。ほら、分かったからラーメン行くぞ」


 俺は志乃原の腕を掴んで引っ張る。

 志乃原は意外にも大人しく付いてきながら、最後に一言加えようとしたのか、立ち止まった。


「彩華先輩、先輩の優しさにつけ込むような真似は──」

「志乃原さん。なにか勘違いしてるんじゃない?」


 凛とした声色に、志乃原は押し黙った。

 彩華は屈んで、俺たちが空けた缶を一本ずつ回収している。

 俺たちの方を見てすらいない。

 那月は慌てたように彩華に倣い、側に置かれていたゴミ袋を広げ出した。

 途中で抜けるのだからゴミ掃除くらいはしなければと、俺も志乃原から離れて空き缶を拾い上げる。


「勘違い?」


 志乃原が訊き返す。

 彩華は俺から空き缶を受け取り、那月が広がるゴミ袋にそっと入れる。


「私はこのバカの性格なんて、身をもって分かってるつもり。志乃原さんがこいつの性格をどう解釈するかは自由だけどね。それでも、一つだけ教えておくと──」


 彩華が近付いてきて俺の耳を引っ張り、口角を上げた。


「私、志乃原さんより、こいつとの付き合い長いから」


 彩華はこともなげにそう言って、ぱっと耳を離す。

 耳はジンジンと痛むが、全く嫌な気持ちにならないのは、積み重ねた関係性があるからだ。

 この場であえて付き合いが長いことを言う必要があったのか分からないが、俺が用済みという単語に不快感を覚えなかった事実を伝える分には確かに効果的だろう。

 志乃原は彩華の言葉に暫く押し黙っていたが、最後に「そうですか」と短く返事をして、俺の腕を掴んだ。


「先輩ラーメン!」

「俺はラーメンじゃねえよ。分かったよ、行くから!」


 彩華に「ごめん」とジェスチャーだけして、俺は志乃原に引っ張られるがまま公園を後にした。

 最後に那月と何か話している彩華の表情は、いつもと変わらないものに思えた。


 ◇◆


「だから私の方が悠太のこと分かってる! って言いたかったのかな? 彩ちゃんは」


 行きつけだったラーメン屋。

 志乃原がお花を摘みに行ってる時、那月はメニュー表を眺めながら訊いてきた。


「まあ、話の流れではそんなニュアンスだろうな。……俺は醤油ラーメンね。志乃原も同じので」

「え、真由も同じのでいいの?」

「いいよ。俺オススメのラーメンが食べたいってさっき言われたし」

「へえ、ここの醤油ラーメンオススメなんだね」


 そう言って那月は「すみません、注文いいですか」とテーブル横を通り過ぎようとしていた店員を呼び止める。


「醤油ラーメン三つで」

「かしこまりました。麺の硬さはいかがいたしますか」


 店員の言葉に、那月は俺に視線を投げた。


「じゃあ硬が二つと──」

「あ、私も硬がいい。硬め三つでお願いします」


 店員は素早くメモを取り、厨房へ「醤油硬三つ〜」と呼び掛ける。

 厨房から元気の良い返事が響いてくるのを聞いて、以前来た時のことを想起する。

 あの時は隣に──


「……今日の午前中も言ったけどさ。ほんと贅沢者だよ、悠太」


 那月は自分の分のお冷やを用意してから、二つ目のコップに水を注ぐ。

 嫌味を言われているわけではない──のだが。

 真っ直ぐな言葉にどう返事をするか言いあぐねていると、隣から聞き慣れた声がした。


「先輩、私醤油ラーメン!」

「もう頼んだっての。ちゃんとオススメのやつな」

「わっやった、さすがです」


 志乃原も、特に変わった様子がない。

 いつも通りの言動にホッとする。

 以前もそうだったが、相手がいなくなると志乃原も元に戻るようだ。

 那月と笑い合っている志乃原を見て、そう思う。


「てか、元々二人でご飯行く予定だったんだろ。俺がいていいのか?」

「全然いいよ? だってご飯食べるだけだし」


 俺の質問に、那月が返事をする。

 そして志乃原は俺をチラリと見てから、悪戯っぽく微笑した。


「懐かしいバイトあるあるを話したかったんですけど、せっかくだし今日は先輩あるあるを話しましょうか」

「勝手に人の話で盛り上がろうとすんな!」


 ご飯の予定。

 元よりどこに行くかも決まっていない、自由な約束だったのだろう。だから那月は新歓で殆ど何も食べずに、酒を飲んでばかりいたのかと納得する。


「あはは、なんで悠太の話で盛り上がるのよ〜」


 那月が言うと同時に、テーブルに醤油ラーメンが三つ並べられた。

 立ち上る湯気から食欲を唆る匂いが漂う中、何となく思うことがあった。


 ──那月って、多分俺のことあんまり好きじゃないな。


 人間関係において、こういったマイナスの勘ほどよく当たる。

 気付けば酔いは覚めていて。

 宴の締めであるラーメンの味は、いつもより随分と薄く感じた。



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