第62話 新入生歓迎会④〜邂逅〜

「おま、なんでここいんだよ!」


 俺が大きな声で訊くと、志乃原は大いにショックを受けた表情で口を開いた。


「い、いるだけで恫喝される私って一体……」

「あっ、いや。……ごめん」


 謝罪したが、志乃原はむくれながら腕をジタバタとさせた。


「最近先輩と全然距離縮まってる気がしないー!」

「今それを言うなって色々誤解受けんだろうが!」


 那月に何か弁解しようとして振り向くと、彼女は俺ではなく志乃原を見ていた。

 黒縁眼鏡の奥にある目が少し細まった気がして、思わず背筋を伸ばす。

 志乃原がこれ以上何か口走らないようにここから遠ざけようと、二人の間に割って入った時、那月が口を開いた。


「──真由、遅いよ。待ちくたびれたんだから」

「あっ、お待たせです那月さーん」

「……は?」


 思わず声が漏れた。

 那月は俺を通り越して、志乃原のヘアピンに触れる。


「しかも、ヘアピンがちょっとズレてる。さては焦って走ったなぁ?」

「焦っていましたけど走ってはないですよー。疲れちゃいますからね」

「そう言ってバイト遅刻してきたの思い出した」

「ちょ、あの時はちゃんと走ってましたしギリギリ間に合いましたから! 記憶改竄しないでくださいよ!」

「そうだっけー」


 那月はからかうように口元に笑みを浮かべた。

 そして、ふとこちらを見上げる。


「ところで、二人は知り合いなの?」


 那月の問い掛けに何と答えるか迷っていると、先に志乃原が言葉を返した。


「私が訊きたいですよそれ。先輩もいるって知ってたら、ちゃんと走ったんですけど」

「ねえそれどういう意味〜?」


 那月が眉間に皺を寄せて志乃原の頬をつねる。

 いつどのタイミングで知り合ったのか定かではないが、俺が思っているより二人の仲は深そうだ。

 だが、その理由はすぐに分かった。


「先輩、那月さんが前に言ってたバイトの人です。温泉旅行一緒に行った人」

「……あれ那月のことだったのか!」


 バイト先を辞めてしまった人がいる。その人の連絡先を知らないから、もう会えないんじゃないか。

 彩華との温泉旅行の前、志乃原は憂鬱な面持ちでそう呟いていた。

 ──そして彩華との温泉旅行中、一度志乃原と邂逅した際。

 まさにその人と一緒に此処へ来ていると、志乃原は言っていた。

 あれらが、全て那月についてのこと。

 ……それは俺にとって必ずしも良いこととは言えなかった。

 理由はいくつかあるが、最も顕著なのは午前中から抱いているとある疑念だ。

 だが、その疑念についてはあまり深く考えたくない。

 今の俺にとって、この場を無難に過ごすことが吉のような気がする。


「二人はどういう仲なの?」


 だからこの那月の質問には、慎重に答えたい。

 俺は一度押し黙り、考えを巡らせる。


「私たちは何を隠そう、元恋人に浮気をされたもの同士です!」


 …………終わった。


 那月は俺の元カノが誰なのかを知っているため、志乃原の言葉に対して笑みを浮かべるのが難しそうに、口元をひくつかせた。

 志乃原もまさか、目の前にいる那月が俺の元カノと知り合いだなんてことは、思いも寄らないだろう。

 知り合いどころか、バレンタインパーティのことを思い返せば、礼奈と那月はきっとかなり親密な友人関係だ。


「そ、そっかぁ。真由浮気されたんだね、意外」


 那月の言葉に、志乃原はうんうんと首を縦に振る。


「そうなんですよ、まあ私の気は済んだのでもういいんですけど。那月さんにはこれ話したことありませんでしたっけ?」

「ないない。そんな話、一度聞いたら絶対食いついちゃうもん」

「でもここにいる先輩は、一度華麗にスルーしましたけどね」


 志乃原は口角を上げてから俺の方を窺う。

 クリスマスイブに初めて二人で食事をした日のことを言っているのだろう。

 八千円以上のクリスマスコースは、まだよく記憶に残っている。


「スルーしたわけじゃねえよ。他の話で盛り上がっただけだろ」

「それ全然弁解できてなくないですか?」


 志乃原の呆れたような口調に、那月も頷く。


「うん、今のは全然できてなかった」

「那月もこいつにノらなくていいから」


 俺は息を吐いてみせて、続けて言った。


「合流したら二人で抜けるって話じゃなかったっけ?」


 志乃原が此処に訪れたのは新歓に参加しにきたわけではなく、那月に会うためだ。

 このまま二人でどこに行くのかは知らないが、なるべく早く抜けてほしいというのが正直なところ。


 何せ、このサークルの副代表は──


「彩ちゃーん、私ちょっと抜けるね!」


 那月が大きく手を振ると、遠くから「おっけー!」と明るい返事だけが届いた。

 人が混雑していて姿は見えないのが幸いか。

 彩華のグループは座って話をしているはずなので、俺たちが近付かない限り姿が視界に入ることはない。


「誰に許可取ってるんです?」


 志乃原の何気ない質問に、那月は「同い年の副代表!」と答える。

 気が気でない俺を他所に、志乃原は感心したように「おおっ」と目を丸くした。


「しっかりした人なんですね。こんな大人数のサークルを動かすなんて」

「まあね、私と違ってしっかりしてそうな人よ」

「確かに、那月さんとは全然違いますね」

「そこ、認めるな!」


 那月はビシッと指差して咎める。

 志乃原はそれに悪戯っぽく笑ってから、俺を改めて見つめてきた。


「てか、先輩はなんでいるんですか? startの新歓じゃないですよね、ここ」

「あー……ちょっと新歓の準備を手伝っててさ」

「ほぇ、めずらしっ。先輩がボランティアに参加するなんて」

「お前は俺をなんだと思ってんだよ……」


 お金が絡むことに普通の人より執着するのは、一人暮らしの学生からすれば当然のことだ。

 誰でも志乃原ほどお金に余裕があるわけではない。

 ……もっとも、こうしてボランティアをお金と結び付ける思考回路を有している時点で、自身に適正がないことは重々自覚している。


「ほんと悠太は彩ちゃんに弱いよね、私だったら絶対断ってる」


 ──那月からすれば、恐らく当たり障りのない発言だったのだろう。

 だが志乃原の陽気で人懐こい笑顔が、僅かに強張ったのを俺は見逃さなかった。


「那月さん。その"彩ちゃん"って──」


「あら、志乃原さん」


 ドキリ。


 辺りはいつの間にか薄暗く、街灯に頼らなければ遠くを視認することが困難な環境。

 そんな環境下で、俺は接近してくる存在に気付くことができなかった。

 例の旅行で邂逅しなかっただけで、運を使い果たしていたのだろう。


 ──それは俺が知っている中で二度目となる、志乃原と彩華の邂逅だった。




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 大幅加筆のカノうわ2巻発売から10日ほど経ちました!

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