第32話 バレンタインパーティ③
那月と離れた後、俺は曲がりなりにもパーティを楽しんでいた。ペアを組んだ人数が那月を合わせて四人になったところで、主催者の声が会場に響く。
「それではここで一旦休憩とさせていただきます。お手洗いなどは奥の出口を出た廊下、突き当たり右にございます──」
「えー、盛り上がってきてたのに」
俺と話していた女の子が不満げにボヤく。他愛もない世間話しかしていないが、この女の子が今までで一番話が盛り上がった気がする。
もっとも自分の勘違いである可能性もあるが、杞憂だったようで女の子は鞄から装飾された包みを取り出した。
「はいこれ、あげる」
「えっいいの?」
驚くと、女の子はおかしそうに笑った。耳元のイヤリングが揺れる。
「いいよー、楽しかったし。びっくりしてるってことは、私のチョコが初めてかな?」
「ああ、初めて初めて。皆んな別れ際まで楽しそうにしてくれるけど、そのままじゃあねーって感じだった」
「そうなんだ、うん、分かるかも皆んなの気持ち」
俺の掌に包みを渡すと、女の子はグッと身体を伸ばす。
「全然踏み込んだ話してこないもんね。楽しいけど、楽しいだけでその先に行く程じゃないんだろうな、皆んな」
「え、逆に他の男って踏み込んだ話してくるの?」
「してくるよ、世間話だけで終わるって私初めてだもん」
初対面の人には当たり障りのない話をするのが普通だと思っていたので、意外に思う。だがこうしたパーティでは、短時間で仲を深めるためにあえてそうした話題を振るのだろうかと納得もできた。
「私もあなたと多分同じタイプなんだ。初対面の人と踏み込んだ話するの、あんまり好きじゃなくて。だから心地いい時間でした」
「そ、そう。どうも」
気恥ずかしくなって落ち着かなくなる。
女の子は何か続きを待っている様子だったが、俺が何も言いそうに無いのを確認すると口元を緩めた。
「またどこかで会おうね」
「おう」
女の子は会場の喧騒の中へと戻っていく。
休憩時間が始まり、纏まりの無くなった会場で皆んなは気ままに過ごしている。
女の子が見えなくなったのを確認すると、俺も先程の女の子のように身を伸ばす。手にはチョコが収まっており、その存在がこの会場にいることを肯定してくれるように感じる。軽いが、確かにそこにある。
俺が改めて包装を眺めようとすると、後ろから声が掛かった。
「貰ったんだ、チョコ」
彩華は面白そうに包装を眺める。
紙袋の中身はいくらか減っていて、ペアになった人全員にチョコを渡したのだろうと推測できる。
「さっきの子に初めて貰った。めちゃ嬉しい」
「ふーん。でもさっきの様子見るに、もっと嬉しいことが起こるはずだったのにね」
心当たりがないので首を捻っていると、彩華は呆れたような表情を浮かべた。
「馬鹿ねあんた。さっきのは連絡先訊くところでしょ」
「え、なんで」
「話が盛り上がったからじゃないの? あんた達の会話見てたわけじゃないから理由は知らないけど、あの子がそういう言葉を待っていたのは分かったわ」
別れ際に少し間が空いたのはそれが理由だったのだろうか。惜しいことをしたと思い始めたが、終わったことなので仕方がない。
「こういうのは一期一会だからいいんだよ」と精一杯の見栄を張る。
彩華が見透かしたように笑った。
気恥ずかしさを誤魔化すために、「休憩時間って何分だっけ」と話を変える。
「十分って言ってたわ。ねえ、ちょっと廊下に出ない? ここは人が多いし」
そう提案しながら、彩華の足はもう出口に向かっている。
返事を聞く気もないのが彩華らしい。
仕方なく付いていくと廊下は二手に分かれており、トイレの無い方には人がほとんどいない。
壁にもたれかかると、思わず欠伸が出てしまう。
「あんたも疲れてるのね」
「いや、どうかな。多分眠いだけだよ」
「そう。あんたって意外と初対面の人と話すの上手いわよね、高校の時から思ってたけど」
「上手いっていうか……普通だろ。普通に話して、たまに盛り上がるくらいは。お前と比べたら、俺なんて下の下だよ」
そう言うと、彩華は表情を曇らせた。
「私、上手くないわよ」
「なんで。いつも盛り上がってんじゃん」
彩華がいる場所はいつも笑い声が絶えない印象がある。
俺も彩華に場を盛り上げてくれる人が初見のグループに混じってくれたら、きっと楽だろうなと思う。
だが彩華は首を振った。
「盛り上がってるかもしれないけど。あんたと喋る時みたいに、ざっくばらんに話せないのよね。恋人探すなら、最初から素を見せた方が楽に決まってるのに。そういう意味じゃ、最初から素丸出しで喋って関係築いていくあんたが羨ましいわ」
「俺だって初対面の人にはなるべく明るく接するようにしてるぞ。お前と話す時みたいに丸出しじゃねえよ」
「……そうかな。ま、隣の芝生は青いってやつね」
「そうだよ」
彩華の言葉に頷く。
世渡りに教科書は存在しない。勉強みたく単元ごとに分けて教えてくれたらいいのにと思ったこともあるが、教えてくれるのは学生には手の取りにくいエッセイばかりだ。
それでも彩華を見ていれば学べることがある。
処世術は人から吸収していけば効率も良いのかもしれない。
「早いけど、もう戻りましょうか。十分って意外に早いし」
「だな。ここに居ると司会の声も聞こえないし」
「私お手洗い行ってくるから、先に入場してて。あと、チョコ入った袋持って。落とさないでね」
紙袋を渡すと、彩華はトイレの方向へ歩いて行った。
会場に入ると、学生たちの話し声が迎えてくる。
薄暗い照明は心理的な効果も狙っているのだろうか。
バレンタインパーティが始まって一時間程度経ったが、予定ではあと二時間ある。
ペアを作ってチョコを貰う企画はあと一時間なので、最低限そこまでは参加するつもりだ。
照明が明るめの場所へと移動すると、そこはドリンクを受け取るカウンターだった。主催者が最初の挨拶で、入場券の端がドリンクのサービス券になっていると言っていたことを思い出す。
入場券をちぎってサービス券をスタッフに渡す。
「メニューはいかがいたしますか?」
「えーと、スクリュードライバー」
数少ない、名前を覚えているカクテルを注文する。
スクリュードライバーは確かウォッカをベースに、オレンジジュースで割ったカクテルだ。
ドライジンがベースならオレンジブロッサムと名前が変わるのだが、味の違いはまだよく分かっていない。
スクリュードライバー受け取ると、零れないように少し飲む。口当たりが良く飲みやすいのと裏腹にアルコール度数が高めなことから女性キラーという名前もあるらしい。
女子大生でそのことを知っている人はどれくらいいるのだろうかと思案しながら周りを見渡すと、既に酒を仰いでいる人もチラホラと見受けられた。
そんな中で元坂を見つける。ちょうどグラスを片手に女の子を口説いている最中のようだ。
女の子は「ライン交換しようよ!」という元坂のにこやかな誘いに満更でもなさそうに携帯を取り出していることから、初対面の相手にはあれくらい軽いノリでも良いのだろうと思う。
クリスマスの合コンのような態度をしない限り、元坂はよほど俺より人当たりが良さそうだ。貰っているチョコも俺より多い。
バレンタインパーティは俺が思っているより残酷なシステムなようだ。
男の荷物はコインロッカーに全て入れてしまうため、貰ったチョコが一目で分かってしまう。
休憩時間になっても仲良く話している人は、大抵複数のチョコを持っている。女性は本能的にモテる男性に寄ってしまうという説を聞いたことがあるが、この光景を目の当たりにすると首を縦に振りたい気分だ。
そんなことを考えていると、那月が視界に入った。
持っていたチョコは誰かに渡してしまったようで、手には何も持っていない。
那月は楽な体勢で、どこか見覚えの後ろ姿の女の子と話していた。
──いや、本当は見た瞬間に判った。
不意に視界に入ってきたその姿が信じられなかっただけで。
那月が俺に気付くと、女に何か話す。
女は俺に近付いてくると、戸惑いがちに笑みを浮かべた。
「──来てたんだ、悠太くん」
それは別れてから二度目になる、相坂礼奈との邂逅だった。
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