第33話 バレンタインパーティ④

「奇遇……だね」


 礼奈は小さめの声でそう言った。

 別れたのはたった数ヶ月前なのに、風貌も少し変わっていた。もっとも、ファッションの趣向が変わり出したのは別れる以前の話だが。


「奇遇か。そんな訳ないだろ」


 冷たく返事をすると、俺は那月に視線を移した。

 那月はバツの悪い顔で目を伏せている。

 礼奈が那月に呼ばれたことは殆ど確定と言っていい。元々俺をこのパーティを誘ったのも那月だった。

 二人を再会させるのは、そこまで手間がかからなかったに違いない。


「ほんとはね、パーティが終わってから会うつもりだったの」


 礼奈の弁解に、那月も頷く。俺は無言でカクテルを仰ぐと、礼奈は那月に「ちょっと二人にして」と頼んだ。

 那月は最後までこちらを見ずに、喧騒の中へと戻っていく。


「私が那月に頼んだの。責めないであげて」

「責めるもなにも……怒ってないよ、別に」


 怒るというより、パーティで少なからず高揚していた気持ちが萎んでしまったという表現が正しい。

 ただ詳細に自分の心境を説明してしまうのは憚られた。


「チョコ、凄いね。紙袋にたくさん」

「俺のじゃない。一緒に来た友達のもの」


 目を見張った礼奈を軽く遇らう。

 この袋は預かっただけなので、いずれ彩華は此処に戻ってくる。礼奈がどんな用で俺と会うつもりだったにしろ、この場で時間は取りたくない。


「今日はもうこれで。友達が戻ってくる」

「……パーティで知り合ったって言えばいいじゃないかな」

「それじゃ駄目なんだよ」


 普通の友達ならその文句で解決する。

 だが此処に来るであろう彩華は礼奈の顔を知っているばかりか、別れた経緯まで把握しているのだ。実際先月二人が顔を合わせた時、彩華は会話に割り込んでまで暗に礼奈を批判した。

 二人の邂逅は避けた方がいい。俺はそのことを説明しようと口を開く。

 だが時は少し遅かった。

 礼奈は俺の背後にちらりと視線を移すと、納得したように

「……あ、そういうこと」

 と言った。


「なに、人をお邪魔虫みたいに」


 彩華が俺の手から紙袋を取る。

 その表紙に中からチョコが一つ落ちたが、彩華は礼奈を見据えたままだ。


「あなた、礼奈さんだよね。こいつに何の用?」


 棘のある声色にも、礼奈は表情を崩さなかった。

 以前は逃げるようにその場を去っていたが、今日は違う。事情を知らない友達を連れていないからだろう。


「言わなきゃいけない?元カレに会うのってそんなに変かな」

「別に、それは人それぞれでしょ。ただあなたは違うよね」

「違うって?」

「浮気したんでしょ。あんた、された方の気持ち考えたの?それとも考えた上で此処にいるのかしら」


 礼奈は観察するような瞳を彩華に向ける。

 彩華はそれに触発されたようにまくし立てた。


「何考えてんの?もしかして浮気相手と上手くいかなくなったから今頃より戻そうとしてんの?……こいつは肝心なところでハッキリものを言えないところがあるから、私が言うけどね」


 彩華はちらりと俺を見て、再び礼奈に向き合った。


「もうこいつとは会わないで。迷惑」

「彩華、いいよもう」


 首を振ると、彩華はじろりと俺を睨んだ。


「止めるなら、もっとタイミングあったでしょ。止めなかったってことは、あんたもそう思ってたんじゃないの」

「そこまでは──」


 言いかけて口を閉ざした。

 何事も穏便にという思いが頭の片隅にあったものの、彩華の言葉は確かに俺の胸中を表したものだった。

 ハッキリと口に出す勇気が出なかっただけだ。

 そう考えると、彩華を止める必要はないのかもしれない。

 それでも彩華を止めたい気持ちが湧いてくるのは、此処で争うのが億劫なのか、俺の意気地が足りないのか、それとも礼奈に対して未だに特別な感情が燻っているのか。

 思わず固まってしまった思考をもう一度動かしたのは、礼奈の言葉だった。


「私、浮気なんてしてないから」


 電話先で告げられた言葉だ。

 彩華は怪訝な表情を浮かべた後、口角を上げた。


「おかしいわね。じゃあなんで別れ際、そのことを言わなかったの。こいつと別れる時の理由、浮気がバレたからだったんでしょ?」

「そのことを話すために、私は悠太くんに会いに来たの」


 礼奈の余裕な表情は崩れない。彩華は眉根を寄せた。


「こいつはそんな話望んじゃいないわ」

「なんで断言できるのか、よく分からないけど。私、悠太くんと二人で話したいの。誤解を解くために」


 誤解。決定的かに思えたあの現場に、何の誤解があるというのか。

 だが礼奈の強い口調は、俺の記憶を疑わせるような力があった。無論そのことを聞いても、浮気を否定する材料になるとも思えない。恐らく礼奈への確執がより強固になるだけだろうが、それでも俺の気持ちは揺れていた。

 数ヶ月前の別れ際、礼奈は何も言わなかった。淡々と別れを告げる俺の言葉に機械的に頷くだけ。俺はその際、何か礼奈の弁解、言葉を聞きたかったのだ。

 忘れかけていた想いが、礼奈の言葉によって再び燻り始める。礼奈に冷たく接するようにしていたのは、言葉を交わすとこんな胸中になることが頭の何処かで分かっていたからなのかもしれない。

 今になってそう思う。そう思わなければ、酷く自分が無様に見えるだろうことも分かっている。


「話は聞くよ」


 俺の言葉に、彩華は驚いたように振り返った。


「聞くだけだ。それであの事が変わるとは思えないけど、話があるなら聞いておきたい。あの件はもう記憶から消すつもりだったけど、浮気してないなんて言われたらどうしたって気になる」


 礼奈は黙って俺の話を聞いている。対して彩華は「甘い」と反論してきたが、俺は喋り続けた。


「自分の中で踏ん切りつけないと、それこそずっと記憶に残りそうで嫌なんだ。話全部聞いて、スッキリして忘れたいんだよ」

「一年付き合ってた彼女の記憶を完全に消すなんてできっこない。でもかつて抱いていた感情を忘れるのは、時間が解決してくれる。自分から辛い記憶に飛び込むことないじゃない」


 確かに、記憶をぶり返すだけかもしれない。だがそれはもう手遅れというものだ。

 こうして顔を合わせるだけで、様々な記憶が呼び覚まされる。短期間の内に忘れるには、一年という付き合いは長すぎた。

 一年以上付き合ったことのある彼女は、礼奈だけだったのだ。


「悠太くん。行こ」


 そう言って礼奈は俺の手を引いた。

 俺はそれを振り払うと、意識的に冷たく言い放った。


「勘違いすんな」


 礼奈に言うというよりは、彩華へのアピールも含まれていた。彩華の忠告を無視するのだから、せめていつも以上に礼奈と近付かないことを意識することが彼女への償いに思えたからだ。

 話を聞くだけだ、礼奈のためじゃない。そう続けようとしたが、礼奈の言葉がそれを遮った。


「勘違いしてるのは、そっちだから」


 礼奈はそう言って最後に彩華を一瞥すると、出口へと向かう。

 彩華の視線をうなじ辺りに感じながら、俺も後へ続いた。

 彩華は言葉を発しなかった。

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