第27話 相坂礼奈 〜過去②半年記念日前夜〜

 付き合ってからの礼奈はよく笑う女だった。

 それは出会ってから半年経った後も続き、付き合う以前と変わらない週に二、三回のデートでも会話に困ることは無かった。


 大学二年生の梅雨時、半年記念日の前週。

 俺は礼奈と半年記念日に訪れる店の下見に来ていた。記念日のデートにお店を予約するのは多くのカップルがしていることだが、予約の仕方は様々だ。彼氏が彼女へ内密に良さげな店を下見したり、ネットサーフィンのみで決めてしまったり。俺は彼女である礼奈と一緒にお店を決めるスタイルを取っていた。

 俺は当初自分一人で決める予定だったのだが、「お高めのお店に行くなら、お互いが良いって言ったとこがいいな」という礼奈の言葉に押され、二人で街中を練り歩いている。ネットサーフィンで事前に調べてピックアップしておいた複数のお店を巡り、直に雰囲気を見る。これで失敗したら逆に笑い話になるよねと、礼奈は笑っていた。


「こことかどうだ?」


 俺が指差したのは、地下へと続いている階段だ。階段の傍にはお洒落な看板が立っており、その店の雰囲気の良さを匂わせていた。

 だが礼奈は首を振った。


「このお店、私たちがピックアップしたリストに入ってないとこだよ。とりあえず、ここの近くにある店に行こうよ」

「ピックアップしてない巡り合った店だからいいんじゃん。なんか運命感じない?」

「前もそう言って私たち失敗したから、今度はリストに載せたところ行こうねって約束したじゃん」

「ちぇー」

「もう、拗ねないの」


 礼奈は困ったように笑って、背伸びして俺の頭に手を置いた。


「また今度行こうね」


 そんなことで機嫌が良くなるのだから、我ながら単純だと思う。人通りの少ない路地では、こうしたスキンシップもたまに取る。

 付き合いたての頃より頻度は減ったが、仲の良いカップルと言えるだろう。

 最近は礼奈と会うだけに留まらず、彼女の友達と会う機会も増えてきている。付き合ってから交友関係が広まったのとは確かだ。

 そして俺もいずれ礼奈に彩華を会わせたいと思っていた。

 彩華本人は「どんな顔して会えばいいのよ」と言って礼奈の写真を見るだけだったが、見るたびに礼奈を褒めてくれた。礼奈にはまだその旨を伝えていないが、タイミングを計らって伝えようと思っている。


「あれかな?」


 俺は目当てのお店であろう建物を指差した。そのお店は彩華から教えてもらったもので、俺もかなり期待していた。

 控えめな照明が入り口を照らしており、隣に並ぶ店々と隔離されたかのような雰囲気だ。学生がフラッと立ち寄るには敷居が高い。

 扉を開けると嫋やかな女性がこちらにお辞儀してきた。


「いらっしゃいませ」

「あ、すみません。下見で来たんで、中だけ少し覗かせて貰っていいですか」

「かしこまりました。よろしければ、ご案内致しましょうか」


 女性は慣れた様子で応対してくる。後ろを向くと、礼奈が首を振った。


「雰囲気だけでいいよ。サイトにメニューは載ってたし」

「だな。後の楽しみに取っとくか」


 小声でやり取りすると、俺は女性に向き直る。


「いえ、大丈夫です。また来ます」

「承知いたしました。それでは、またのご来店をお待ちしております」


 たった数十秒店内に入っただけだが、収穫はあった。雰囲気を直に感じることができたこと、客層を確かめられたこと、店の人の対応。

 礼奈も満足した様子で、「いいんじゃないかな」と口元を緩めた。 下見など自己満足で終わることも多いが、今回は意味のあるものだった。そしてこの店を勧めてきた彩華は毎度流石である。

 道すがら俺は口を開いた。


「俺、大学に一番仲良い友達いるって言ってたじゃん」

「言ってたね、彩華ちゃんだっけ。高校からの同級生。たまにSNSに写真上げてるよね」

「そうそう、まあ長い付き合いなんだけどさ。あいつ凄えやつなんだよな、何でもできるし。この店紹介してくれたのだって彩華なんだぜ」


 そう言うと、礼奈は目を丸くする。


「え、そうなんだ。悠太くんが見つけたんだと思ってた」

「俺の調べ方じゃこういうお店に辿り着けないよ。俺も見習わないといけないな」


 礼奈は返事に少し間を空けて、俺の手を取った。

 指を絡ませて恋人繋ぎをする。


「──じゃあ、またいつか会ってお礼言わないとね」

「世話になってるからな。タイミングが合ったら連れてくるよ」

「うん。楽しみ」


 礼奈はキュッと腕を絡ませて、頭を俺の腕に預けた。

 こうした仕草一つ一つが愛おしく、俺は空いてる方の手で頭を撫でる。先程俺を撫でてくれた分、少し長めに。

 高校の時まともな付き合いをした試しのなかった俺が、初めて好き同士で付き合った彼女が礼奈だ。礼奈が俺のことを好きだと言ってくれるのと同様に、俺もまた礼奈のことが好きだった。

 頭を撫でている合間に幸福が満ち溢れてくる気がする。


「好き」


 礼奈がこちらを向かずに言った。


「俺も」


 たまに確認するようにお互いが好きだと言い合う。

 カップルのあり方はそれぞれだが、俺と礼奈には今のあり方がぴたりと合っている気がする。


「悠太くん」

「ん?」

「私ね、明日のためにサークルの旅行休んでるんだ」

「サークル、弓道だっけ? 旅行あったんだ」


 女子大はサークルの数が少なく、その為近くの大学へ遊びに行くことが多い。礼奈もその例に漏れず、俺の大学にある弓道サークルに入っている。

 学祭で知り合った当初はもっと派手なサークルを想像していただけに、弓道と聞いて少し安心していた。旅行があるといっても、旅行というよりは合宿に近い。

 だから男が混じった旅行とはいえ、束縛するつもりは全くない。この考え方に以前礼奈は喜んでいた。


「そう。皆んなが行く、一泊二日の旅行だったの」

「二ヶ月前行った時すごい楽しかったって言ってたよな。それ休んだんだ」


 そういうことなら、半年記念日だからといって無理に店を予約してデートすることもなかったかもしれない。次の記念日はまた来るが、サークルの旅行はなかなか無いのだ。

 だがそんな貴重なイベントを休んでまで明日を迎えてくれるのは、素直に嬉しい。

 俺がお礼を言おうとすると、先に礼奈が口を開いた。


「そう、休んだの。この意味、正しく理解してる?」

「正しく?」


 礼奈はサークルより俺を優先した。

 そのことから導き出される答えはすぐに出たが、さすがに気恥ずかしくて言葉を発するのに時間がかかる。自意識過剰と思われないだろうか。


「……それくらい俺のこと好きってことか?」


 やっとの思いで答えると、礼奈はあっさり頷いた。


「そうだよ、それくらい好きなの。……ほんとに分かってる?」

「分かってるって」


 照れ臭くなって顔を背ける。車が行き交う道路を挟んで、俺たちと同じように寄り添って歩いているカップルが視界に入った。向こうは俺たちより熱々な雰囲気で、人目がなければ今にもキスしてしまいそうだ。

 礼奈と付き合うまではそんなカップルを見る度にイライラさせられたが、今となってはそんな光景にも微笑ましさすら感じる。


「……それならいいけど」


 礼奈はそのカップルには興味がない様子だった。


 翌日の半年記念日、少し背伸びをしたお高めのディナーを楽しんだ。

 ──そこまでは、俺と礼奈は上手くいっていたように思う。

 それが崩れたのは半年記念日から数ヶ月が経った後。

 デートを断られるようになり、連絡の頻度が減り、あの日を迎えた。

 何が駄目だったのか、何がきっかけだったのか。

 この時の俺は、一年記念日に浮気されることなど夢にも思っていない。

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