第38話 彩華との計画

 志乃原から『いいね!』の通知が届いたのは、電話が終わってから数時間後のこと。

 俺はやっとの思いでベッドから抜け出し、大学内のコンビニで買い物をしていた。

 欠伸を噛み殺しながら、レジ付近にあるフライヤーメニューを眺める。

 大学敷地内にあるコンビニの特徴は、客層の殆どを大学生、教授が占めるということだ。

 その大学生も殆どが自分と同じ大学に所属しているので、知らない人との間にも目に見えない若干の仲間意識が存在する。

 見たことない顔でも、恐らくは同じ大学の仲間。

 その推測が、学生の気を多少大きくさせていることは間違いない。


「あ、先に行ってください〜私友達待つんで」


 知らない女子が、レジへの列を譲ってくれた。

 これが外ならば丁寧に感謝すべきところだが、此処は学内。

 俺は「お、あざす」と短く礼を言う。

 女子はお礼に対して特に反応を示すことなく自分のグループへ戻っていった。

 女子グループはお菓子が陳列されているスペースでキャッキャと騒いでいるが、なにぶん大半を学生で占めるコンビニ内はいつもうるさいので、特に気にならない。

 俺は店員さんに「チキチキ二つください」と注文し、後列の邪魔にならないように端へけた。

 改めて周りを見渡すと、春休み期間だというのに人が多い。

 昼時で人が集まりやすい時間だということもあるのだろう。

 そんな密集した学生の群れの中から、滑るようにこちらに向かってくる人影を見つけた。

 見覚えのあるグレーのコートを羽織っている、彩華だ。


「よう。よくここが分かったな」

「五号館の二階って言われたら、まあここかなって。今度からちゃんと今いる所を正確に伝えなさいよね、ざっくりしすぎなのよ。人も多いし」

「外で待ってくれてもよかったんだぞ、コンビニ集合とは言ってないんだから」

「なによそれ、せっかく来てあげたのに」


 彩華は少し不服そうな表情を見せる。

 俺はそれを無視して店員さんからチキチキを二つ受け取ると、片方を彩華に渡した。


「わお、そういうことね。ありがと」


 期間限定で発売されているフライヤーメニューのチキチキを受け取ると、彩華は一気に上機嫌な顔になる。

 コンビニの外へ出ると、二階ロビーが迎えてくれる。

 ふかふかの椅子やオシャレなベンチなどが数多く揃えられている五号館の二階ロビーだが、俺は立ち寄ることなく足を進めた。


「行くぞ」

「えー、ゆっくりこれ食べてからにしましょうよ」

「そんなもん歩きながらでいいだろ、人少ないからぶつからないだろうし」

「やだ、座る」


 彩華は俺から離れて、テーブルを挟んで二つの椅子があるスペースへと移動していく。

 仕方なく付いて行くと、彩華は満足そうにチキチキに口を付けた。


「んー、美味しい。身体に悪いものって美味しいわ〜」

「……それに関しては同感だけどな。お前、今日の予定忘れたわけじゃないだろ」


 春休み中に大学を訪れることは、俺にとってあまりないことだ。サークル活動のない日なんて、特に行く用事がない。

 それにも関わらず今日大学へ訪れたのは、昨日彩華からこんな話を貰っていたからだ。


『旅行の件、覚えてる? バレンタインパーティ前に話してたやつ。大学の生協通すと料金安くなるから、一緒に生協へ行きましょう!』


 ここでいう生協とは、大学生活協同組合の略。

 要は学生の生活を充実させる為に何かと動いてくれる有難い組織だ。

 もちろん組合員にならなければその恩恵は受けられないが、大抵の学生は入学時に加入している。

 今日は大学校舎内にある生協窓口で、旅行の費用を安くしようという予定なのだ。


「分かってるわよ。ツアーとかもあるみたいだし、ゆっくり選びたいわね」

「旅行っていっても一泊だろ? そんなスケジュール詰め込む必要あるのか」


 一泊の温泉旅行なら、温泉旅館でゆっくりとしていたいというのが正直なところだ。疲れ果てて旅館へ到着して、せっかくの良い旅館をロクに楽しむことなく眠りについてしまうという事態は避けたい。


「私も温泉街ぶらぶらと歩くだけで満足だけどね。それでも温泉街より優先して行きたいって思えるツアーに巡り会えたら、素敵じゃない?」

「まあ、温泉街より魅力的なツアーがあればな」

「でしょ。だから見るだけ見てみましょ」


 彩華はチキチキが入っていた紙をクシャリと潰して立ち上がった。俺も残っていたチキチキを一口で食べて、階段を登っていく彩華へ付いていく。

 彩華はエレベーターのある場所を通り過ぎて、階段を登り始めた。

 生協の窓口は五階にあり、普段ならエレベーターを使いたいところだ。あえて階段を利用しているのは、少しでもチキチキで摂取したカロリーを消費したいという女心だろうか。

 殴られそうなので口には出さないが。


「あんたと旅行いくのなんて初めてだしさ。楽しい旅にしたいじゃない?」


 階段の上から彩華が声を掛けてくる。


「そういや初めてか。二人で行く機会とか早々無いもんな」

「お互い、行こうなんて話もしなかったしね」


 そりゃそうだ。

 高校の時なんて当たり前、大学に入学した後も旅行なんて話は出たことがなかった。

 いくら付き合いが長くても、いくら密度の高い時間を過ごしても。

 彩華と旅行へ一緒に行くという発想が俺の中で無かったのだから仕方ない。

 それは恐らく、彩華も同じだったはずだ。


「今回だって私が旅館の割引券貰えてなかったら誘ってないしね。割引券に感謝しなさいよ」

「そうだな。その旅館、普通に泊まったら一泊五万弱だし。一端の学生じゃ中々手を伸ばせない値段なんだから、そこは素直に感謝しとくよ」


 一体どういう経緯で手に入れた割引券かは知らないが、少なくとも簡単に貰える物でないことは確かだ。

 それこそ、大手デパートの抽選会で大当たりを引くレベルのことがなければ。

 そんな物を譲って貰ったというのが本当なら、一体どんな奴なんだろう。

 これが彩華でなければ、男に貢がせているのかと疑うレベルだ。


「ほんと、お前って大学に入ってから益々交友関係広がってるよな」


 彩華は高校の時から友達が多かったし、他学年までに名前が知られているくらい知名度も高かった。

 大学が高校と比べ母体が増えた分、知人の桁が増えているかもしれない。

 そんな誰とでも気さくに話せる力を持っているのに、旅行相手に俺を選ぶ意味。

 本当に俺でいいのだろうか。


「今、つまんないこと考えてた?」


 彩華が立ち止まって、こちらを見下ろしていた。


「……ああ、すげぇつまんないこと考えてたよ」


 ──別にいいか。

 結果として、俺は彩華と旅行に行くことに決めている。

 今まで存在しなかった選択肢が急に浮かび上がってきたから、少し戸惑ってしまっただけだ。

 人との関係を常に一定の距離感で保っていくことは不可能だ。大小あれど、微々たるものも含めれば、関係は毎日変動していく。

 その変動が目に見えないからこそ、楽しくもあり、恐ろしくもあるのだ。

 ずっと自分のことを好きだと思っていた彼女から、ある日突然別れを告げられる。訊けば、もう数カ月前から恋愛感情は冷めてしまっていた──

 そんな体験談を耳にしたこともあるくらい、人間関係は水物だ。

 だから、当人の取るべき行動は限られている。

 そして俺と彩華との関係。

 俺が取るべき行動は、いつも一緒だ。

 信じること。ただ、それだけ。


「なあ、彩華」

「ん?」


 それはそうと、思ったことがあった。

 今、改めて感じたことだ。


「……お前、下から見てもすげー美人なのな」

「い、いきなりなによ!?」


 彩華は手摺から手を滑らせる勢いで驚いていた。

 それを横目に、俺は彩華を追い抜かす。


「ちょ、待ちなさい!」


 五階まで駆け抜けると、さすがに少し息が上がる。

 彩華も後ろで呼吸を荒くしている。


「……もう、いきなり走んないでよ」


 彩華は頬を紅潮させて、そう言った。

 膝に手をついている彩華は、俺を見上げると微笑する。

 紅く染まった頬は、きっと階段を駆け上がったからに違いない。

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