第61話 新入生歓迎会③〜月見里那月〜

「ほんとあの漫画化けたよねぇ、週刊連載された当初には全然想像も付かなかったよ」


 那月は二杯目となる角ハイボールを飲み干す。

 同じタイミングで、俺も二杯目のビールを空にした。


「わお、同じタイミング。合わせた?」

「図らずもミラーリング効果になっちゃったわ」

「うーんイマイチ! 全然だー、私を口説きたいならもっと相手の心を尊重すべきだよぉ」

「図らずもって言ったろうが!」


 俺は缶をクシャリと潰してから、那月が空けた缶も引き取る。


「いいの? それではお言葉に甘えまして」

「何も言ってねえよ。これはさっきのお詫びにも含めてな」

「さっきのお詫びって、彩ちゃんに会いに行って私を置いて行ったこと? 安い安い、私はこんなんじゃ許しません」

「次は何飲む?」

「角ハイボール!」


 そう言いながら、那月は俺に手を振って見送ってくれた。

 さすが最初の一杯目がビールだと誰が決めた!党だ。

 ずっと角ハイボールしか飲んでいない。

 空き缶を持ってサークルの用意したゴミ袋に向かっていると、あちらこちらで笑い声が聞こえてくる。

 規模の大きな公園で住宅街が見える距離ではない為、皆んな普段より大きな声を出しているのだろう。

 まだ日も暮れていない時刻だが、宴会はとても盛り上がっている。

 缶が纏めて百本以上置かれているエリアに到達し、角ハイボールを二本頂戴する。

 那月の元への帰り際、彩華が一年生グループに顔を出しているのが見えた。


「そうそう、私も途中でマークミスに気付いた時があって──」

「えっアヤカさんもですか? なんか親近感──」


 どうやら彩華を始めとするグループは、受験の話題で盛り上がっているらしい。

 この時期の一年生が上級生との話題で最も盛り上がりやすい話題は、恐らく大学受験の話だろう。

 俺もサークルの新歓ではやたらと上級生に受験の話題を出されたが、あれは一年生に喋らせて緊張をほぐそうとしてくれたのだと、今彩華の姿を見て思い至った。

 あの時の上級生はもう連絡先さえ知らないが、心の中で感謝する。

 元いた場所へ戻ると、那月がスマホで桜を撮っているところだった。


「お待たせ、何やってんの」

「見ての通り、桜撮ってるの」


 那月はシャッターボタンを慎重に押して、写真を撮る。

 画像を見ると、丁度天に昇り始めた月が桜を見下ろすような構図となっている。


「へえ、いい感じじゃん。投稿するのか?」


 良い雰囲気を醸し出す写真は、SNS上でも人気を集めやすい。

 那月ともSNSのアカウントは繋がっていて、たまにお洒落な投稿をタイムラインで見かけていた。

 だが、那月は首を横に振る。


「ううん。こういうのは、いいんだ」

「こういうのって」

「うーん。こういう、自然の風景とか」


 その言葉で、何気なく那月の投稿を、自分のスマホでサラッと見返してみる。

 確かに投稿されているのはカフェやイルミネーションの写真ばかりで、自然がメインになった写真は一枚もない。


「悠太さ」

「ん?」

「私の苗字覚えてる?」


 那月はデスクトップをスクロールしながら、問い掛けてくる。


月見里やまなしだろ。変わった苗字だよな」


 那月に角ハイボールを渡しながら答える。

 比較的人の名前を覚えるのが苦手な俺も、那月の苗字はすぐに覚えてしまうほど印象的だった。

 那月は頷くと、三本目となる缶を開ける。

 プシュリと、炭酸の抜ける音が鳴った。


「私ね、この苗字とっても好きだったの」


 俺も無言で缶を開け、ハイボールを喉に流し込む。


「月が見える里では、山がない。だから、月見里やまなし。締めには美しい月で、那月なつき。ほんと、何て素敵な名前を貰ったんだろうって、一時期思ってた」


 初対面の時にも、全く同じことを俺も感じた。

 こんな情緒深い名前、そうそう耳にする機会はないだろうと。


「でもね、最近はまた月が嫌いなの」

「え?」


 那月はスマホの電源を落として、ポケットの中に入れる。


「月ってさ、太陽の二番手でしかないの」

「二番手って」

「だって、太陽の光が無かったら、月は輝けないから」


 月が輝くのは、太陽の光を反射しているおかげ。

 それ自体は、那月の言う通りだ。

 子供だって、そのことは理科で習っているだろう。


「そこが月の良いところなんじゃないかな」


 俺が言うと、那月は少し驚いたような表情を浮かべた。


「月にしかない良いところも、あるだろ」


 太陽の光は、目が眩んでしまう。

 それよりは、直接見ることのできる月光の方が、俺は好きだ。


「……酷いこと言うね」


 那月は小さく呟き、ハイボールを呷るように飲んだ。

 何が酷いと感じられたのかは分からない。

 ただ頷いて欲しかっただけの話に、水を差してしまったのかもしれない。


「ごめん」


 一応謝ると、那月も首を振った。


「ううん、こちらこそ。忘れて、今の話は」


 那月のマッシュボブが紅く光る。

 先ほどの光より増して紅く見えるのは、街灯のせいだろうか。


「このハイボール何パー?」


 那月が明るくアルコール度数を訊いてきた。

 宣言通り、今しがたの会話からは気持ちを切り替えたらしい。

 普段の俺なら要領を得ない会話から勝手に切り替えられてもと思うかもしれないが、幸い少し酒も回っている。

 缶を確認して見ると、アルコール度数は9%と表記されていた。


「9パーだな。三杯くらいがほろ酔い気分になれて丁度いいな」

「うんうん、分かる。ほろ酔い3%とかだと、あんまり酔えないんだよね」


 アルコールの許容量などは個人差が顕著に表れるものだが、俺は人並みよりは強いと自負している。

 那月も十中八九そうだろう。

 なので俺もこのまま四杯目へと突入したいところなのだが、後ろ髪を引かれる思いがあった。

 彩華との温泉旅行では、自分のアルコールの許容量を見誤って爆睡してしまっている。

 暫く酒は控えようと思っていたのに、もう飲み会に参加してしまっているが、せめて量くらいはセーブしておかないと、あの時の自分はただの間抜けだ。


「どう、四杯目いく?」

「いやー、うーん。まだ三杯目残ってるし、今のところ大丈夫かな」


 俺が断ると、那月は「ちぇー」と唇を尖らせた。

 見たところ、既に那月の缶は空になっている。


「アルハラ禁止。このサークルでも適用されてるだろ」

「そりゃ、彩ちゃんからは人にアルハラしないようにきつーく、きつーーく言われてるけどさぁ。でも悠太だし、もうちょっと飲めることは知ってるし」

「はいはい、じゃあ止めようねー」


 俺はチビチビとハイボールを飲む。

 少し物足りない気もするが、これはこれで中々美味しいものだ。


「先輩、ぐいっとぐいっと!」

「だからアルハラ──」


 言いかけて、口に含んだハイボールを吹き出した。


「ぎにゃあ!?」


 俺のことを先輩という奴なんて、この大学には一人しかいない。

 目の前には、小悪魔な後輩が転がっていた。


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