第28話 サンタとの朝①

 目を開けると、カーテンの隙間から日光が漏れていた。日光を浴びた感覚から、早起きしたことが察せられる。時計を見れば時刻は午前七時で、学生である俺にとって久しぶりの健康的な時間だ。

 目を擦って手を置くと、明らかに布団ではない感触が掌に伝わる。


「……志乃原?」


 呼ぶが、志乃原の返事はない。起きてはいないようだ。

 助かったと息を吐く。昨晩微妙な雰囲気になったこともあり、バレたらどうなるか分からない。

 一定のリズムで静かな寝息を立てている志乃原を眺める。


 ──志乃原は俺にも言えないことはある、と言っていた。

 こいつも実は何か抱えてるのかもしれない。

 俺が礼奈の件を言わなかったように、こいつにも。志乃原に限らず彩華にだって、誰だって人に言いたくないことはあるだろう。

 生意気で小悪魔な後輩も、こうして眺めればただの華奢な女の子だ。何を抱えているかは分からないが、それがもし俺が助けになれることならなりたいという想いもある。

 だが俺が昨晩志乃原を拒んだことから、志乃原もまた俺を拒むだろう。それは少し寂しいことで、仕方ないことでもあった。

 枕元に置いていたスマホに視線を落とす。

 電源を入れると、彩華と那月からの通知が入っていた。

 彩華のトーク欄を開くと、昨晩電話を途中で切ったきりそのままにしていたことを思い出す。

 ひとまず一言謝罪を添えた。


『昨日は悪い。旅行のことなんだけど』


 そこまで文字を打って指を止める。彩華と二人の旅行は楽しそうだが、同じ部屋だろうか。女と二人きりの旅行は元カノとしか行ったことがない。

 返事をしようか迷った末に、大体の日時だけ聞いておくことにした。


『いつ頃になる予定だ?』


 送信。

 彩華は今日午前中のバイトのはずなので、起きていても準備に忙しいはずだ。返信が来るまで少し時間がかかるだろう。

 次に那月からの連絡だが、一瞬トーク欄を開いてしまうか逡巡した。既読が付けば返信を余儀なくされる。

 一度通知欄へと戻り内容を確認すると『バレンタインにパーティやるんだけど、悠太君も来ない?』というものだった。

 思いがけずに興味を引かれ、那月のトーク欄を開く。

 送られてきていた会場の写真は綺麗で、SNSに映えそうな構造だった。

 バレンタインに開かれるパーティというのは好奇心をくすぐられたが、問題は那月から添付されていた資料だ。

 概要を簡単に纏められた資料を読むと『友達である男女のペアでのみ入場できます』という条件が提示されている。

 恐らく男女の数を均等にするためのものだろう。ナンパ目的の男を減らす意図もあるかもしれない。だがそうした人数比の兼ね合いは運営にやってもらいたいというのが本音だ。

 パーティに赴く学生の中では有名な人気会場だからその様な強気な条件を提示できるのだろうが、俺からしてみればいい迷惑だ。


「……先輩」

「ん?」


 視線を落とすと、志乃原がまだ眠そうに目をしょぼしょぼとさせていた。


「意外と早起きなんですね」

「今日だけだぞ、自分でもびっくりしてる。おはよ」

「おはようございます」


 朝の挨拶を済ませる。起きた直後に誰かに面と向かって挨拶するのは久しぶりで、少々気恥ずかしい。志乃原はなんて事ないように欠伸をしている。


「……そうだ。ねぇ先輩。胸触りました?」

「は!?」


 思わず仰け反る。もしかしたら寝起きに触ってしまった可能性もあるが故意じゃない。感触ではそうだっただろうが、目視をしたわけじゃないし確実ではない──纏まらない思考が一気に脳内に溢れ出て混乱していると、志乃原は逆に驚いたように目を丸くした。


「あの、冗談なんですけど。ほんとに触ったんですか」

「いや、分からん。触ってたらごめん」

「……そんな釈明の仕方あります?」


 馬鹿正直な返答に志乃原は笑うと、グンと身体を伸ばした。薄めのジャージを着ている為余計に胸が強調され、思わず目を逸らす。朝から至近距離で見るには刺激が強い。


「ちょっと狭かったから身体凝った〜」

「お互い寝相良くて助かったな」


 ──そういえば礼奈も寝相が良くて、同じような会話を此処でした。

 そんな思考が過ったことに頭を抱える。昨晩の会話からまた礼奈の存在が意識下に刷り込まれてしまったらしい。

 志乃原は「ちょっとすみません、お花摘みに行ってきます」と言って、俺の脚を跨いで床に降りた。


「普通にトイレって言えよ」

「お花の方が可愛いですもん」


 志乃原はそう言い残すと部屋から出て行った。

 俺も今日はバイトがないので一日暇だ。志乃原が帰る時間にもよるが、本屋に行って漫画でも買おうかと思っていた。

 ベッドから腰を上げて床に降りる。足の裏に何かを踏み潰した感触が伝わる。見下ろすとチョコパイが平らになっていた。封を開けて口に入れると、見栄えは悪いものの味は変わらない。

 側に纏めて転がっていたチョコパイの封を開けていると、志乃原が戻ってきた。


「あ、いいなお菓子。それ好きなんですよね」

「まじ、食う?」

「貰います」


 志乃原は少し離れた場所から手を差し出して動かない。放り投げろということだろう。目に付いたチョコパイを放る。

 だがそれは既に封を開けていたもので、中身が飛び出して志乃原の顔面に直撃した。


「……わ、わりぃ」


 ゆっくりと手を合わせる。転がっているチョコパイが割れていることから、結構な衝撃だったかもしれない。


「……先輩」

「はい」


 思わず背筋を伸ばす。


「なんで上投げなんですか!? 普通下投げですよね!?」

「え、そっち!? 封開いてたことにじゃなくて!」


 志乃原は割れたチョコパイを拾い、口の中に放り込んだ。

 絨毯に欠片が落ちているだろうから後で掃除しないといけない。


「人に物を投げる時は下投げって教わらなかったんですか、全く」

「物を投げちゃいけませんとは言われた気がする」


 掃除機を探して持ってくるが、まだ早朝だということに気づく。掃除をするのは十時頃にした方がいいだろう。


「お前今日どうすんの? 朝飯食って帰る?」

「どうしましょうか。今日暇ですし、一日居座るのもアリですね」

「無しだわアホか。俺に自由な時間をくれ」


 俺の答えに「えー」と口をすぼめる志乃原を見て、俺は少し安堵した。昨晩寝る直前まで流れていた微妙な空気はもうない。

 志乃原との安定した関係を崩したくないという想いがどこかにあるのだろう。

 キッチンの冷蔵庫を開ける志乃原を眺めながらそう思った。


「先輩、卵もうちょっと買ってた方がいいですよ?普通に使ったら明後日には無くなる量じゃないですかこれ」

「なんでお前が明後日までいる前提で話してんだよ。俺一人だと三日は持つぞ」

「大して変わんないですよそれ」


 言いながら、志乃原は手際よく必要な器具を取り出していく。どこに何があるか、もう完全に把握したらしい。


「簡単な朝ごはん作っちゃうんで、先輩は顔洗った後くつろいでてください」

「おう、そうするわ。ありがと」

「いえいえ」


 俺の返事を聞くと志乃原はジャージの袖を捲り、サラダ油を小皿に入れた。キッチンペーパーに油を染み込ませ、フライパンに馴染ませる。


「何見てるんですか?」


 俺の視線に気付いて、志乃原は手を止めた。

 すっぴんのジャージ姿で調理する姿は何だか家庭的で良いなと思って眺めていたのだが、口に出すのは躊躇われる。


「いや、怪我すんなよ」

「先輩に言われたくないですよ」


 志乃原は苦笑いして調理に戻った。

 俺も志乃原の言う通り顔を洗おうと部屋から出ようとすると、ポケットに入ったスマホが継続的に震える。

 彩華からの電話だろう。


「ちょっと顔洗ったついでに雑誌買ってきていい?」

「雑誌ですか? じゃあ私もファッション誌欲しいです、久しぶりに。代金は払うんで」

「分かった」


 短く返事をすると、洗面所に入る。顔に水を浴びせると一気に意識が覚醒した気分になった。俺はこの瞬間がとても好きだ。朝に顔を洗うこと自体は面倒なことこの上ないのだが。

 廊下に出て靴を履いていると、後ろから「二十分くらいで朝ごはんできるんでそれまでには帰ってきてくださいねー」という声が追いかけてくる。

 よくできた女だなと思いながら、俺は玄関の扉を開けた。

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