第43話 温泉旅行③

 辺りから下駄の鳴らすカランコロンという音が聞こえてくる。

 石畳の道で奏でられる下駄の音には、若者の俺でさえ日本文化を感じざるを得ない。

 画像や動画を見るだけでは、こうして肌で情緒を感じることはできなかった。

 周りを見渡すと、大通りで多くの客を集める店が目立つ。だが路地裏には営業しているかさえ判断が難しい料亭も構えられていて、足を運ぶ毎に違う景観が視界に入ってきた。

 先ほどの高級旅館と同じく、この温泉街は雰囲気が抜群と言える。

 温泉街へ出てから数十分すると、彩華は店頭に並べられている昔ながらのお面を眺めながら、口を開いた。


「ほんとに好きな雰囲気だわ。若い人はいるけど、みんなマナーも悪くないし」

「同意。それな」


 スマホを棒に固定して振り回している学生が存在しないのも嬉しい要素の一つであることは否めない。

 若者御用達のスポットならば話は別だが、こうした温泉街には余りに不釣り合いだからだ。


「とはいえ、気持ちは分かるけど。SNSに上げたら、絶対反応くるって分かるもんね」


 先程旅館で俺が抱いたのと同じ感想を彩華が言って、思わず苦笑いした。

 ところどころ感性が似ているのは、志乃原に限らず彩華も同じことだ。そもそも、共通の感性が何一つない人と仲良くできる気がしない。


「あんたはどう、写真撮りたい?」


 彩華はセーターの腕をまくり上げながら訊いてきた。

 空気は冷えていても、季節は三月。太陽が昇れば暖かい。


「同じこと、旅館で俺も思ってたけどな。踏みとどまった」

「そうなんだ。別に客室内なら良いと思うけど」

「うーん。なんか見せびらかしてるみたいで嫌じゃね?」


 俺が言うと、彩華は軽く笑った。


「私だったら、友達がそういう場所に行ってるところを見ると擬似的に楽しんだ気分にもなるけどね」

「見る人が全員そういう考え方だったら、俺も軽い気持ちでシェアできるんだけどな」


 なにぶん普段から頻繁に写真を投稿をしている訳ではないので、考えすぎてしまうのだ。

 志乃原みたく日常的に投稿をしていると、きっと今日のような温泉街の写真も、受け手側は素直な捉え方をしてくれるだろう。

 だが俺のように普段投稿をしていない人がこういう時にだけ投稿すると、色々思われたりするのではないか。

 そんな考えを口に出すと、彩華は今度こそ本格的に笑い出した。


「あっはは、考えすぎ! こういう時は自分を客観視できないところ、あんたらしいわね」

「うっせ、ほっとけ」


 その言葉が「私は不貞腐れています」と主張しているようで、ますます恥ずかしくなる。

 どこがツボに入ったのかは全くの謎だが、彩華は小さく笑い続ける。

 やっと笑いがおさまると、彩華は俺の二の腕をパシリと叩いた。


「気軽にしていいのよ、大丈夫。なんなら旅館で私が写った写真でも投稿してみよ?」

「アホか、それこそ軽く炎上するわ」


 彩華はもはや大学の学部内では軽い有名人と言っても差し支えのないほどの知名度を抱えている。そんな彩華と旅館で二人きりだと思わせるような投稿は、さすがに顰蹙を買うことになるだろう。

 俺ではなく、彩華がである。

 付き合っているのなら何の問題もないのだが、そうでないのだから彩華の品格も下がってしまうことになる。

 等身大の彩華を知っている俺からすれば違和感はあるが、学内の彩華はせんとうりょうで通っているのだ。

 彩華なりに努力して作り上げたであろうこのイメージを、俺が崩してしまうわけにはいかない。


「何言ってんの、あんたは別にノーダメージでしょ。被害があるのは私」

「だから駄目なんだろうが」


 思わず飛び出た本音に、彩華は目をパチクリとさせた。

 目が合うと、彩華はコホンと咳をする。


「変なところで真面目に考えるわね、あんた。……またキーケースみたいな小物が欲しいのかしら」

「ほ、欲しい!」

「こういう時は断りなさいよ……」


 彩華は呆れ顔で息を吐く。

 「そんなつもりで言ったんじゃない」などの答えが欲しかったのだろうか。

 つい出てしまった馬鹿正直な言葉を、俺は悔いた。

 仕方ないではないか。

 志乃原の誕生日プレゼントを一緒に買いに行った日、礼奈と再会したショッピングモールにて。

 あの時貰ったキーケースは、すっかりお気に入りになってしまっていたのだから。


 ◇◆◇◆


 肌寒い風を感じるようになったのが日没の合図となった。

 空模様は薄暗く、そして控えめな暖色で地上を照らす。

 そんな段々と夜に染まっていく温泉街を練り歩きながら、俺は周りからの視線を感じていた。

 理由は明確。浴衣姿になった彩華だ。

 白色の浴衣に青紫色の羽織を重ねた姿は、知人の俺でさえ驚いてしまうほど似合っている。

 束ねた髪にはかんざしを刺し、露わになったうなじからはあでやかな雰囲気が漂っていた。


「やっぱ着替えて良かったわね。温泉街を浴衣で歩くのって、こんなに気分上がるんだ」


 当の彩華は周りの視線を全く気にした様子もなく、上機嫌に下駄を鳴らした。


「あんたも似合ってるわよ」


 彩華はこちらを覗き込むようにして言ってくる。

 俺は「どうも」とだけ返し、目を逸らす。今の彩華はどうも刺激が強い。

 浴衣で温泉街を歩きたいと言い出したのは彩華だった。

 周りに溢れる浴衣姿の人達に触発されたのだろう。

 浴衣など持参していなかった俺たちだが、基本的にこういう場所では旅館が浴衣を貸し付けてくれている。

 浴衣に着替えるためにわざわざ戻るのは億劫だったが、彩華に引きずられる勢いで手を引かれたのだから仕方ない。

 気乗りせずにスタンダードな紺色の浴衣を無難に選んだのだが、いざ再び温泉街へ出向くと彩華の気持ちも分かってしまった。

 服装を変えるだけで、この温泉街に溶け込んだような気分になれるのだ。

 下駄を履く機会も早々ないことなので、彩華に引きずられて良かったと内心思う。


「照れない照れない。ほんとに似合ってるし、結構いいチョイスじゃない」

「めちゃめちゃ普通の色だろ、これ。……お前も浴衣と、そのかんざし。良いと思うぞ」

「あっはは、ありがと。なんかあんたに褒められるとこそばゆいわ」


 普段は粗雑に思えなくもない笑い方も、浴衣姿という色眼鏡もあって妙に胸が高鳴ってしまう。

 このままでは調子が狂うと思った俺は、土産屋に足を運んだ。


「なんか買うの? それとも、買ってくれるの?」

「買うし、お前にも買ってやる」


 手に取ったのは、先程目にした昔ながらのお面だ。狐面の色違いを二つ買うと、片方を彩華へ渡した。


「なにこれ」

「お面」

「いや、見たら分かるけど。なんで?」

「ドキドキするから」

「はい?」


 何を言っているのか分からないという表情を見せる彩華を放って、俺は自分の狐面を付けた。


「ほら、連れがお面付けてるんだ。お前も付けないと」


 隣に歩いている人が狐面姿だと、素のままの人は恐らく恥ずかしい気持ちになる。一緒に狐面を付けた方がマシのはずだ。


「分かったわよ、仕方ないわね……」


 戸惑いながらも、彩華は渋々狐面を付けた。桃色の狐面は、薄紫色の羽織によく映える。

 狐面姿のまま店を出ると、今まで感じていた視線が少なくなったように思えた。

 周りにもお面姿の人はちらほら見受けられるし、珍しい存在ではなくなったのだろう。

 彩華からすれば不本意かもしれないが、俺にとっては周りにも彩華にも気を使う必要がなくなる、まさに一石二鳥の妙手だ。


「お面、ちょっと息苦しいけど久しぶりでテンション上がるわね。子供の時みたいに走れないのが残念だわ」


 思いのほかご満悦のようだ。

 彩華は狐面姿のまま、お土産を別の店へ物色しに行った。

 これは一石三鳥だったかもしれない。


「……くるし」


 俺は、その息苦しさに耐えられず一旦狐面を外してしまった。

 お面を付けようと言い出したのは俺だというのに、なんとも情けない話である。


「ん?」


 ふと周りの人の視線が一点に集まっている気がして、俺もその先を見た。

 だがいまいち確認することができなかったので、少し歩いて近付いてみる。

 するとそこに答えがあった。

 皆んなの視線の先には、赤い浴衣を着た女子がいる。

 抜群の可愛さと、浴衣によって醸し出される若干の色香。

 道行く人が振り返るのも無理はない。

 だが、そんなことよりも問題だったのは。


「──あれ、先輩?」


 その女子が、小悪魔な後輩だったということだ。

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