第30話 バレンタインパーティ①

 大学のテストが終了して、春休みに突入してから約二週間が経った。

 彩華に誘われた飲み会が終わってからは特に目立った予定もなく、週に二回バイトに行き、週に一回サークルに行ってバスケをする。それ以外は家でだらだらとした時間を過ごすという、俺の春休みはあまり充実したとは言えない期間となっている。

 だが今日はバレンタインデーだ。那月から誘われたバレンタインパーティに行くことを決めた俺は、彩華と夕方に駅前で待ち合わせの約束をしている。

 午後五時になったのでそろそろ支度を始めなければいけないのだが、目の前で漫画を読み耽っている志乃原が邪魔だ。

 志乃原は週に何度も俺の家へ訪問してくる。気まぐれで合鍵を渡したことにより、家に入ってくるのは止めようがない。

 だが志乃原が俺の生活に色を与えていることは事実で、俺もなんだかんだこの生活が気に入ってしまっている。春休みは始まったばかりだが、あと半年ほど続けばいいとさえ思っていた。


「んで、志乃原。そろそろ帰れよ。言ったろ、俺今日予定あるんだって」

「帰りますよ。でも待ってください、今いいところなんで」


 先日読ませた週刊少年誌をきっかけに、志乃原は俺の部屋に置いてある漫画の虜になってしまった。これまで少年誌はほとんど読んだことがなかったらしく、今読み耽ってしまう気持ちも分かる。

 志乃原を部屋から出すことを諦めて、俺は支度を始める。志乃原は俺が探し物をしているとベッドの上へ避難したりして、最低限の邪魔にならない配慮はしてくれた。

 支度が終わると、俺は志乃原に声を掛ける。


「ま、適当に切り上げて帰れよ。お前も今日予定あるんだろ」

「ありますよ。この巻読んだら私も買い物に行きますね」

「おう。じゃあ、戸締り頼んだぞ」

「はーい」


 玄関から出ると、俺は思わず息を吐いた。

 ──今日はバレンタインデーだ。

「バレンタインの日に家行きますね」と言われた時はチョコを貰える気でいたのだが、結局志乃原はチョコを渡すどころかそれを持ってきた様子すら見せなかった。

 志乃原から貰えなくて特別残念という気持ちは薄いものの、やはり気持ちが沈むことには変わりない。

 チョコの数で浮き沈みするこの気持ちばかりは、大学生になっても変わらないのだなと思う。

 パーティの誘いを即日で決めたのが良い証拠だ。バレンタインイベントがテーマにされていなければ、俺は恐らく断っていただろう。

 パーティに行けばあわよくばという情け無い気持ちが頭の片隅にあったのかもしれない。


 駅へ着くと約束の時間である午後五時半。

 忙しなく行き交う人混みの中、見慣れた後ろ姿を見付ける。


「彩華」


 呼び声に振り向いた彩華は、心なしかいつもより気合いの入ったメイクだ。服も黒をベースにした高級感の漂うコーデで、人混みの中で真っ先に見つけられた理由も分かる。

 彩華は俺を確認すると、ヒールをツカツカと鳴らして歩み寄ってきた。


「やっほ、久しぶり。会うのは飲み会以来ね」

「だな。実際そんな経ってる気はしないけど」


 彩華は春休みに会う機会こそ無かったものの、電話を何回かしたことであまり久しく感じない。

 だがいつもよりも綺麗な顔立ちが、俺を少し緊張させた。

 学生に人気のパーティだというからいつも通りの格好だが、もう少し気合を入れた服装でなければならなかったのかもしれない。

 俺が後悔していると、彩華がそこを突くように言い放った。


「あんた服フツーすぎ。それ講義受けに行く格好じゃん」

「い、いいじゃねえか別に。酒飲んで話すだけだろ」


 痛いところを突かれて顔を背ける俺に、彩華は呆れたような声を出す。


「あんたねぇ、那月から聞いてないの」

「何が?」

「何がって……バレンタインの企画よ。男女がランダムでペア組んでお喋りして、気に入られたらチョコ貰えるの。そのおかげで私大変だったんだから、沢山チョコ作るの」

「は!?」


 ──なんだその地獄のような企画は。

 初対面の女に気に入られないとチョコを貰えないなら貰えないままで結構だ。だが貰えないことに対してのダメージがあることに変わりはない。一つも貰えなかった暁には彩華に泣きつくことになるだろう。


「今から帰るのってなしだよな?」


 念のために確認すると、彩華は怒ったように紙袋をかざして見せた。


「なしに決まってんでしょ。わっざわざ今日のためにチョコ作ってきたんだから。ペアがいなきゃそもそも会場に入れないっての」

「そこはまあ、同じような境遇の男を見付けるだとか」

「嫌よ面倒くさい。安心しなさい、私はあんたにチョコあげるつもりだからゼロにはならないわ」


 その返事を聞いて少しだけ持ち直す。

 彩華とは長い付き合いだが、今までにチョコを貰ったことがない。例え貰えるものが義理のチョコであろうと、手作りであることには変わりない。

 ……それを慰めに、パーティに耐えるしかない。


「何よその顔。不満だっての、私のチョコが」


 彩華がムッとした表情で俺を見上げた。

 俺は慌てて手を振り否定する。


「いや、不満じゃない。それがなきゃ今すぐ逃走してたところだ」

「そう、ならいいけど。私こういう機会でもなければ基本的に人にチョコなんかあげないんだから」

「なんで?」

「昔の教訓。女同士の血みどろ戦争に巻き込まれたくなかったから。結局お高くとまってるって言われたみたいだけど」


 それは大学の話なのか中高生の時の話なのか分からなかったが、彩華も苦労してきたことは察せられた。

 顔立ちの整った女子がそういった抗争に巻き込まれやすいことは、男子もよく知っている。


「まあお前みたいなやつは何しても言われる時は言われるんだ。諦めろ」

「ちょっと、今の慰めるところよ? なに追い討ちかけてくれてんの」

「お前そういうことで俺から慰められんのやだろ。俺も慰めたくねえ」

「……まあ言われてみればそうかもしれないけど。そう、だから今日は気合い入れて何個もチョコ作ったの」


 彩華は「どうよ」と袋をかざした。

 だが中身を覗く前に、聞き捨てならない言葉が混ざっていた気がして首をかしげる。


「なんでチョコ何個も持ってきてんだよ。普通一個じゃねえの」

「あのねぇ、一人一個だけじゃあんたみたいな哀れな男が何人も出ちゃうでしょ。ちゃんと複数作ってきてくださいって明記されてたわよ」

「なるほど、皆んな多めに作ってきている訳か……大変だな、女子も」


 そういうことなら彩華のチョコも希少価値が落ちる。嬉しいことには変わりないが、やはり少し残念だ。

 そう思いながら彩華のぶら下げている紙袋に視線を落とすと、紙袋の中身には明らかに十個程度チョコが入っているように見えた。


「にしても作り過ぎだろ。何のためにこんな作るんだ」

「彼氏候補見付けるのよ、弾は多いに越したことはないから」

「そんなんだから元坂みたいな男が寄ってくるんだぞ」

「うっさいわね、下手な豆鉄砲もなんとやらよ」

「下手って自覚してんじゃねえか。……まぁお前なりに今日のために努力してきたのは分かったよ。仕方ないな」


 彩華の言うことを鑑みると、運営は男だけに酷い扱いをしているとは言えない。女子も面倒なチョコ作りを強いられているようだし、それならば俺も今日は頑張るしかないと腹をくくろう。

 そう思いかけたその時、彩華がいらない一言を付け加えた。


「その分女子は入場料金五百円だけどね」

「おい、俺確か四千三百円だぞ! ふざけんな!」

「出会い系紛いのパーティなんてどこもそんなもんでしょ。むしろ安いわよ、チョコ恵んで貰えるだけ感謝しなさい」

「行きたくねえ! せめて着替えさせて!」

「ちょ、喚くなうっさい!」


 後頭部をバシンと叩かれる。派手な音がしたが、そんな痛みよりこれから想像できる胸の痛みの方がよほど重大な問題だった。

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