第36話 サンタからのプレゼント

 バレンタインパーティが行われているフロアへ戻ると、先程まで閉鎖的な空間に居たせいか随分と落ち着いた。

 会場の喧騒が俺の思考を止めてくれる。

 スタッフに再入場の手続きを取ってもらい会場に入ると、彩華が元坂と話をしているのが視界に入った。

 傍から見ると、二人の話は盛り上がっている。だが彩華は俺の姿を認めると、すぐさま会話を切り上げて戻ってきた。


「いいのか?」

「なにが」


 彩華は不機嫌に訊き返す。


「いや、元坂と話してたみたいだったし」


 元坂がつまらなさそうにこちらを一瞥して、やがて別の女子へと声を掛けに行く姿を捉える。


「いいのよ、どうせ休憩時間もすぐ終わってバラバラになるもの。それよりも、あんた」


 ずいっと近寄り、彩華は俺の額を軽く小突いた。


「上の空。大丈夫?」

「だ、大丈夫だよ。ありがとう」

「げぇ。なによお礼なんて」


 顔をしかめた彩華に、思わず苦笑いを浮かべる。


「何があったかなんて事細かに聞く権利は私にないけどさ。心配はしてたから」

「ああ、ごめん。散々止められたのにな」

「……本気でおかしいわよ、あんた。素直すぎ」


 普段の俺は一体どの様に思われているのだろうか。そう思った時、会場から休憩時間終了を知らせるアナウンスが鳴り響いた。

 チョコを貰えるかを懸けたマッチングの再開である。


「もっかい行くか、地獄に」

「そうは言いながらちょっと楽しんでたんじゃないの?」


 彩華はニヤリと笑って脇腹を小突く。

 そして俺が手に持つ袋に気付き、視線を落とした。


「あれ、なにそれ。会場から出る前には持ってなかったわよね?」

「……これか」


 中には礼奈から貰ったチョコが入っている。

 元カノからの贈り物にも関わらず、深く考えずに受け取ってしまったことを今更悔いた。

 黙っている俺から察したように、彩華は短く息を吐く。


「ま、いいけど」


 会場の照明がカラフルに点灯する。

 それに反応したように、会場のボルテージが再び上がっていく。


「今日は楽しみましょ」


 そう告げて、彩華は会場の喧騒への中へと戻っていった。


「……酒、飲むか」


 とてもじゃないが、今の状態で面識のない女性と話すことはできそうにない。

 俺はポケットに入っていたお札を握り、カウンターへと向かった。


 ◇◆


「あんた、飲みすぎよ」

「……うっへー」


 口に力が入らず、気の抜けた返事をしてしまう。

 パーティ後の帰り道、電信柱の傍。

 散歩中の犬が小便をひっかけていそうな場所で、俺はうずくまっていた。

 居酒屋気分で酒を次々と飲んでいると、いつのまにか頭がグラグラと振り子のように揺れている感覚に陥ったのだ。

 それも当然。

 カウンターで出されるカクテルのアルコール度数は、普段居酒屋で注文するカクテルより断然高い。バーなどに足を運んだことのある人なら誰でも知っている事実を失念し、浴びるほどカクテルを飲んでしまった。

 彩華が足元がおぼつかない俺に気付いた時には既に遅し。

 酔いが回りに回った後だった。


「止めても聞かないんだから。自業自得よ」

「止められた覚えはないぞ……うっ」


 吐き気を無理矢理飲み込みながら、やっとの思いで反論する。


「酔っていて覚えがないだけでしょ。あんまり恥かかせないでよね」

「……俺、粗相したか?」


 彩華の顔色を伺い、恐る恐る尋ねる。

 酒には強い自信があったが、こうも量を飲んでしまうと記憶も曖昧だ。

 それでも人様を不快にさせるような──そんな言動はしていないと信じたい。

 仮にしていたら、迷いなく禁酒する。

 彩華はじとっと目を細めたが、やがて首を振った。


「大丈夫よ。あんたを介抱しながらここまで歩くのが恥ずかしかっただけで、誰にも迷惑かけてない……と思うわ」

「なんで語尾が自信無さげなんだよ」

「パーティ後に私と一緒に過ごそうとしていた人達にとったら、迷惑極まりない話だと思ったからよ」

「……反省してる」


 彩華の今日の装備を鑑みれば、バレンタインパーティに相当気合を入れていたことは察せられる。

 出会いの場として提供されるパーティは、その場で開催されるイベントが目的ではない。イベント後にも続く繋がりを形成することが、第一の目的として存在するのである。

 そんな繋がりに大した思い入れもなく会場へ訪れた俺が断ち切ってしまったのは、彩華からすればとんだ疫病神に違いない。

 それでも彩華は優しい声色で呟いた。


「ばかね、冗談よ。あんたを介抱することより優先度が高いって思える人がいなかっただけ」

「……優しいな」

「貸し作ってるだけよ。ちゃんと返して貰うからね」


 彩華らしい言い分に笑いが込み上げる。

 だが込み上げてきたのは笑いだけではなかった。


「……吐きそう」

「ちょっと、我慢して! 鞄とか全部持ってあげるから、あと少し頑張って!」

「……らじゃー」


 フラフラと立ち上がると、彩華が荷物を全て引き受けてくれる。

 普段なら、ここから家までは五分とかからない。

 そんな距離を倍程度の時間をかけて、ようやく自宅であるアパートにたどり着いた。

 古びた階段が、踏み締める度に軋む。

 今夜は二人分ということもあり、いつもより嫌な音が立っている。

 もう一人か二人加わると、底が抜けてしまうのではないだろうか。


「あなたが重いですって言われてるみたいで、不快ねこの階段」

「軽いわけでもないだろ」

「ねえ、今のあんたならここから簡単に突き落とせるんだけど、それを承知で言ってる?」

「酒が言った。俺は言ってない」

「犯罪者の理論よそれ……」


 階段を昇りきると、彩華が荷物を渡してきた。


「ほら、貸し一つ。パンケーキで返しなさい」

「お安い御用です彩華さま」


 軽口に応えると、彩華は「今後酒には気を付けなさいよ」と残して階段を降りて行った。

 家の中に入ってくるかもと思っていたが、彩華は家の中に入ってきたことは片手で数える程しかない。

 玄関先でのやり取りなら何度かあるが、意外と踏み込んで来ないのだ。


 そんなことを考えながら鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。

 ドアを開けると、明るい電気が俺を迎えてきた。


「は!?」


 急いでドアを閉めると、廊下の先に見える部屋からひょこっと志乃原が出てきた。


「あ、おかえりなさい先輩」

「ただいま……じゃねえ! お前今日予定あったんじゃないの」

「予定終わったんで、帰ってきました!」

「ああ……眠くてつっこめない……」

「眠いんですねぇ。おつかれさまでーす」


 志乃原はくつろいだ様子で絨毯に寝転ぶ。


「あれ、先輩また酔ってます?」

「……もう吐く寸前」


 ベッドに倒れ込むと、体の上に重りを置かれたように動かなくなる。

 今日は色々な事があった。

 不慣れなパーティに参加したほか、礼奈との邂逅。

 そこに酔いも加わって、ここから当分動けそうにない。

 そんなピクリとも動かない俺に、近付く気配があった。

 死ぬ気で顔を向けると、志乃原がベッドに膝を立ててこちらを覗き込み、ついでにニヤニヤしている。


「先輩ー、今日は何の日でしょーか」

「……知らん」

「正解はバレンタイン! どうですか、先輩にとって良い一日になりましたか……ってなんですかこのチョコの箱。しっかり貰っててすごいムカつくんですけど」


 そんなことでムカつかれても、と言おうとしたが眠気で口を動かすことすら億劫で、俺は目を閉じた。


「それじゃ先輩、私帰るんで机にチョコ置いときますね」

「……おう」


 既にスリープ状態に入りそうな意識を必死に現実に繋ぎ止め、なんとか返事をする。

 志乃原が帰ったことを確認したらまずは寝よう。

 合鍵を持たせているはずなので、志乃原も気を遣って鍵をかけてくれるかもしれない。

 そんな淡い期待とともに毛布を手元に手繰り寄せると、勢いよく引っ剥がされた。

 確認すると、志乃原が頬を膨らませて仁王立ちしている。


「おう……じゃないですよ! いくらさりげなくチョコ渡したからといって、それなりに時間掛けて作ったチョコへの反応が二文字ってどういうことですか!」

「ううう。寝させてぇ……」

「はいはい、今何言ってもお酒のせいで覚えてなさそうですし! 明日改めてお詫びしてもらいますね! ばーか! 先輩ばーか!」


 言い終わると同時に、毛布が上から降ってくる。

 ぐるぐると回転する錯覚を生み出している頭でチョコが何を意味するのかを必死に考えて、俺はベッドから跳ね起きた。


「バレンタインチョコ!」

「きゅ、急にどうしたんですかそのテンション」


 志乃原が驚いたように後ずさりする。


「いや、ありがとう。まじで嬉しい。酒の勢いとかでなく、本気で嬉しいわ」


 ここまで率直にお礼を言っているのが酒の勢いである証拠かもしれないと思ったが、感謝の気持ちは変わらない。

 今朝志乃原からチョコを貰えなかった時点で、もう諦めていたのだ。

 その事実もあり、志乃原からのチョコは今日で一番嬉しいプレゼントだった。


「わ、わかればいいんですよ、はい」

「おう、まじでありがとう」


 力を込めて言うと、志乃原は目を逸らした。


「な、なんなんですか、もう。下げてから上げる天才ですか……」


 膨れていた頬はすっかりと収まり、心なしか紅潮しているようにも見える。

 気持ちが伝わって良かったと思い、寝転ぶ。すると今度こそ起き上がれないような気がした。


「ちゃんと毛布掛けてください、風邪引いちゃいますよ」


 外に晒されていた部分が、毛布で包まれる。

 ヒヤリと冷たかった毛布が、体温で心地の良い暖かさへと変わっていく。


「さんきゅー……」

「おやすみなさい、先輩」


 優しい声色に、もう返事をする体力は無かった。

 玄関の鍵が締まった音が聞こえてきて、俺は感謝しながら意識を手放した。

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