第54話 体育館の赤い華

 バスケサークル『start』の活動場所である体育館の中は、いつもより人が少なかった。

 春休みで活発になるサークルもあれば、閑散とするサークルもある。

 残念ながら『start』は後者らしい。


「お、きたな」


 藤堂だ。

 俺に気付いて、駆け寄ってくる。

 既にアップはあらかた完了したらしく、額には汗が浮かんでいる。


「あれ、あの子は?」


 藤堂はわざとらしく入口の方に視線を投げて訊いてきた。

 十中八九、志乃原のことだろう。


「今着替えてる」

「さすが、何でもご存知のようで」

「そんなんじゃねえっつの」


 志乃原は俺に付いてくるや「マネージャーしまーす」と言って、更衣室へと入っていった。

 何度か連れて来ていたこともあり、もうすっかり慣れたご様子だ。


「今日人少ねえなあ」


 俺が言うと、藤堂はボールをゴールへ放ってから口を開いた。


「もう春休みも終わるし、旅行に行く人が多いんだろうな」

「俺みたいに家でぐーたらしてる説もあるけどな」

「微妙なところだな。てか、ライン返ってこないと思ったらあれか。お前また冬眠してたのか」


 藤堂は口角を上げて訊いてくる。

 俺は長期休み中、ラインを急に返さなくなることがあった。

 特に理由はなく、面倒になる時があるのだ。

 外界との関係を一定期間遮断して、リフレッシュ。

 そんな俺の独りよがりの行動を藤堂は許容してくれていて、この距離感はとても居心地がいい。


「悪いな」

「ははっ。最初はこいつって思ってたけど、もー慣れたから気にすんな」

「俺SNS向いてねえんだよなあ」

「その割にはたまにストーリーも投稿してるじゃん」

「そう、たまーに投稿したくなるんだよ。何なんだろなこの現象」


 そして、一旦投稿すればラインに溜まっていた通知を一斉に消化しなければいけない。

 ストーリー投稿するなら返信しろよ!という気持ちを躱すための対策だ。

 まあ、恐らくあまり効果はないが。


「外界と遮断されすぎたアレルギー反応みたいなものかな。でも、彩華さんと旅行に行った時は何も投稿してなかったみたいだし、偉いぞ」


 藤堂の言葉に、リングから跳ね返ったボールを思わず取り零した。

 指に鈍い痛みが走ったが、それどころではない。


「えっ何で分かった?」


 彩華が俺と旅行に行ったことを投稿したのかと一瞬考えたが、恐らく違う。

 そして藤堂が肩を揺らして笑う姿を見て、俺は察した。


「くっそ、カマかけたなお前」

「言わないから安心しろよ。気付いてるの多分俺だけだし」


 藤堂はそう言って、荷物を置いている方へ歩いていく。

 俺もボールを端に投げて付いていくと、スマホの画面を見せられた。

 彩華の投稿だ。


『Ayaka : 久しぶりに浴衣着たけど、テンション上がっちゃった。楽しかった〜』


 写真には、折り畳まれた女性用の浴衣しか載っていない。

 温泉旅館のことも明かしている訳ではないし、男の影も感じさせない当たり障りのない内容だ。


「ここ見ろよ」

「ん?」


 指差された場所を確認すると、浴衣の袖の部分に小さなキーホルダーが落ちているのが見える。

 俺の家の鍵に付いているキーホルダーだ。

 何らかの拍子に紛れ込んだのだろう。


「これ、お前のだろ」

「げっまじじゃん」


 確かに、これなら藤堂には察しが付くかもしれない。

 彩華のSNSをフォローしていて、かつ俺の鍵に付いているキーホルダーを覚えている人間なんて藤堂くらいしかいない。


「良かったな、俺がゴシップ大好きな口軽男じゃなくて」

「確かに、不幸中の幸い。誰にも言ってないだろうな?」

「当たり前だろ。言ったら勿体ないからな」

「へ?どう意味だよ」


 俺がキョトンとすると、藤堂はアッシュグレーの髪をガシガシと掻きながら口を開く。


「せっかく飯を奢ってもらえる口実を見つけたんだ、有効活用したいだろ?」


 藤堂は悪戯っぽく笑って、腰を上げた。


「んじゃ、俺シューティング戻るわ」

「いい性格してるわ──って、いでで」


 指から鈍い痛みが駆け上がり、俺は思わず顔を顰める。

 見下ろすと、指は若干腫れ上がっていた。

 恐らく先ほどボールを取り零した時だろう。


「……やば、俺のせい?」

「……飯チャラでいい?」


 俺の提案に、藤堂は渋々頷く。

 こうして突き指と引き換えに、俺の財布は守られた。


 ◇◆


「失礼しまーす」


 控え室に入ると、何人かの女子が振り向いた。

 誰でも入室できる部屋のはずだが、何故か男子が一人もいない。

 女性専用車両に間違えて乗ってしまった時のような気まずさが俺を襲う。

 すると「あれっ先輩!」という声が上がり、そこから赤いジャージ姿となった志乃原がぴょこんと跳ねた。

 後ろでくくった髪を揺らしながら駆け寄ってきて、俺を部屋の外へ誘導してくれる。


「待てなかったんですか?」

「え? 何を」

「え、私を」


 一瞬何を言っているのか本気で分からなかったが、ようやくいつものからかいだと理解する。


「待てなかったぁー」

「清々しいほどの棒読みですねありがとうございました! で、ほんとはどうしたんですか」


 志乃原は首を傾げて訊いてきた。


「指ケガした」

「えっ早くないです? まだ体育館に入って十分とかなんですけど」

「ケガとは突然降りかかるものなのである」

「なんでドヤ顔してるんですか……じゃあ先輩、こっち」


 志乃原はそう言って俺の手を引く。

 勿論ケガのしていない方の手だが、あまりにも自然に手を繋がれたので驚いてしまう。


「行動がイケメンなんですけど」

「ドキドキしてくれてもいいんですよっ」

「突き指が痛い」

「つ、突き指に負けた……まあいいです。じゃ、ここに座っててください」


 自動販売機の前にあるベンチスペースに腰を下ろすと、志乃原はまた控え室の方へ駆けていく。

 そしてすぐに戻ってきた志乃原の腕には、救急セットが抱えられていた。

 控え室に行った目的が救急セットを取ることだったので、素直にありがたい。


「ありがと、よく救急セットのある場所分かったな」


 そう言って俺が救急セットの箱を開けようとすると、志乃原に遮られた。


「何やってるんですか、先輩は大人しくしててください」

「へ?」

「テーピングくらいできますから」


 そう言って志乃原は救急セットからテープを取り出して、俺の前で膝をついた。

 そして俺の指に優しく触れたかと思うと、器用にテープを巻いてくれる。


「体育館に入る前に治療することになるとは、さすがに予想外です」

「お、おう。悪いな」


 ……そういえば、志乃原もバスケ部だったな。


「はいっ終わりっ」


 ペシリと手の甲を叩かれて、思考から引き戻される。


「ありがとな」

「いえいえ。今日、この後どうします?」


 志乃原は膝をついたまま、上目遣いで訊いてくる。

 いつもの俺なら、サークルが始まる前に突き指をしようものなら速攻で帰宅しているとこだが。


「せっかくテーピングしてくれたもんな」


 そう言って、俺は腰を上げた。


「はい、また先輩のプレー見せてください!」

「だからハードル上げんなって」


 嬉しそうに笑う志乃原に、俺もまた口角を上げて応えた。

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