第53話 小悪魔とタピオカ
温泉旅行から帰ってきてから、二週間が経った。
あの日の夜は意義のある時間で、彩華との距離に変化が生じてもおかしくないものだった。
何せ、二人で一つ屋根の下で夜をふかしたのだ。
無論、ベッドはかなり離れていたのだが。
それなのに「いびきうっさい!」と注意される俺は、一体どれだけ騒音を出していたのだろう。
「なあ」
「はい?」
呼びかけると、小悪魔がベッドから上体を起こす。
俺のベッドは、すっかり志乃原に占拠されていた。
いつものことだと慣れてきている自分が少し怖い。
「俺っていびきうるさい?」
一緒に過ごすうちに昼寝をしてしまうことがたまにあったので、質問する。
だが志乃原は首を横に振った。
「普通だと思いますよ?」
志乃原は小さく欠伸をして、また横になった。
今日の志乃原はいつもより軽装で、肌の見える部分が多い。
三月も中旬に差し掛かり、そろそろまた春が訪れる。
ファッションはいつも季節感を感じさせてくれて、冬のそれとは全く違う系統となっていた。
「俺も衣替えすっかなー」
「じゃあ買い物に行きましょう!」
再度勢いよく上体を起こした志乃原の表情は輝いていた。
この二週間幾度となく志乃原は自宅へ訪問してきたが、まだ二人で一度も外へ出ていないのが起因しているのだろう。
「それはそれで面倒だな」
「えー! もー! 家出たいー!」
志乃原はベッドで手足をばたつかせて抗議する。
「檻に閉じ込められた動物かよ」
「ひっど!? だってもー、先輩ぜんっぜん外に出ないじゃないですか! 出たとしてもコンビニ! よくそれで生きていけますね!」
「予定が無かったらこんなもんだって」
まあ自分でも、もうすぐ終わる春休みをこのまま過ごすのは勿体ないという気持ちはある。
ただ、来年の春休みは就活だ。
毎日就活に勤しむわけではないだろうが、それでも情報交換をする飲み会だったりと家で過ごす時間は確実に減る。
ダラダラ過ごせる最後の春休みだと考えると、こうした時間もありかなと思ったのだ。
「けどまあ、確かに二週間は長すぎたな」
俺はそう言って、腰を上げる。
鍵を指でクルクルと回すと、志乃原がそれに呼応するように、アウターを片手に玄関へと向かう。
「買い物、買い物!」
「犬かよ……」
「わんわん!」
「待て」
尻尾があったらブンブンと振っていそうな志乃原に待てをして、カバンを肩に掛ける。
外へ出ると、暖かな陽射しが迎えてくれた。
◇◆
「いやー先輩、外ですね」
「外だなあ」
ショッピングモールの屋上で、買い物袋をぶら下げながら、片手にはタピオカ。
屋上はオープンテラスのカフェとなっているのだが、期間限定メニューでタピオカも用意されていた。
そのおかげか、屋上は若者が殆どを占めている。
「幸せだー」
「家の中が不幸みたいに言うなよ、天国だろあそこも」
俺は手頃なベンチを見つけると、腰を下ろす。
正面のガラス張りの柵越しに、屋上からの景色が展望できた。
八階程度の屋上でも、意外と綺麗な景色を楽める。
「何言ってんですか、私が天国にしてるんですよ」
「私がいる場所が天国ですとか、そういうオチか」
「違います。私が家事をやってるから、先輩の家が居心地の良いものに保たれているということです」
「いつも本当にありがとうございます!」
「むふふ、タピオカご馳走してくれたのでオールオッケーですよ」
志乃原は指で丸を作り、頬に当てる。
その仕草にウインクも付いて、そこらへんの男ならこれだけでコロッと落ちてしまうだろう。
彩華に鍛えられていなければ、俺も今頃屍になっていたかもしれない。
「ベビタッピっ」
志乃原はそんな掛け声とともに、タピオカ容器に太めのストローを挿し込む。
「なんだそれ」
「こうやって言いながらストローを挿すのが流行りらしいです。よく分かんないですけど、何処かのタピオカ店から拡散されたらしいですよ」
そういえば、SNSでもそんなハッシュタグを見かけた気がする。
狙っていたのかは不明だが、流行りとなるくらいだから相当上手い営業といってもいい。
そんなことを考えながら、俺はいつもより太いタピオカ用のストローを無言で容器に挿し、ズルズルと啜る。
ストローの中からタピオカがビュンビュンと口内に入ってきて、飲むというより食べるという感覚だ。
「タピオカってさ、タピオカよりこの液体の方が美味しいよな」
「えー、タピオカ自体もそこそこいけますって。もー先輩ったら、食わず嫌いは良くない!」
「今食べてるから言ってるんですけどね?」
見れば、志乃原の容器に入っているタピオカと俺のそれでは種類が違う。
俺の視線に気付いたのか、志乃原は口に運びかけていたタピオカを差し出してきた。
「どうです?」
「いや、いい」
「えっ今絶対交換する流れだったじゃないですか」
種類が違うだけで交換する流れになるのが、一般的なのだろう。
だがしかし、俺は自分のものを最後まで一人で飲み切りたい派なのである。
「視界に入っただけだって」
「じゃあ私は先輩の飲みますから、先輩のやつ貸してください」
「駄目」
「なんで!?」
志乃原は地団駄を踏んで、不満を表す。
「いいじゃないですかー! 飲みたい飲みたい」
頬を膨らませる志乃原は、次第にただ頼むだけでは交換できないことを悟ったのか、ベンチに座り直して息を吐いた。
「先輩」
「うん」
志乃原はタピオカを頬に当てて舌を出した。
「春休みが終わったら毎日家に押しかけますよ?」
「分かったよ交換すればいいんだろ」
「これが有効打になるなんて屈辱です……」
肩を落とす志乃原と、仕方なくタピオカを交換する。
講義やサークル、ゼミ活動も始まるというのに、毎日押し掛けられては一人の時間が無くなってしまう。
志乃原と一緒にいる時間はなんだかんだと楽しいのだが、それとこれとは話が別なのだ。
「んっ美味し!」
志乃原は目を輝かせてタピオカを眺める。
俺のタピオカは、志乃原のそれより少し色が濃い。
俺も志乃原のストローに口を付けると、先程よりも甘味な風味が口内に広がった。
「美味いなこれ」
自分のタピオカより甘味はあるのだが、明らかにこちらの方が好みに合う。
「このまま交換します?」
「え、まじで。いいのか、俺のやつの方が量減ってるだろ」
先程まであれだけ渋っていたのに恥じらいもなく訊くと、志乃原は気にした様子もなく、軽く笑いながら答えた。
「いいですよそんなの。先輩にはそっちの方が好みに合ってると思ったんです」
「え、そこまでお見通しかよ」
「いつも誰が先輩にカフェオレ作ってると思ってるんですか」
そう言って志乃原は俺の腹を摘み、口角を上げた。
「運動はしっかりしましょうね?」
温泉旅行以来、運動しなかっただけで筋肉は大分落ちてしまっている。
いつの間にか健康面も志乃原に管理されていることに慄きながら、俺はまたバスケサークルへ行くことを決意した。
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