第51話 美濃彩華〜過去⑥親友〜

 騒動から翌日の夕方。

 俺は学校から一日の謹慎の処分を下され、自宅のベッドでうつ伏せになっていた。

 一部の先生からは停学の方がいいんじゃないかという声も上がったようだが、体育の先生がその声を抑えたらしい。

 担任からは「授業中じゃなかったらバレなかったのにな」というありがたい言葉も貰った。

 周りから見れば、いきなり俺が榊下に掴みかかったように思えただろう。

 事実先に手を出したのは俺なので、謹慎という処分にも納得している。


「停学じゃなかっただけマシね。しかも、たった一日だなんて」


 美濃がコーヒーを俺の枕元に置いた。


「……あざす」

「いいえ。謹慎のお詫びよ」

「それにしては安いな」

「文句言わないの」


 美濃はクスリと笑って、学習机の椅子に腰を下ろした。

 謹慎処分はたった一日。

 病気に罹ったわけでもないのに、放課後美濃が自宅を訪ねてきた理由は、想像できる。


「……ねえ、羽瀬川」

「ごめんな」

「え?」

「殴っても、何も変わんないのにさ」


 美濃は、俺が何故榊下と喧嘩したのかは知らないはずだ。理由はあの場にいた男子も知らない。

 榊下は周りから質問責めに遭っている時「色々あった」としか答えなかった。

 そればかりか、「俺が煽ったから」と先生に自ら言いに行ったようで、俺の処分が軽いのはどうやらその影響もあるらしい。

 榊下ならあの状況の責任を全て俺に押し付けることもできただろうにそうしなかったのは、最後の良心がまだ残っていたのかもしれない。

 だから、美濃は俺と榊下が殴り合いをしたという事実を後から聞かされただけだ。

 それでも大方の察しが付いたからこそ、俺の家を訪ねてきたのだろう。

 美濃の声は、既に謝罪の色を帯びていた。

 だが、美濃に謝らせてはならない。

 美濃は何も悪いことをしてないのだから、謝罪をする道理はないのだ。


「……優しいのね」

「違うよ」

「じゃあなに?」

「意地」

「なにそれ、変なの」


 美濃は眉を八の字にして、困ったように笑う。

 初めて見る表情だった。


「じゃあ、ありがと」

「それならいいな。素直に受け取れる」

「お礼も受け取れない捻くれ者に育てた覚えはないからね」

「母さんかお前は」

「あはは」


 久しぶりの、二人の会話。

 謹慎中にする会話じゃないな、とまたおかしくなってしまう。


「すぐ笑わせないでよね、相変わらずなんだから」

「お前の琴線に当てるの上手いからな、俺」

「はいはい、たまたまでしょ。別に誇ることじゃないわ」


 美濃はそう言って、自分の鞄から缶ジュースを取り出す。

 喉を潤す美濃を暫く眺めてから、俺はベッドから起き上がった。


「なあ、美濃」

「ん?」

「謝るのは、俺の方だろ。優しいのは、お前だろ」


 ──そうだ。


 俺は短期間とはいえ、美濃から離れた。

 近しい人が離れる度に、美濃がどんな表情をしていたか俺は知っていたはずなのに。

 榊下を殴ったのだって、自分勝手な衝動に身を任せた結果だ。

 殴ったところで事態が解決するわけでもない。

 それなのに、美濃はいつも通りに接してくれるどころか、自分から謝ろうとした。

 俺に気を遣わせない為に。


「お前、榊下とラインしてたんだってな」

「え?」

「ラインだよ。毎日してるって、榊下言ってたぞ」


 本当に二人の仲が修復した結果のラインなら、俺も祝福できる。

 榊下は、今は元通りだと思っているかもしれない。

 だが恐らく美濃は、そう思っていない。


「……そうね。してるわよ、今も」

「それ、俺のためか?」


 自惚れだったら、俺が恥ずかしい思いをするだけだ。

 だが、もし本当に俺のためだったら。

 俺は美濃に、返しきれない程の借りができてしまう。

 だが美濃は何度か瞬きをした後、「違うわ」と言った。


「私のためよ。お察しの通り、榊下としてるラインの内容は本心ではないけれど」

「……じゃあ、結果的に俺は救われていたわけか」


 美濃と最後まで近しい距離にいた俺は、恐らく榊下から妬みを買っていたことだろう。

 あの体育の時間に聞いた榊下の声色が物語っている。

 それなのに、何故俺はずっと榊下のグループにずっといることができたのか。

 謹慎となって学校に登校できなくなった今日、昼間中ずっと考えていた。

 喧嘩をしている最中の榊下の形相は、憎む相手を見るものだった。勿論喧嘩なのだから、表情が歪むのは当然だ。

 だが俺には、以前から溜まっていたものが溢れ出したような表情に思えてならなかった。

 そんな状況下で俺は、ずっと榊下の隣にいた。

 排斥されずに済んでいたのだ。俺を除け者にすることなど、榊下にとったら造作もないことだろうに。

 そこで出た結論が、榊下が美濃と再び良い関係を築けている中俺を除け者にすれば、またその関係が壊れてしまうことを恐れたからというものだ。

 考え方、やり方まで歪んでいた榊下だが、美濃への気持ちは本物だった。

 そうであるならば、再構築してきた美濃との関係を保ちたいと思うのは必然。

 俺は美濃という存在に護られていたのだ。


「……私、反省してるの」

「何を?」

「これが私、これが私って、意地張って。結果的に自分も、そしてあんたも苦しめてた」


 美濃は俯き、息を吐く。

 そして次に顔を上げた時には、美濃の瞳には決意の光が輝いていた。


「だから、私は変わる。何をどう変えるかなんて、正直まだ、全然分からないけど──あんたに迷惑かけるなら、私は"私"を捨てるわ」


 榊下に愛想の良いラインをしているのは、その一環ということか。


 ──やっぱり俺の為じゃないか。


 美濃は、自分を捨てると言った。

 以前は、美濃に今の在り方を損なってほしくないと思っていた。

 俺では叶わない、誰に対しても態度を変えない、真っ直ぐな意見を伝えるという在り方を、美濃にこれからずっと保ってほしいと、勝手な願いさえ抱いていた。

 だがこの帰結は、美濃彩華自身の出した答えに他ならない。

 自分一人で考え抜き、自分一人でこれから変わると結論付けた。

 周りから見て、これからの美濃彩華がどう変わっていくのかは、まだ分からない。

 だが、これからの美濃彩華がどう変わっていこうとも。

 ──俺は美濃の決断の理由を知っている。

 その過程は、笑ってしまう程に美濃らしいものだった。

 これからどう変わろうとも、基盤は変わっていないのだ。

 "美濃彩華"は、何一つ変わらない。

 芯は、確かに存在している。

 どこまでも美濃らしい在り方が、俺には依然として輝いて見えた。


「でも、それでまた失敗して、仮に同じような状況になったら、今度こそ私のことは放っておいていいからね。言ったでしょ、自分を優先することは自然なことだって」


 美濃の在り方は変わらない。

 そうであるならば、俺の取る行動はもう決まっていた。


「自分より優先できる存在が、友達だろ」


 今度はもう、失敗しない。

 同じ環境に身を置く限り、俺は、俺だけは美濃に寄り添う。

 美濃は俺の言葉を聞いて、また惚けた様な表情を浮かべる。

 俺が言った意味を、考えている。


「分かりやすく言うとな」


 一度息を吸い、次の言葉が美濃の心に伝わるように、力強い口調で言い放つ。


「同じ状況になったら、次こそ放っておかない。完璧に助ける。友達だからな」


 美濃は目を見開いた。


「友達って、そういうものなの?」

「そうだろ」

「じゃあ、あんたは皆んなが同じ状況になったら、皆んな助ける?」

「……ぶっちゃけ、それは無理」

「私だからってこと?」

「そうだな」

「どうして?」

「もっと、仲良くなりたいからかな。ただの友達よりも、一歩深い関係」


 友達という垣根を越えた先の景色を、一緒に見てみたいと思うこと。

 関係を深める為の切符なんて、きっとその想いだけで充分だ。


「……そう、ね。それって、親友ってやつ?」

「かもな。名称なんて、何でもいいけど」

 

 別に、誰かに「私たちは親友です」と触れ回るわけでもない。

 親友なんてものは恋人と違い、傍からだと見分けもつきにくい関係なのだ。

 だからこそ、友達以上というのが本人同士の共通認識にあるならば、それでいい。

 美濃はちょっと黙ってから、笑った。

 その表情は、とても清々しいものだった。


「……それもそうね。それじゃあ、よろしく。またトラブルあったら、遠慮なく巻き込むから」

「いや、その宣言はちょっと怖えよ」

「なによ。もう友達以上なんでしょ、私たち」


 そう言うと美濃は椅子から勢いよく降りて、鞄を乱暴に肩に掛けた。


「じゃ、私行くわ。また明日ね」

「おう。またな、美濃」


 俺が言うと、美濃はドアノブにかけていた手を一旦下ろした。


「……彩華でいいわ」

「へ?」

「二人の時は、"彩華"でいい。高校にいる間、みんなの前では苗字呼びでいてほしいけど」


 振り返った美濃の頬は、若干赤みを帯びていた。


「まあ、やっぱどっちでもいいわ。……じゃーね。漫画ばっか読んでたら駄目よ。あと、今日授業分の勉強は、しっかりとしておくように!」

「母さんか!」


 俺がつっこむと、美濃は笑いながら出て行った。


「……次に会ったら、呼ぶか」


 少し緊張してしまうかもしれないが。

 名前呼びに慣れてくる頃には、俺たちはどういう関係になっているのだろう。

 少なくとも今の関係とは、違うものになっているはずだ。

 二人の未来に想いを馳せ、俺はベッドへダイブした。

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