第46話 美濃彩華〜過去①春の日の教室〜

 ──そいつは、物憂げな表情で窓から身を乗り出していた。


 高校二年。

 2-C、放課後の教室。

 誰もいないはずの赤みがかかった教室に、一人佇む後ろ姿が揺れている。

 視線の先に何があるのかは分からないが、俺はつい声を掛けていた。


「どこ見てんの?」


 小さく肩が震えて、そいつは振り返る。

 鋭い視線に俺は思わずその場に立ち止まった。


「なに?」


 たった二文字のその言葉に、これ以上近寄ってほしくないという意思を感じ取る。

 俺は肩をすくめて、傍の机に腰を下ろした。


「高一からクラス一緒の仲だろ。そんな邪険にすんなよ」

「……一緒の仲って、クラス替えした次の日に言われてもね。高一の時も、そんなに沢山喋った覚えないし」


 近寄ってこない俺を見てか、それとも顔を思い出してのことか、警戒心を多少解いた様子でそいつは再び窓の外を眺め出した。

 ──美濃彩華。

 この高校で美女ナンバーワンの呼び声が高い女子生徒。

 実際こうして目の当たりにすると、後ろ姿だけで近寄りがたい雰囲気がある。


「連続でクラス一緒になったら、その時点で多少仲良くなるのが普通かと思ってたわ」


 俺は一言だけそう言うと、鞄から最近親に購入してもらってばかりのスマホを取り出す。

 基本的に学校内での使用は禁止されていたが、放課後なら先生の目も届かない。


「……何かこの教室に用でもあるの?」


 できれば早く出て行ってほしいと言わんばかりの声色に、俺は思わず笑いそうになった。

 美濃彩華は、確かに美人と評判で、人気も高い。

 だが同様に、少し性格がきついということでも有名だった。


「今日日直なんだよ。最後に教室の鍵締めるの、俺なの。美濃さんが出て行かなきゃ、俺もこっから出られない」


 半分本当で、半分嘘。

 日直で教室の戸締りを任されているのは本当だが、別に他人に任せてしまっても咎められることはない。

 だから俺はここにいる美濃彩華に鍵を渡してしまえば、滞りなく部活へ戻ることはできるのだ。

 それをしなかったのは、評判の美濃彩華と話をしてみたかったから。

 こいつの周りにはいつも人がいたから、こうして二人きりの時間があるのはこの高校生活で初めてのことだった。


「そう。迷惑掛けちゃうわね」

「出て行く気はないんだな」


 軽く笑って、俺は机を二つ並べて横になった。

 美濃彩華は、そんな様子を目を細めて見つめてくる。


「心配しなくても、友達の机だよ」

「……ならまだマシね」

 

 俺は返事をせず、買いたてのスマホに新しいアプリをどんどんインストールしていく。

 美濃彩華もそんな俺に対しての興味はすっかり失せたようで、窓淵に肘を乗せた。


 ──美濃彩華は、口が悪い。


 そんな噂が流れてきたのは、一体いつ頃のことだっただろう。とんでもなく美人な一年がいるという噂が出てきてから、数ヶ月後のことだったかもしれない。

 確かにこうして実際に話してみると、口から出る言葉は容姿端麗な人から出るものとしては少々ギャップがある。

 だが決して不快な部類ではない。最初から素で話しているであろうことが分かるから、こちらとしても余計な気を遣わなくてもいいと思えるからだ。

 この噂の出所は分からないが、美人というだけでそんな噂が立ってしまうのだから、美人も得ばかりではないのだなと感じた。


「美濃さんって口悪いの?」


 俺の馬鹿正直な質問に、美濃彩華は振り向きもせずに答える。


「そんなの、自分で決めたら?」

「……ごもっとも」


 その一言で、俺は美濃彩華に関する噂の一切を忘れることにした。

 自分で見たもの、感じたものが全て。

 そう思わないと、目の前にいる美濃彩華と話す機会はもう訪れないだろうと直感したのだ。

 それから数十分、俺と美濃彩華は殆ど無言で放課後の時間を共に過ごした。

 バスケ部の練習時間はとっくに過ぎていたが、今日は外練の日。

 罪悪感どころか、キツい走り込みが主となる外練をサボる口実ができて良かったとさえ思いながら、俺はパズルゲームに勤しんだ。


「羽瀬川君だっけ」

「ん?」


 唐突な苗字呼びに、俺は身体を起こした。

 美濃彩華はカーテンを閉めながらこちらを見据え、やがて口を開く。


「私、今日告白されたの」

「へえ。まあ、珍しい話でもないんだろ?」


 美濃彩華が最近モテ期に入っていることは、学内でも有名だった。高一の最終日なんて、それまで仲良くしていた男友達三人同時に告白されたらしい。

 それをまた同時に振ったというエピソードが、始業式の合間に面白おかしく生徒の間で語られていた。

 そのエピソードに纏わる噂は、真偽はどうあれ多々あるようだった。


「……茶化したりしないんだ」

「いや、なんで茶化すんだよ。そんな仲でもないんだろ、俺たち」

「やーね、根に持たないで。二年連続クラス一緒の仲でしょ、私たち」

「どの口が言ってんだ!」


 俺が声を張ってつっこむと、美濃彩華は少し間をおいてクスリと笑った。


「うん、いいね。羽瀬川君の、その感じ」


 カーテンの隙間から溢れる夕陽が、美濃彩華の背後で爛々と光る。

 俺の肩をトンッと叩いて、美濃彩華は言った。


「これから、よろしくね」


 それは恐らく何処にでも溢れる、普通の挨拶。

 関係を深めるにあたって役立つ、ありふれた言葉。

 だからこそ如実に感じることがあった。


 ──哀しい声だ。


 何があったのかは知らない。

 まともに話した機会が少ないことから、訊くこともできない。

 それでも美濃彩華が教室から出て行くのを見届けながら、俺は思った。

 学内の人気や評判などは関係なく、純粋に思う。

 美濃彩華のことを、もっと知りたいと。

 一人の人間を知りたいと思う動機に、明確な理由は必要ない。

 必要なのは、当人がどう感じているかということ一つのみ。

 俺はその時、美濃彩華に興味が湧いた。

 これは、ただそれだけの話。

 窓の外から聞こえるバスケ部の掛け声に急かされて、俺も教室の外へ出た。



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