第29話 サンタとの朝②

 外へ出ると、カラッと乾燥した冷気が俺を襲った。


「……さっむ」


 アウターは着込んでいるが、中は寝巻きだ。マフラーも持ってくればよかったと嘆息する。風が吹いていないのが幸いと言えるだろう。

 それに今の格好は些かダサい。早朝なのでこの格好でも問題ないだろうと踏んで出てきたのだが、外にはもうサラリーマンや高校生が普通に歩いている。

 この時間で早朝と感じる人間は学生だけかもしれないと思った。

 スマホを取り出すと、先程受け取れなかった電話の通知がきている。案の定発信主は彩華で、俺は掛け直した。

 ラインの通話機能は料金がかからないので、現代人は気軽に電話を掛けることができる。この生活に慣れてしまってはもう戻れないなと発信音を聴きながら考えていると、少し経ってから彩華が出た。


『おはよ!』


 朝からいつも通り張りのある声だ。


「おはよ。なんか用か? さっき出れなかった」

『今バイト先向かってる最中で暇だったからって理由と、昨日の返事聞こうと思って』

「絶対暇だっただけだろお前」

『そ、そんなことないわよ』


 彩華の返事を聞きながらポケットからイヤホンを取り出し、スマホに挿す。手が寒いのでフリーハンドで通話することにした。スマホをポケットに入れても、イヤホンに話しかけさえすれば通話が成立する機能は非常に便利だが、傍から見れば一人で話している人だ。たまに俺もギョッとしてしまう時があったが、最近では慣れた光景になってきている。


『聞いてた?』

「ごめ、イヤホン挿してた。何だって?」

『高校生はこれからテストシーズンだから、今から教室長と一緒に教材作るのよ』

「へえ、バイトって塾の方か。てっきりファミレスの方かと思った」


 彩華はバイトを二つ掛け持ちしている。一つ目は塾講師、二つ目はファミレスだ。ファミレスのバイトは居酒屋のそれと違って、バイト仲間との飲み会が無いから出費が嵩まないと言って気に入っている様子だった。

 塾講師の方も上手くいっているらしい。


『あんたも来る? 給料出るように教室長に掛け合ってあげるけど』

「いや、行かねえよ。今日は一日休み」

『今日はって、最近ずっとじゃない。今のバイトそんなにシフト入れてくれないとこでしょ』

「以前の塾講よりましだよ」


 俺もかつて、彩華とは違うところだが塾講師をしていたことがある。だが授業以外の時間は時給に含まれない挙句、シフトも唐突に削られるおかげで月に入ってくる給与は並以下。当たり外れがあるのは塾でも同じだった。


「次なんのバイトしようかなあ」

『何よ、今のバイト辞めるの?』

「考えてる」

『うちのファミレスくる?』


 逡巡したが、首を振った。


「いやファミレスはいいや。また良さげなバイトあったら紹介してくれよ。それじゃあな、今からバイト頑張って」

『了解、じゃあ……って待て! 旅行の返事!』


 返事はまた今度でいいかと勝手に結論付けていたのだが、そうはいかなかったらしい。


「決め兼ねてるんだよなあ」

『え、私と二人嫌? なら友達も誘ってみるけど』

「嫌ってわけじゃねえよ。どうせ行くなら二人がいい、友達の友達は気遣う」

『そう、分かったわ。まあ急かしておいてなんだけど行くとしたら三月だから、今じゃなくても大丈夫よ』


 急がなくても大丈夫なのに電話かけてきたのかと思ったが、口には出さないでおく。彩華の気まぐれには慣れたものだし、その気まぐれも自分にしか出さないと思えば大抵のことは許せた。


「そうだ、彩華。バレンタインにパーティあるらしいんだけど、一緒に行こうぜ」


 電話をしたついでに誘ってみる。パーティの条件である男女二人という項目を満たすには、彩華を誘うことが最適に思えた。彩華のことだから予定が入っている可能性もあるが、駄目ならば別の人を探すまでだ。


『なに唐突ね。分かったわ、空けておくわね』

「……随分あっさりだな。予定とかなかったのか?」

『野暮なこと聞かないでよ、私が分かったって言ったんだから』


 その返事から予定があったんだなと察する。何の予定を断るのかは分からないが、先約に申し訳ない。

 ただいくら彩華でも人付き合いの上で重要になるような予定を断ることはないので、幾分か気は楽だ。


『それじゃ、もうすぐ着くから。またね』

「おう。バイト頑張れよ」


 電話を切り時間を確認すると、もうすぐ家から出て十分。志乃原は二十分で朝ご飯が出来ると言っていたし、コンビニで雑誌を買わなければならないことを考えればギリギリの時間だ。

 俺は小走りで家の近くにあるコンビニへ向かった。


 ◇◆


 帰宅すると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。部屋に入るとソファに買ってきた雑誌を置き、大きく欠伸をした。


「おかえりなさい、丁度できましたよ」

「ぴったりじゃん、よかった。雑誌ソファに置いといたから」


 俺が指差すと、志乃原はキッチンから背伸びをして俺越しに雑誌を確認した。


「先輩なんの雑誌買ったんですか?」

「週刊少年誌。毎週読んでるんだ」

「ああ、女子でも読んでる人いますよね。後で私にも読ませてください」


 そう言いながら志乃原は両手に皿を乗せて持ってくる。

 俺はテーブルの上にあった物を全て床に落としてスペースを空けた。


「先輩、そうやって何でもかんでも放るからすぐ散らかるんですよ」

「だってこれが一番楽だし。いいじゃん、俺の部屋だし」

「私が何回掃除してると思ってるんですか、もう」


 志乃原は頬を膨らませる。最近掃除した覚えがないと思ったが、そういえば大抵の掃除は志乃原に任せ切りだった。


「分かったよ、後でするから。ひとまず食べようぜ」

「いつもしないじゃないですかー。まぁ食べますけど」


 大皿にはハムエッグとホットサンドが置いてあり、小皿二つにはそれぞれ卵焼きとサラダが入っている。

 卵が無くなると言ったのはそういう訳かと納得した。

 側にはカフェオレと牛乳が置かれている。


「先輩はカフェオレですよ。好きでしたよね」

「めっちゃ好き。気が効くな」

「そりゃもう、私って出来る女ですから」


 志乃原は恥じる様子もなく言った。実際出来るので何も言えない。

 反応する代わりに俺は手を合わせた。


「いただきます」

「はい、いただきます」


 挨拶をして、ホットサンドに手に取る。パンの内側にバターが塗られ、ハムとチーズが挟まっている篠原が作るホットサンドは俺の好物だ。

 口に入れて頬張り、用意されていたカフェオレを飲むと朝から贅沢な気分になった。志乃原に朝ご飯を作ってもらうのは初めてのことだったが、これならばまた志乃原を泊めることも考えなければならない。


「美味い朝ご飯食べると朝から頑張る気になる!」

「じゃあ掃除頑張りましょうね」

「……おう」


 返事を濁らせると、志乃原は苦笑いした。


「手伝いますから」

「分かった。頑張る」


 卵焼きを食べているとますます活力が漲ってきた気がしたので、俺は了承した。志乃原が通うようになってから俺の家は健康的になっていっている。


「なあ志乃原、また機会あったら朝ご飯作ってくれよ」


 俺が頼むと志乃原は少し俺の顔を覗いてから返事をした。


「いいですよ。朝ご飯は手間もかかりませんし」

「まじで? やった、健康的で文化的な生活ゲット」

「健康で文化的なですよ。しっかりしてください」

「細かいな、いいんだよそんなこと」


 誤魔化すようにカフェオレを飲む。

 カフェオレのインスタントは買い置きしていなかったので、冷蔵庫にあった牛乳とコーヒーを混ぜ合わせたのだろう。仄かな甘みを感じることから砂糖も入っている。

 これらをたった十分で作るには相当手際が良くないといけない。


「美味しいですか?」

「うん、最高」

「よかった」


 志乃原は満足そうに微笑んで、ハムエッグを頬張った。

 その姿を眺めていると、ふと違和感に気付いた。違和感といっても先程と比べて変わった部分があるというだけで、マイナスな変化ではない。断然プラスだ。


「なんか目綺麗になった?」


 俺が質問すると、ハムエッグを頬張った志乃原はしばらく咀嚼に集中した。急かしてしまったようで申し訳なく感じていると、志乃原は何てことなさそうに答えた。


「ビューラー使ったんですよ」

「あぁ、睫毛カーブさせるやつか? 変わるもんだなあ」

「変わりますけど、一目で分かるほどじゃないですよ。ファンデとか食事後にしますけど、きっとそっちの方が変わります。ビューラーだけの変化に気付いた先輩に拍手です」


 志乃原は軽く手を叩く。


「いつも化粧品持ち歩いてんのか?」

「お直し程度ですけどね。割とみんな持ち歩いてますよ」


 そういえば彩華が新品の化粧品を可愛いでしょ、と見せてきたことがあったなと思い出す。デザインもお洒落な物が多いので、持ち歩くことが苦にならないのだろう。

 それでも男から見れば面倒そうだと思ってしまった。


「大変だな」

「別に大変じゃないですよ。他の女子のことは知らないですけど、私はどうでもいいかなって日には持ち歩きませんし」

「なるほどね、日によって使い分けてんのか」


 そうであるならば負担も軽減される。

 だが俺は少し引っかかることがあって再度質問した。


「お前昨日俺の家に来る前って遊びに行ってた?」

「いえ、少し出歩いてただけですよ」

「え、じゃあなんでそれだけの為に化粧品持ち歩いてたの」


 俺が訊くと、志乃原は首を傾げた。


「そんなの、先輩の家に行くからに決まってるじゃないですか」


 不意の言葉に、俺は掴みかけていたハムエッグを取りこぼした。


「なっ、どういう意味だよ」

「多少気合い入れてるってことですよ」


 志乃原は悪戯っぽく口角を上げた。

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