第55話 もうすぐ春休みも終わる

 長い長い春休みが、もうすぐ終わる。

 大学の春休みは、差異はあれど大体二ヶ月ほど設けられるのが一般的だ。

 四月から、俺は大学三年。

 次の春休みは、就職活動。

 その次は──就職までの準備期間。

 何も考えずに遊べる春休みは、これで終わり。


『何も考えずにって、あんたねえ』


 電話口で、彩華が呆れた声色で言った。


『ちょっとは考えておきなさいよ。いきなりスイッチ入れて物事に取り組むのも、結構キツいと思うわよ』

「周りが変われば俺も変われる気がするって言ったらどうする?」

『その根拠のない自信をへし折るために寺へブチ込むわ』

「どんな更生のさせ方だよ!?」


 とはいえ、彩華の言うことは至極真っ当な意見だ。

 二十歳を越えた時点で。いや、もっと以前に、本当は考えておかなければいけない。

 就職先や──将来、自分のやりたいことについて。

 そんなこと、頭の中では分かっている。


「ヒモになりたい」


 ……分かっているはずの頭から出た答えがコレだ。

 彩華が息を吐く様子が、電話越しから伝わってくる。


『ヒモねえ。まあいいんじゃないかしら』

「ほんとに思ってんのか?」

『思ってるわよ。あんたがヒモになれるとは思わないけど』


 彩華の言葉に、少し対抗心がくすぐられた。

 俺も本気でヒモになろうと思ったことはないが、この際なれない理由とやらを聞いてやろうじゃないか。


「その心は?」

『色々あるけど、言っていいの?』

「やめとくやっぱ言わないで」

『顔』

「言わないでって言ったじゃん!?」


 俺はベッドに倒れこみながら嘆いた。

 そんな現実知りたくなかった。


『冗談よ。前にも言ったけど、私あんたの顔結構好きよ。タイプってわけじゃないけど』

「ああ、そりゃどうも……」


 前というのは、去年のクリスマスシーズンでのことか。

 志乃原と知り合った当日に、言われたような気がしないでもない。

 本気で彩華がそう思っているかどうかは分からないが。

 電話をスピーカー対応にしてから、俺はカップ焼きそばを食べるために、ヤカンにお湯を入れる。


『これ、お湯を沸かす音?』

「正解ー。一人暮らしの悲しい食生活です」

『それ、続けてたらいつか身体壊すわよ』


 彩華も電話先でコンロを着火したのか、パチパチという音が聞こえてくる。


「そういや俺お前の手料理食べたこと殆どないなあ」

『いつだったか忘れたけど、お弁当分けてあげたことあったじゃない』

「だから殆どって言っただろ。家で作ってもらったことはないし」

『なによ、あんたがこの前いらないって言ったのに』


 ……そういえば試験が終わった日の電話で、俺は彩華が家事をしに来てくれそうな雰囲気になっていたのに自ら断っていた。

 ただその理由も、彩華が志乃原と鉢合わせるのがまずいことだと思ったからだ。

 今日は志乃原が家に来る予定もない。


『まあ、今日は私予定あるけど』

「あんのかい!」

『期待させちゃったわね。ごめんごめん」

「別にしてねーっつの」


 俺が口を尖らせると、彩華はおかしそうに笑った。

 電話先でも俺の表情が見えているかのようなタイミングだ。

 沸騰したお湯をカップに入れていると、彩華がまた質問してきた。


『あんたって、卒業まで残り単位ある?』

「四十弱くらいだな」


 前期で上手くいけば、後期で楽をしていても卒業単位を満たすことができる。

 彩華のおかげで、割りと良いペースだ。


『私は、あと二十とかなのよね』

「へえ、じゃあ前期の内に終わるじゃん」

『そうね。まあ、卒業単位取り終わっても講義には行くけど』


 その言葉を聞いて、安心する自分がいた。

 同じ学年、同じ学部。

 基本的に一緒に講義を受けていたこともあり、彩華のいない大学生活は想像し難い。

 大学生活といっても、高校のそれと違い、平日朝から夕方までずっと通い続ける人は稀だ。

 彩華のように早めに卒業する為の単位を取り終えれば、殆ど大学へ来なくなる学生も少なくない。

 自由な選択を与えられているのが大学の良さではあるのだが、友達と顔を合わす頻度が減るのは少なからず寂しい。

 それが彩華とのような関係性であるなら、尚更のこと。


『ねえ』

「ん」

『安心した?』

「…………まあ」

『あはは、分かりやすっ』

「うっせ」


 とはいえ、悔しいが彩華の言う通りだ。

 俺にとって、高校時代からずっと変わらない、大きな存在。

 そんな彩華との生活もあと二年。就活期間を除けば、二年を切っているといってもいい。

 就職したら、彩華とも恐らく離れることになる。

 同じ高校から同じ大学に進学するのは、珍しい話でもない。

 だが就職先を合わせるというのは現実的ではないし、彩華もそんなことをする性格ではない。

 俺と彩華ほどの関係性においても、いずれ終わりは来るのだ。


『以前も言った気がするけど』

「なにを」

『大人になっても、よろしくね』


 今の彩華がどんな表情をしているのか、俺には分かる気がした。


「そうだな。仕事の愚痴でも聞いてやるよ」

『あんたに聞かせる愚痴かー、ないなー」

「おいおい、俺はお前の愚痴を聞いてやるスペシャリストだぞ。赤べこみたいに頷いときゃ勝手に満足するって知ってるからな」

『いつもそんな感じで聞いてたの!?』


 バイトやストレス発散の類である愚痴は、そんな心持ちで聞いていた。

 まあ彩華も、いざ真剣に聞かれると話しにくいだろうし。

 そう自分に言い聞かせて、本当に聞き流してしまっている時があるのは否定できない。


『ほんとあんたって私の扱い雑よねー』

「お互いにな。楽だしいいじゃん」

『まーね。じゃ、私ご飯食べてくる』

「お、いてら。俺もカップ麺食べるわ」


 徐々に麺が伸びてきている頃合いだ。

 俺は蓋の上に置いているお箸を取り、電話を切ろうとスマホを持つ。


『あ、そうだ。一つ訊き忘れてた』

「ん?」

『春休み、どうだった?』


 長かった春休みが終わろうとしている中での、この質問。

 この春休みは、色んなことがあった。

 飲み会やパーティ、旅行の他にも色々だ。

 持て余した時間も沢山あり、後々「今あの無為に過ごした時間があれば」と後悔することもあるかもしれない。

 だが、これだけは言える。


「うん、すげー楽しかった」

『あはは、私も。また大学でね!』


 そう言って、彩華の電話が切れる。


「何の確認だったんだよ」


 呟く口元が緩んでいるのを自覚する。

 明日から再開する大学生活が、楽しみだ。



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大幅加筆修正でパワーアップした第2巻は、5月1日発売です!

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